52.そが付く
ハニューシカさんが赤ちゃんを抱っこすると、柚がニヤニヤして聞いた。
「ね、名前、何にするの?おとーさん!」
「お父さんって」
と、言いながらハニューシカさんは何か照れていた。
でもホント、良いよね、赤ちゃんがいるって。みんな顔がほんわかしちゃってるよ。
「名前なんて、私がつけてはいけないんですよ。これから余所の家の子にしてもらうんですから」
ハニューシカさんの言葉で、僕たちは我に返った。内臓が冷たい手で掴まれたような感覚がして、急に苦しくなった。
そうだ。
ハニューシカさんはこの子を置いて、星に帰るんだ。
連れて帰ることができない子なんだ。
「でも、良いじゃない。私たちだけで呼ぶ呼び名があっても。ね、お父さん、名前付けてあげてよ」
柚が静かに言った。
それもそうだよね。よその子になるからって、ハニューシカさんの子じゃないわけじゃない。この子はハニューシカさんのことを覚えていないかもしれないけど、ハニューシカさんはこの子のこと忘れないはずだ。だから、ハニューシカさんが付けた名前で呼べばいい。僕たちも、この子のこと忘れないよ。だから、ハニューシカさんに名づけてほしい。
ハニューシカさんはジッと赤ちゃんを見つめていた。すごく悲しそうな目をしていた。やっぱり別れるのは辛いよね。
でも、今だけはハニューシカさんがお父さんだよ。
宇宙人のお父さんだよ。
ハニューシカさんはスっと息を吸って、
「そ」
と言った。
「そ?」
それだけ?
だけど、ハニューシカさんは、それ以上言わなかった。そして首を振った。
「やっぱり無理です」
寂しそうに微笑んで、それだけ言った。
「じゃ、私が決めてあげるわ!」
しんみりとしているハニューシカさんとは対照的に、柚が明るく言った。柚だって、空気読んでないわけじゃない。ハニューシカさんが、娘さんと別れることばかりを考えて寂しくならないように、明るく振舞ってるだけだ。
「そ、が付く名前が良いの?なんで?」
「えっと、私と妻の名前に“ソ”があるんです。ですから、そを付けようかと思ったのです」
ハニューシカさんって、そが付く名前なんだ。宇宙人の名前なんて想像つかないけど、発声の構造は同じなんだし、発音できる名前に決まってるから、実は分かりやすい名前なのかもしれないね。
「そうね~、日本生まれだから、日本的なのも良いわよね。そー、そー、そー・・・そ?結構難しいな」
確かに、僕「そ」のつく、女の子の名前、考え付かないや。
「そ、そう、そうこ?そ、その、そのえ・・・そ、そ・・あ、そら!そらはどう?空から来たから、そらちゃん」
「良いじゃない。可愛いよ」
僕がそう言うと、柚はドヤ顔をしていた。センス良いよね。
「そら、ちゃん」
ハニューシカさんも気に入ってくれたみたいだ。やっぱり名前あったほうが良いよね。ずっと赤ちゃんって呼ぶのもヘンだもん。
「そらちゃーん、名付け親の柚お姉ちゃんですよ~」
柚が赤ちゃんを覗き込んで、頭を撫でていた。赤ちゃんは眠っているけどね。だけど、眠っているのに、ニッコリした。
「笑った~」
僕と柚が大声でキャイキャイ言っても、赤ちゃんは眠っていた。だけど絶対、僕たちの声聞こえているよね。名前を付けてもらって、喜んでくれたと僕は思うよ。
それから柚は、木の後ろを見に行った。僕もついて行った。
赤ちゃんがいたところや、ハニューシカさんが赤ちゃんを取り出したところは、普通の木に戻っていた。そんなところに赤ちゃんがいたなんて、絶対思えないくらい、普通の木の幹だった。ハニューシカさんが言うところの、消滅って言うヤツだろうか。とにかく、宇宙人の出産は奇妙で、そして便利だなーと思った。
高台にいても、もう暗くなり始めていた。いつの間にか夕暮れだったんだ。
「もう、帰らなきゃ」
「そうですね」
僕たちはそこを少し片づけた。そうは言っても、出産のための木や試験管というものは、すぐに元通りになっていたし、片づけると言っても、ハニューシカさんの荷物を鞄に入れたり、あとは柚が食べ散らかしたお菓子をコンビニのビニール袋に入れるだけだった。
そんなことをしながら、柚はハニューシカさんに聞いた。
「いつ・・・まで、日本にいられるの?」
それは僕も知りたかった。だけど、なんとなく聞いちゃいけないかなーと思って聞けなかったんだよね。
「そうですね。まだはっきりとは決まっていませんが」
ハニューシカさんは腕の中で眠っているそらちゃんを見て、ため息をついた。
「ひと月以内に、出発するように命令されています」
「ひと月?」
「そんな」
短すぎる。柚も僕もそう思った。
「あんまり長く一緒にいると、離れがたくなってしまいますからね」
ハニューシカさんはそらちゃんに少しだけ顔を寄せた。
きっともう、離れがたいと思う。こんなにかわいい赤ちゃんを腕に抱いて、名前も付けて、それで情がわかないはずがない。
健康に見えるのに、どうして連れて帰っちゃいけないんだ。そのことを考えると、僕は本当に苦しくてしょうがなかった。僕たちには何もできないんだ。
「大丈夫です。この子は・・・そらちゃんは、幸せになりますから」
逆光の夕日の中で、ハニューシカさんがどんな顔をして言ったのか、見えなかった。だけど、確かにそらちゃんは、幸せそうだった。
「さあ、帰りましょう」
「うん」
片付け終えると、僕たちは墓地を出た。
ハニューシカさんとそらちゃんは、あの段ボールの家に帰るのだろう。ハニューシカさんが宇宙に戻るまで、親子水入らずの時間を、存分に過ごして欲しい。
しっかりとそらちゃんを抱っこするハニューシカさんと一緒に駅まで歩いて行ってそこで別れた。
「じゃあね、そらちゃん、またね~」
「ハニューシカさん、またね」
「はい、お二人とも、今日はありがとうございました。失礼します」
ハニューシカさんは駅に入って行った。
僕たちはハニューシカさんとそらちゃんがホームに上がって姿が見えなくなるまでそこにいた。見えなくなるその時、
「そらちゃん、ばいばーい!」
と柚が呼ぶと、ハニューシカさんが小さくお辞儀をした。
それが、僕たちとそらちゃんの別れになるとは思いもしなかった。




