48.出産します
娘を置いて行くと言ったあとの、沈黙が続きました。このあとどうやって何を言ったら良いのか分からないくらい、自分のことなのに、私は考えがまとまりませんでした。
何か、彼らから言って欲しい。私を責める言葉でも、何でも受けますから、言ってほしいのに、彼らも言葉が出ないのでしょう。何か、言わなくては・・・
「あの、すみませんでした。もう、娘のことは、諦めますから、由さんと柚さんも、忘れてください」
「もう良いんですって、そういう意味。だったの」
由さんがやっと聞こえるほどの声で言いました。
彼の手が小さく震えていました。
感情豊かな日本人。私は彼がどうして震えているのか分かりませんでした。怒っているのでしょうか。彼らが娘のことで協力しようとしているのに、私だけが星に帰ると言ったから。
「すみません」
だから、謝るしかありませんでした。
「連れて行けないのね」柚さんが小さな、いたわるような優しい声で言いました。「そうよね、連れて帰れるくらいなら、最初から殺そうとなんてしないわよね」
私のことを責めているわけではないようでした。私の星のことを、ちゃんと分かって、その上で私のことを気遣ってくれているのです。
「はい・・・ですから、せめて、日本で幸せに暮らせるように、してあげたかったんです」
私は自分の声が震えているのがわかりました。また感情が変な風に昂っていて、どうしても冷静な声が出せませんでした。
柚さんは、うつむいた由さんの背中に手を置いて、そして、その目からポロリと涙を落としました。
それは、泣くという感情ですね。
人間は、嬉しくても悲しくても、感極まると泣くそうです。そう習いました。しかし、私の星には、そんな人はいません。勿論喜怒哀楽は普通にありますが、感極まって泣く人を見た事がありません。実際自分も、日本に来て初めて泣きました。その感情の強さに自分でも驚くほどでした。
私が泣いたのは、最愛の娘を諦めるという、苦しみのせいでした。では、彼女の涙のわけはなんなのでしょうか。
「ハニューシカさん、悲しいわね。せっかく助けた娘さんと別れなければならないなんて」
柚さんがそう言うと、由さんが「う」と小さくおえつを漏らすのが聞こえました。彼も泣いていたのです。私と娘のために、泣いてくれたのです。
温かで優しい日本人。
ここになら、娘を置いて行けます。
「今まで本当に、ありがとうございました」
私は出しっぱなしになっている本を片づけに行きました。
本を片づけて、彼らのいる大きな机に戻ってくると、由さんは、自分たちの出した本を片づけに行っていました。柚さんは、お二人の道具を片づけていました。
「それで、娘さんはどうするの?」
柚さんはさっぱりと聞いてきました。
「どうする、とは?」
「だって、ずっとあのまま木の中に入れとくわけにいかないでしょう?どうするの?」
「勿論、出産します」
「出産!?」
戻ってきた由さんと柚さんが素っ頓狂な声を出して叫びました。
「シー!」
周囲の人が睨んでいます。さすがに、昼近くなって、いつの間にかこの階にも人が多くなっていました。
由さんは小さくなって、ペコペコ頭を下げていました。
「出産って言うんじゃないんですか?」
「あー・・・ああ、まあ、そうだよね。産むことを出産って言うもんね」
柚さんが何度も頭をフリフリしていました。
何か、表現が奇怪しかったですかね?でも、他に何て言うんです?日本で言うところの、子宮である試験管から産まれてくるのでしたら、出産以外に言いようがない気がしますが。
「じゃあ、出産はいつにするんですか?」
由さんが何かちょっと赤くなりながら聞いてきました。
「そうですね・・・今日、これからしましょうか」
そういうことで、私たちはまた、あのお寺の裏の高台に行くことにしました。