54.空耳にしては
夕暮れが迫り、高台には誰もいなくなりました。
西に少しの茜色を残しただけで、空はほとんど紺色になり、眼下の町は家々の明かりが点き始めて暖かい色をしています。ほんのりと夕餉の香りを運んでくる風をなんとなく懐かしく吸い込みながら、私の星とは違う、けれども統制のとれたこの国の、道路にたくさんの光りが流れ走るのを眺めていました。
「綺麗ですね」
誰に言うともなく、その夜景の美しさに見惚れて声が出てしまいました。
その時でした。
高いキキーというブレーキ音が響き、続いてドンという重低音の大きな衝突音が聞こえました。一瞬のことでしたが、高台にいた私には、それがすぐにどこであるかが見えました。
事故です。
交差点を走っていた乗用車が、向こうから信号無視をしてすごい勢いで走ってきたトラックにぶつかったのです。乗用車はかなりひしゃげているように見えました。
異星人だって、野次馬根性があります。
場所もすぐにわかりましたから、走って見に行こうかと思いました。だって、今まで1年以上日本にいて、あんな大事故見たことありませんから。
乗用車からは煙が出ているようでした。日本の車は燃えやすいものを燃料に動いていますね。アレはもしや相当に危険なのではないでしょうか。乗っている人は、無事でしょうか。
目を細めて見ても、その距離からは詳しく見ることはできません。だんだんと人だかりができて、乗用車のようすが見えなくなってきました。日本人もたいがい野次馬ですよね。叫ぶような大きな声がいくつも聞こえてきました。高台なのでよく見えますが、距離は随分あります。それでもこれだけざわつく声が聞こえるということは、現場はきっと大騒ぎでしょう。
行くか、行くまいか。
私はもう準備しかけている宇宙船をチラリと横目で見ました。
荷物と私が乗り込めば、この星ともさようならです。二度と来ることはないでしょう。
その前に、一度くらいあの喧噪を見学していくのはどうでしょうか。日本でだってきっと珍しいくらい大きな事故ですし、もう二度と来ない場所のひとつの悲惨な思い出があっても、良いかなと思いました。
私は事故を見に行くことにしました。しょうがない野次馬根性ですね。
あまり近くないところですが、随分と騒がしくなっていますし、迷うことはありません。私は坂道を転ばない程度に急ぎながら、事故現場へ向かいました。
私を追い越して、たくさんの赤い消防車が通り過ぎました。すでにこの辺りに停まっている消防車もあります。
あちこちに光る赤色回転灯、叫びながら何かを運ぶ救急隊員、交通整理をしている警察官を見ていると、なんだか胸がドキドキするような気がしました。
面白半分に見るものではないんじゃないか。そう思いました。確かに不謹慎です。自分の星へ帰る前に、悲惨な事故現場を見てお土産話にでもするのでしょうか。そこに傷ついた人がいたら、もし亡くなった人がいたら、私はその人のことをどうやって語るのでしょうか。そんなこと、誰にも話していいものじゃありませんよね。
考えれば考えるほど、やっぱり見に行くのはやめようか。と迷い始めたとき、私を呼ぶ声が聞こえました。
「ハニューシカさん!」
と、どこかから聞こえたのです。
ハッとして振り向きました。周囲を見渡しても、全ての人は事故現場に向かおうとしています。私を呼び止める人などいません。
それに、私のことを羽生歯科と呼ぶのは、あのお二人しかいないはずです。私はあの二人を探しました。空耳にしては生々しく聞こえたのです。きっと近くにいるはずです。
何度も振り返ったり、耳を澄ませながら、お二人を探しながら歩きましたが、見つけらないままに、私は事故現場の人だかりの一番後ろに到着してしまいました。
この中にいるのかもしれません。私は二人を探しました。




