43.この絆創膏なら
私は傘を出し、二人が濡れないようにさしました。ちょっと狭いですし、暗いですが、ないよりいいですよね。
ナベさんは、雨など気にしない様子で、下を向いて低い声で言いました。
「実は、ウチの会社、倒産するんだ」
「え?」
ナベさんの会社は、『アメイジング・グレ椅子』という会社で、その名と同じ商品名のユニークな椅子を売っている会社なのです。
「材料のグレが採れなくなっちまって、グレを使った椅子が作れなくなっちまったんだ。そういうことだから、せっかく毎月、Uさんが持って来てくれるあの不思議なネジも、もういらなくなっちまったんだ。すまねぇな」
「そうだったんですか」
「そんで、ウチの従業員をさ、これからどうするか考えていたら、ついボンヤリしちまって。悪かったな」
「いえ・・・でも、大変ですね」
「まあな。ま、ヤツらは立派な職人ばかりだ。どこに再就職しても大丈夫さ。だけど、一番良いところを紹介してやりてぇじゃないか」
「ナベさんが、就職先を紹介するんですか?」
日本はそれが普通なのでしょうか。私は思わず聞いてしまいました。
「そりゃそうだ。ウチがつぶれたからって、俺の大事な社員だからな。最後まで手を尽くして、送り出してやりたいんだよ」
「そうですか」
ナベさん、素晴らしい社長ですね。
私は心が熱くなる気がしました。自分の会社が潰れると言うのに、社員のこれからのことを親身になって考え、“最後まで手を尽くして送り出してやりたい”というのですから。
自分のことも、社員のことも哀れに思わないのでしょうか。それとも、そんな考えをもうとっくにし尽して、だからこそ得た思いなのでしょうか。
どちらにしても、非常に前向きで、何よりもナベさんのこの社員に対する愛情が素晴らしいと感じました。
最後まで手を尽くして送り出す。それをすれば、きっと後悔も少なくなるでしょう。
「ナベさん・・・血が出ていますよ」
ナベさんの手には今の騒ぎでできた傷が血を流していました。それに、ズボンも破けてしまいました。
「ああ、これっくらい、たいしたことねぇよ」
「いえ」
私は鞄から絆創膏を取り出し、血の出ているナベさんの傷口に貼りました。また、破けてしまったズボンにも貼りました。
「お?こんなとこに貼ってもしょうがないだろ」
ナベさんはズボンを見て笑っています。
しまった。つい、ズボンの破け目にも貼ってしまいました。この絆創膏、衣服の傷も直すんですよ。でも、言わない方が良いですね。
「あ、すみません。でも、ほつれてきちゃいますから、お家に帰るまで貼っておいてください。傷も、この絆創膏ならすぐに治りますよ」
「ああ、すまねぇな」
ナベさんはそう言うと、立ち上がり、ズボンについた土を手で払いました。それから私に手を出しました。
「えっと」
この手、どうするんでしょうか。
私が戸惑っていると、ナベさんは私の手を両手で握りました。あたたかい、ゴツゴツとした、よく働く職人の手です。
「今までありがとう。また、どっかで会ったらよろしくな。元気でやってくれ」
ナベさんは、頑固そうな顔をさらに真面目にして、少し詰まったような声で、私に挨拶をしてくれました。
お別れの挨拶を、しているのだと分かりました。
彼の会社は無くなり、従業員もいなくなる。取引をしていた私ともお別れで、きっともう、会うこともないでしょう。
つまり、誠意をもって、握手をして、別れの挨拶をしているのです。
日本人の心意気は、なんてカッコいいのでしょうか。
「はい、ナベさんも、どうか、お元気で」
私も、挨拶を返しました。
彼に負けないように、カッコよく言えたでしょうか。
彼のことを思うと、つい言葉が上手く出てこなくて、つっかえつっかえの挨拶になってしまいました。
それに、私はもうすぐ、星へ帰るでしょう。どこかでひょっこりお会いすることなどなくなるのです。二度と会うことのないナベさんとの別れの挨拶が、人と人との交差する大切な時間だと言うことを痛いほどに感じました。
「じゃ」
「はい」
ナベさんは片手を上げると、さっぱりとした顔をして歩き出しました。もう、私の方を振り向かないで、陸橋を下りて行く後ろ姿を見送りました。
社長として歩く彼の後ろ姿は、たとえ会社が潰れても、まだ社員のことを思いやる、逞しい背中でした。
手を尽くして送り出してやる、と言った彼の言葉を思い出し、私もまだやれることがあるのだと急に思い立ち、急いであの段ボールの家へ戻りました。