10話 門番
俺たちは山肌の中ほどに見つけた洞窟にいた。壁面は湿り気を帯びており、どこからか染み出した雫の落ちる音が、薄暗い洞窟内に小さく反響する。
二人分の足音が静謐な洞窟内に侵入していく。足元をを紅蓮椿で照らしつつ黙々と歩みを進めるが、どうやらこの洞窟には迷宮生物がいないらしく、ここまですんなりと来ることができている。
洞窟に入る前は何度か迷宮生物と遭遇したのだが、全てアカネが瞬殺してしまっていた。アカネは教えたマギもユニも使うことなく、単純な龍脈エネルギーによる身体強化のみで敵を叩き潰していた。現実世界の三倍に及ぶ濃密な龍脈エネルギーによって、アカネの能力は最大限に強化されていた。
どうやら、『吸血鬼特性』というのは非常に龍脈エネルギーとの相性がいい特性であるらしく、アカネは俺が今まで見てきた潜入者の中でもトップクラスに龍脈エネルギーの扱いに長けていた。
俺たち新世代には、人間の体内に巡る龍脈エネルギーを感じ取ることができる。アカネの体内に流れるそれは、澱みなく、滑らかに、まるで芸術品のように四肢に行き渡っていた。
一目見たマギを完璧に真似てみせたセンス。
そして、潜入者内でも稀に見る龍脈エネルギーに対する豊かな感性。
紛れもなく、才能であった。
磨けば美しく光り輝く、ダイヤモンドの原石だ。
俺にはない、天性の才能だ。
ああ、おめでとう。俺が少し戦い方を教えれば、君はきっともう一人で生きていける。東京が誇るA級潜入者の仲間入りだって、全く難しくないだろう。
俺は今まで、これほどまでの才能の持ち主を一人しか見たことがない。
当代最強のマギ使いにして――俺が唯一、「姐さん」と慕う人物。
A級潜入者、聖ケ丘凛。
そういえば最近、彼女と会話をしていないな――と。
「……ーい」
思索にふけっていたのを。
「おーい、ケイスケ君」
アカネの声が俺を現実、いや迷宮に呼び戻した。
「分かれ道なんだけど、どうしようか」
「ん、ああ」
迷宮内でぼけっとしているなんて、我ながら情けない失態だ。
灯りをかざして前方を確認すると、道が広がって小部屋になっており、奥は二股に分かれた道に繋がっていた。
「普通なら二手に分かれるんだが……まあ、今回は初めてだし止めておく。アカネ」
「はい」
「手に持ってるそれを思いっきり右側の道に投擲」
「え、あ、はい」
アカネは困惑しつつも、言われた通り思いっきり振りかぶり、見事なフォームで手に浮かべていた火球を――
「ぜぇりゃぁああああああああああああああああッッ!!!!」
スナップの効いた縦回転。火球はプロ野球選手もかくやと言わんばかりの豪速球と化し、右側の通路を突き進む。
「そんな全力で投げろとは言ってねえよ……」
「…………え、恥ずかしい」
火球は輝きを放ちながら通路を爆進し、やがて……壁に激突。
照らし出された壁は、洞窟に似つかわしくない人工物のような印象を抱かせた。
「ビンゴ」
滑らかな壁面。二つ開きの大扉。
「あれが終着点だ」
巨大な門が、洞窟の壁に埋まるように鎮座していた。
「ゴール……」
「道中で説明した通り、あの奥にある核を引きはがせば迷宮攻略完了だ」
門に近づいていく。もちろん、このまま門をくぐって終わり、などということにはならない。
「――来るぞ」
瞬間。
直下から突き上げるような地震。
「きゃっ……!?」
ブレる視界。捲れ上がる地面。アカネの可愛らしい悲鳴が聞こえる。
「――門番だ」
地割れとともに浮き上がった岩が、宙に浮かぶ。
ゴゴゴゴゴゴゴ、と地鳴りを響かせながら岩は連結し、一つの像を構成していく。
世間一般的に呼ぶところの『ゴーレム』が一番近いだろうか。組みあがったゴーレムは俺たちの優に三倍はある背丈で、安寧を脅かす潜入者に向けて強烈な敵意を放っている。
――迷宮が、最も重要な自らの核を守らせるために生み出した存在。
――多くの龍脈エネルギーが注ぎ込まれ、他の迷宮生物とは全てにおいて一線を画す。
つまりは、迷宮による最後の切り札。
当時まだ幼かった俺たち潜入者によって、その存在は『門番』と名付けられた。
「こいつを倒せば終わりだ。気合入れていけよ」
「う、うん、頑張る!」
アカネはスッと腰を落とすと、目を細め――常時からは想像もできない鋭い眼光を放ちつつ完成したゴーレムめがけ飛び出した。
どうやら彼女は殴るより蹴る方が得意らしく、今回放ったのも愚直な回し蹴り。しかしその威力はもはや人間のそれではない。
「せやぁああああああああああッ!!」
ゴーレムの肩に飛び乗って二段ジャンプを決めたアカネは、そのままゴーレムの頭部と思われる部分に遠心力を乗せた右脚を叩き込んだ。
小部屋に響く破裂音。ゴーレムの頭部を形作っていた岩が跡形もなく吹き飛ばされた。生物的弱点である頭部を的確に狙った、それはそれは見事な一撃だった。
「イエス!」
アカネは攻撃が綺麗に決まって喜んでいるが――
しかし。
そう上手くいかないのが、門番なのである。
「――えっ」
風切り音。
アカネの眼前に迫るは、土色の砲弾と化したゴーレムの拳。
「……うそ」
ゴッ! と嫌な音がして、空中にいたアカネが弾き飛ばされる。
『うひゃあ、痛そう……』
「いや、勢いはちゃんと殺している」
見ると、アカネの背に黒い翼が。あれを使って後方へ逃げたのだろう、さほどダメージを受けていない様子だ。それに、ここは小規模迷宮。もし直撃しても即死なんてことにはならない。
「頭ふっ飛ばしたのに生きてるよ……。どうなってるの……?」
困惑気味のアカネが俺のそばに降り立つ。フードが脱げて、しまわれていた長い黒髪がふわりと舞った。
そういえばこの女、迷宮生物を殺すのに何らためらいがない。単に神経が太いというより、場慣れしているような雰囲気を漂わせている。今も一撃食らっているのに、焦る様子もなく敵の動向を探っている。
「たぶんあいつ、がむしゃらに攻撃しても再生し続けるぞ」
ゴーレムの頭部に吹き飛ばされた岩が逆再生するように集まり、元の形状を取り戻していた。
「え、じゃあどうすれば……?」
「迷宮生物の構造を思い出せ」
「こうぞう?」
この女はちょっとおバカなのかもしれない。
「ここに来るまでに説明しただろう。迷宮生物は迷宮と同じく、龍脈エネルギーの結晶を核として肉体を構成している……あとはもう分かるだろう」
「核を破壊すれば再生することなく倒せる……?」
「そういうことだ」
アカネに足りないのは、きっとこういった知識なのだろう。
「ではもう一度……行ってきます!」
『行ってらっしゃーい』
アカネは謎の敬礼をして、再び門番へと向き直った。