35.冷蔵庫の陰
おじさんがいなくなると、柚がハニューシカさんに小声で言った。
「150万円じゃ安いって!」
「え、でも・・・もっと高いと売れないんですってば」
ハニューシカさんは、ちょっとタジタジとしていた。
僕は気になるので、もう一度あの冷蔵庫を開けてみた。やっぱり中に変わったところは何もなかった。普通の冷蔵庫だ。ハニューシカさんはそんな僕のことは全然気にしていない。だから、冷蔵庫にしかけがないということは、まあ、わかった。
「だからね、ネーミングが悪いんだって。どこへでもドア、だと、勘違いしちゃうのよ」
「勘違い?」
「昔、そういう製品が出てくる漫画があったのよ。名前も使い方も似てるからどうしても戻ってこられると思っちゃうじゃない?そうじゃなくて、証拠を残さずに逃げられる扉ってことで売れば、絶対もっと高く売れるって!」
柚の勢いにハニューシカさんは小刻みに頷いていた。
「そうですかねぇ。でも、その名前じゃ長いですよ」
「良いじゃない、トンずらドアとでも言えば」
柚のセンスに関しては何も言わないよ。だけど、ハニューシカさんもセンスがないらしい。どうやらその名前が採用されようとしていた。良いのか、ソレで。
柚命名の「トンずらドア」は、とりあえず当初の値段400万円に戻そうと、柚が大演説をかましていた。別にどうだって良いじゃん、とは思うけど、まあ、面白いかもね。僕たちの非日常がこんな風に垣間見れるんだもんね。
さっきのチンピラのおじさんだって、非日常だけど、思ったほど悪い人じゃないみたいだったし。人間見た目じゃないよね。
僕たちは面白くなって、ついつい声が大きくなっていた。特に柚は、バナナのたたき売りでもしそうな勢いで喋りまくっているし。これならハニューシカさんに弟子入りして、立派な押し売りになれそうだよ。
その時だった。
ハニューシカさんがハッとした顔をして、両手を大きく開いて下に向けた。僕たちに声を落として、と無言で示している。
僕と柚は両手で口を押えた。そんなことしなくても口を閉じれば良いだけなんだけど、なんとなくそのほうがハニューシカさんにもわかるかなって思ったんだ。
ハニューシカさんは僕たちが口を閉じたのを見ると、すぐに頷いて、それから目だけをゆっくりと出入り口の布に移した。
あの布が、なんだろう。
僕はなんだか急にドキンと身体が緊張するような気がした。
ハニューシカさんは人差し指で、冷蔵庫の陰を指した。僕たちにそこに行けと言ってるんだ。それって隠れろってことだよね。僕たちは頷いて、静かに移動した。そんなところに移動したってこんな小さな部屋だから、誰かが入ってきたらすぐに僕たちがいるってわかっちゃうだろうけど、それでも言われた通り、そこで身を隠すようにしてジッとすることにした。
それを見届けると、ハニューシカさんは出入り口ににじり寄って、布に手をかけた。
誰かがいるんだ。
見張りだ。僕たちはすぐに分かった。
ハニューシカさんの道具の話なんて、大声でしてはダメだったんだ。分かっていたのに、つい楽しくて大声出していたんだ。
でも、しょうがない。やっちゃったことだし。
ハニューシカさんはどうするんだろう。何か罰をうけるんだろうか。僕たちが今すぐ抹殺されるなんてこと、あるんだろうか。それとも、初めてのことだし、警告を受けるだけにしてくれないかな。どうなんだろう。未来のことなんてわかりゃしない。
ハニューシカさんは、布を持つと、ためらいもなくバっと開いた。
「うお!?」
外から野太い男の人の声が聞こえた。
「あ!」
ハニューシカさんも、驚いた声をあげていた。
誰?誰なの?監視の人なの?なんなの?僕たちは冷蔵庫の陰にジッとしながら、そちらを見ることもできないで、ただ声だけを聴いているしかなかった。




