47.長生きだねぇ
ハニューシカさん一人称語りです。
私は随分と思い違いをしていたようです。
日本は私の星ほどではないにしても、医療は進んでいると思っていたのです。だから、うまくいけば娘の寿命を少しでも伸ばすことができる、何かがあるんじゃないかと思っていました。しかし、根本的に違いました。日本人はまず、内臓が1つずつしかないらしいのです。内臓が2つ、つまり予備はないわけです。
では、1つ目の内臓が最初からダメだったりしたらどうするのでしょう。その時点でアウトじゃないですか。
「ひとつ聞いて良いですか」
「何?」
「日本人の寿命はどのくらいなのですか?」
「寿命?そうねー、80年くらいじゃない?女の人の方が長いらしいけど」
柚さんは由さんをチラリと見ながら言いました。
「80年ですね?1年は何日ですか?」
「365日」
お二人で同時に教えてくれました。
「80×365で29200日ですね」
「計算はや!」
「4年に一度、うるう年があって、1日増えるんだよ。だからプラス20日するんです」
「80年で29220日ってことですか・・・」
短いですね。とは言えませんね。でも、短いです。私の星での寿命はだいたい6万日ですから、半分以下しか生きていないようです。
「日本の寿命は世界一なのよ?北の方だと、60年くらいってところもあるらしいし」
「21905日ですね」
「計算はや!」
「柚、いちいち言わなくて良いよ。ハニューシカさんの星はどのくらいなの?」
一瞬どうしようか迷いました。本当はこういう情報は言ってはいけないのです。でも、もう彼らなら良いでしょう。
「私たちは6万日が目安です。99%の人間が6万日以上生きます。残りの1パーセントの人も数日足りないくらいで、だいたい6万日くらいは生きているものです」
「長生きだねぇ」
お二人は神妙な顔をして感心するように頷き合っていました。
何か、私の価値観が変わるような気がしました。
平和で健康で6万日を生きる私たち。学問にも優れ、技術も発達し、文化の栄える星です。充分に楽しんで生き、そして寿命をまっとうすると眠るように死んでいきます。
素晴らしい星だと思います。
しかしその裏に、何か釈然としないものがあるのを、日本に来てから気づいたのです。
感情豊かで他人のことを思いやれる柚さんと由さんを見ているだけで、それがわかります。私の星で、誰がこんなに他人のために親身になるでしょうか。伴侶である妻のことですら、私はそんなふうに労わったりしたことがありません。それが普通だと思っていました。でも、日本人のほうがずっと人間的だと分かります。
素朴で温かい日本人。
平和で健康で6万日を生きる私たち。
そして・・・6万日を生きる可能性のない子どもを淘汰する私たち。
どちらが正しいとか間違っているということではなくて、価値観が覆されるような気がしました。
私は娘に何をしようとしているのでしょう。不可能だと分かっていながら、娘の身体を少しでも治し、しかしその娘を置いて星に帰ることを考えている自分が、何だかひどく愚かに思えました。
6万日生きることがそんなに大事でしょうか。それよりもっと大事なものがあるように思えるのです。でも、私にはそれが何だか分かりません。
私は、星に帰りたいですし、妻にも会いたいのです。
なんのために娘の身体を治そうとしているのか、わからなくなりました。
「私たちはね、たとえば心臓が悪かったりすると、人工心臓を使ったりするのよ」
「あ?ああ」
柚さんの声でわれに返りました。なにかボンヤリしていたみたいです。
「ハニューシカさんの星に、そういうのはないの?」
「ありますよ。医療技術が高いですから、人工的に臓器を作ることは難しくありません」
「だったらそれでなんとかなるんじゃないの?娘さんは、内臓一応ひとつずつあるんでしょ問題なさそうだけど」
「それはそうですが、もともとなかったところに移植するというのは聞かないです。あるものが悪くなった場合に移植するのが普通ですから」
「ふうん」
お二人は腑に落ちないようでした。
「ねえ、僕の腎臓、ひとつあげようか?僕の腎臓、健康だからあげても大丈夫だよ?」
さきほどから、何か居心地悪そうにしていた由さんが、真剣に私を見ていました。
「僕の腎臓ね、すごく珍しくて、3つもあるのにみんな健康なんだって。だから、誰かにあげることができるんだよ。僕それが怖くて、今まで考えないようにしてたんだけど」
「ハニューシカさんのためなら、頑張れるわよね?」
柚さんが言葉を継ぐと、二人で私を見て頷きました。
なんてことでしょう。
他人のためにそこまでできるものですか。どこも悪くないのに、自分の身体を開いて、私の娘のために腎臓をあげようと言うのです。
彼らは3万日も生きないというのに、私の娘が6万日生きるために、自分の腎臓をあげると言うなんて、信じられませんでした。
「とんでもないです。由さんの腎臓なんですから、由さんが長生きしてください。でも、移植という考えもあるって、覚えておきますよ。その辺も少し調べてみようと思います」
由さんはホッとしたように微笑んでくれました。やっぱり他人に臓器をあげるなんて、怖いですよね。
私の星でも、生きている人間の臓器をあげることはありません。寿命をまっとうした人の臓器ですら使いません。もう古くなっていますから。私の星で移植するのは完全に人間の手で作り出したものです。それでも普通の臓器となんら変わりはありませんが。
だから、由さんの申し出は本当に驚きました。
彼らはこんなに私のことを心配してくれて、協力しようとしてくれているのです。
今日、図書館に来たのだって、私のためです。
それはとても嬉しいことです。こうして私のために、腎臓をあげるとまで言われるほどに、私は彼らに親しい友人だと思われていることが、本当に嬉しいのです。
だから、私が考えていることを言ったら、きっと軽蔑されるでしょう。
「由さん、柚さん。私は昨日、手紙をもらったんです」
「うん」
唐突に話しはじめても、二人は驚かずに聞いてくれました。
「あれは、私の故郷からの手紙でした」
「うん」
「そこには、恩赦という文字が書かれていて、私が抹殺しなければならない子どもを盗んで逃げたことを許すから、星に帰って来いという命令が書かれていました」
「うん」
「だけど・・・娘は、置いて行かなければなりません」
「え」
「そういう命令なんです」
私の声は、自分の声とは思えないほどに低い声でした。
その声を聞いたお二人は、私の右目と左目をキョロキョロと交互に見やっていました。
重い空気が流れて、私は息苦しくてたまりませんでした。




