12話 激走迷宮 前編
アカネは、決して頭が悪い訳ではないのだ。ただ物事を知らないだけで、教えれば一発で覚え、決して忘れない。応用力もあり、生来の動物的直感は知識によってますます磨かれていた。
連日の迷宮攻略の中で、アカネは少しづつ自分のスタイルを確立していった。マギとユニの両面で才能があると分かったアカネだったが、彼女は俺の勧めは聞かずにユニを磨いていくことにしたようだ。何か意図があるのかもしれないが、俺には分からない。
ユニクスとは、自己を概念として定義し、龍脈エネルギーを媒介として概念を実体化させることを指す――というと難しく聞こえるが、要は「自分ってこういう人間です」というイメージを、最大限に極端にしたものを能力として発現させるということだ。
例えば「自分はクールな男だ」と思い込んでいる人がいたとする。その男が使うユニは、実際にクールかどうかは関係なく、敵を凍らせたり気温を下げたりする能力になる傾向が強い。
なので、「自分がどういう人間なのか」をしっかりと意識している人間ほど、強い。アカネはきっと、己がどういう人間なのか痛いほど理解しているのだろう。
背に生える漆黒の羽や、常人をはるかに超える身体能力が、それを如実に物語っていた。
どれだけ彼女は「吸血鬼」と向き合ってきたのだろう。
どれだけの間、彼女はそれに苦しめられたのだろう。
――そしてその行為がユニを強めていたとは、何とも皮肉なものだった。
ということで。
初めての迷宮探索から一週間が過ぎていた。
「これ、落ちたらどうなっちゃうの……?」
「分からねえが……前例から考えれば、迷宮の入り口に強制送還だろうな」
アカネの成長は目覚ましかった。元から優秀だった身体能力に加えて、スポンジのように知識を吸収していった結果、既にベテランに勝るとも劣らない実力にまで至っていた。
『敵は……見当たらないね』
そして今は迷宮に来ている。中規模迷宮なのだが――
「終着点、あそこだよね」
アカネの指差す方向を見ると、空のはるか向こう――首が痛くなるほどの上空にうっすらと見慣れた門の姿がある。
改めて周囲を見回してみる。
ここはスタート地点。足元には薄く草がたなびいており、風が強い。ふわふわと安定しない、浮遊感のある地面だ。まるでゆったりと動くエレベーターに乗っているかのようである。
――地面が、浮遊しているのだ。
大小様々な大岩がゆったりと上下しながら空に浮かんでいる。俺たちはその岩の一つに放り出された形だ。身を乗り出して下を覗いてみても、底は分からない。このタイプの迷宮において、落下した場合は迷宮の潜入口まで戻される。死ぬことはないが――恐怖心を煽られることに変わりはなかった。
「岩を伝って門まで行けばいいのか」
螺旋状に連なる岩石群が、上空に浮かぶ門にまで繋がっている。かなりの距離があるが、終着点が見えているので、さほど時間はかからずに攻略はできそうだ。敵も見当たらないので今回は「当たり」を引いたのだろう。
「でも私たちなら、わざわざ岩を伝って行く必要はないよね!」
アカネは背中から黒い翼を現出させた。
「お、おい」
俺はその早計な判断を止めようとしたが、
「えいっ」
アカネは、翼を大きくはためかせて空へ飛び立った。
――――直後だった。
「うわぁっ!?」
強く吹いた風が、アカネの空中制御を崩した。体が大きく傾いた少女は、そのまま風に流されるようにして――
「サリアッ!」
『うんっ!』
俺は魔血を縄状にして飛ばした。先端が生物のように動き、風に流されたアカネの体を巻き取ったのを確認すると、少女らしからぬ悲鳴をあげるアカネを問答無用で引っ張り始める。
「ぐ、おおおおおお…………ッ!」
風との綱引き。俺の体も持っていかれそうだ。俺は地面に魔血の杭を打ち付け、体を固定した。
「ぎぃやぁああああああああああああああああああッ!?」
「うるせえ!」
俺は縄を手繰り寄せる。苦しいのか怖いのか、その度にアカネが人間らしからぬ悲鳴をあげるが、無視した。
「行くぞ。腹に力入れろよアカネ!」
「待って! ダメなんか出てくる! お腹の中のモノが――」
「『そりゃあああああああッ!!』」
「出てくるぅうううううううううううあああああああああああッッ!?!?」
気流から抜けたアカネが空から降ってくる。俺は――その真下にいる。
「ぎゃっ」
「うわっ」
ゴッと鈍い音。降ってきたアカネに押し倒され、俺は後頭部を思い切り打った。
「痛ってえ…………」
「う、ごめん……」
じんじんと痛みを発する後頭部をさすりながら、
「よかったな、都合のいいクッションが地面にあって……」
「は、はい、助かりました……」
「ところで」
「なんでしょうか……?」
「どいてくれないか」
アカネの体が、密着している。
「え、うわ、ごめんっ」
ビッと飛び起きたアカネが飛び上がるようにして俺の体の上から離れた。
俺は頭を押さえながら立ち上がった。
「……なるほど。敵が少ない分、こっちの対策にリソースを割いたのか」
迷宮が有するリソースは決まっている。「小規模迷宮に入ったのに、めちゃくちゃ強い敵が山ほど襲ってきました!」なんてことは起き得ない。中規模迷宮であるここで、迷宮全体に抗えないほどの強風が吹いているということは、その他のオブジェクト――つまり敵や罠には脅威が存在しないと推測できる。つまり――
「ズルをせず上まで行けってことなんだろうな」
「なんか、アトラクションみたいな迷宮だね」
「そんな気楽でいると死ぬぞ」
「分かってるよー」
俺は一つ上の岩に魔血を伸ばし、アンカーを突き刺す。魔血を体内に回収することで、俺は勢いよく岩に向かって飛び出した。高い位置には風が吹いているので、低く移動していく必要がある。
「魔血って、便利だよね」
「まあな」
アカネは飛ばされないように低いジャンプでこちらの岩に飛び乗ってくる。俺たちは同じ要領で山登りならぬ空登りをしていく。身体能力が低かったり、俺のように移動できる手段を持たない潜入者には厳しい迷宮だろう。相性次第では攻略不可能な迷宮も存在する。そういう場合は潔く撤退するのだが、自慢ではないが俺は割と万能なのでそのような迷宮は少ない。
そうしてしばらく上を目指していたのだが――
「……ん?」
アカネが立ち止まった。
「どうかしたのか」
「あれ」
アカネが指さす先にいたのは、小さな白い毛玉だった。ふわふわとした綿毛のような体毛が全身を覆っており、そこから尻尾がちょろんと生えている。
「迷宮生物か?」
俺が魔血を構えていると、アカネはふらふらと毛玉の方へ歩いていき、
「か、可愛い……」
「お、おい、そいつは敵だぞ……」
へたりと毛玉の前にしゃがみ込んだアカネは、小動物を相手するように手を伸ばす。
「ほら、こっちおいで……」
「キュー」
「きゃ~~~~~~~っ! 可愛い!」
よく見ると毛玉の中に小さな目が見える。やはりこいつは迷宮生物だ。
アカネはどうしても触りたいのか、毛玉を手招きしている。対する毛玉はというと、
「キュー」
ひとつ鳴くと、
「おいで、おいで……」
と手招きするアカネの腹に向かって目にもとまらぬ速さで突っ込んでいった。
「おぶっ」
何の警戒もしていなかったアカネは――風吹く空中に弾き飛ばされていった。
「――ぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
「………………」
俺は棒立ちでそれを見送っている。
「なるほど。攻撃力はないが、あいつにはじき出されると始めからって訳か」
『アカネちゃんは助けなくていいの……?』
「自業自得だ。最初から登り直しくらいがちょうどいい」
俺はじっとこちらを見ている毛玉ににじり寄る。そして魔血の射程に入る直前で――
「キュ」
ふっと、毛玉が消えた。
「はやっ――」
そう思った瞬間にはもう、既に。
「ぐはっ」
腹に衝撃。
体が空中に投げ出され、気流に捕まってそのまま俺も吹き飛ばされていった。