8.お嬢さん、名前は
静かな図書館の階段で、私はこの少女に正体を知られた、と言われたものの、どう答えていいのかわかりませんでした。
とにかくせめて人の目のないところに移動したいのですが、なかなか話の主導権がまわってきません。
「ねえ、名前は?」
少女は質問を変えてきました。なるほど、この星は国ごとに名前の特徴があるようですから、良い質問かも知れません。
私は偽名を名乗ることにしました。こないだ決めたんです。普段はコードネームのようなものを使っています。“高級訪問販売員U”というのですが、それだとこういう時に困るんですよね。つまり名前がないと不便なんです。ついに、こないだ決めたばかりの偽名を使う時が来ました。
「羽生歯科だ」
「ハニューシカ?ロシア人?」
おや、看板にあった名前を言ったのに、日本人と認識されませんでした。漢字だったから大丈夫だと思ったのに、なぜ?
「ロシア人じゃない、よ」
「でもあっちのほうでしょ?北欧って言うの?確かに、ちょっとあっちの方の顔してるよね」
おーい・・・ま、いっか。外人認定でも。もともと宇宙人ですから。でも、ロシアとか北欧とかってどういう人種が住んでるんでしょうか。私の知識には全くありません。これはこれで、話を合わせるのが難しくなりました。
こういう時は、私の方から質問すればいいのです。そうすれば話の主導権は私になって、まずい話にもっていかなくてすみますから。
「お嬢さん、名前は?」
私がこう聞いたら、少女は笑い出しました。静かな図書館中に響くほど笑いました。なに、何かおかしなこと言いました?
「お嬢さんって!あはははは!」
えー、だって、女の人にはお嬢さんって言うしかないですよね?他に何て言うんですか?もう!ニホンゴムツカシイ!
しかしもう、笑い終わってくれても良いと思ういますけど?会話にならないし、私だけ焦ったりイライラしたり空回ってるのもどうかと思います。
「名前!」
思わず叫んでしまいました。そうしたら、彼女は笑いながらもやっと答えてくれました。
「私?ゆずこ。ゆずって呼ばれてるけど」
3文字ですか。たしかに「羽生歯科」ってちょっと長いですか。今度からなんて名乗りましょう。ま、それは置いといて。
あんまりにもゆずさんの笑い声が大きかったので、図書館の職員の方に怒られてしまいました。
「良いから出る、ぞ」
私はそう言って、外に出ました。ゆずさんも、笑いながら私の後について出てきました。
やっと外に出られて、これで込み入った話ができます。でも、外で話すって言っても、立ち話もナンですよね。そう思っているとゆずさんが言いました。
「時間あるんだったら、ウチ来ない?由も帰ってると思うし」
「よし?」
「ウチにいた、私の弟」
「ああ、弟なん、だ」
「じゃ、いこっか」
ということで、私たちはまたゆずさんの家に戻ることになりました。さっき、あの家には近づくまいと心の中で誓ったのに。なんとなく、戻っちゃいけないと私の本能が告げているのですが、断ることができないのです。
それにしたって、彼女は一体、私の何が分かったのかが気になるところでした。