30.冷蔵庫が二つ
禁断のブルーシートゾーンを僕はビクビクしながら歩いた。だって、柚は道じゃなくてブルーシートの間を歩いて行くんだもん。そっちは他人の家だぞー。公園だけどさ。
柚はキョロキョロと歩いて行って、ある段ボールハウスの前に立った。近所の段ボールハウスに人はいるのだろうか。昼間だから誰もいないのか、寝ているのか、とにかく静かではあった。それだけに、音を立ててはいけないんじゃないかと思って、僕は柚に話しかけるどころか息も吸うだけに留めておいた。
それから柚は屈みこむと、その段ボールハウスの入口にかけられた布を、チラリとよけて覗いてみた。
え、良いわけ?他人のウチ、勝手に見て。てか、コレが本当にハニューシカさんの家なわけ?一体彼は何者なんだよ。ホームレスだったの?それよりも、全然違う人の家だったらどうすんのさ!
僕はもうドキドキしちゃって、さっきから吸い込んだ息で肺がいっぱいになっちゃってて、溺れそうな気分だった。とにかく肺をなんとかしなくては。と、息を少しずつ吐き出す。それがまた苦しくて、ひとりドキドキしたりハァハァしたり、変態丸出しだった。
柚はすぐに立ち上がると、厳しい顔で僕の方を向いた。それから無言で首を振った。
「違ったの?」
僕は小声で聞いた。はなっからココがハニューシカさんの住処だなんて信じていないからね。だからそう言ったのに、柚はなぜか威張った顔をしてみせた。どういう意味だよ?
「いなかっただけよ。いいから、由も見てみてよ」
良いのかな。誰もいない家、勝手に覗くなんて、イケナイことじゃないの?だけど柚の迫力から嫌だとは言えない雰囲気で、僕はしかたなくその段ボールハウスを覗き込んだ。
すごく緊張していて、手が冷たい。しかも冷たいのに汗ばんでいる。その手で、そっと分厚い布をよけた。
思ったよりもずっと広い部屋。立派な布団が一式、きちんとたたまれている。奥の目に付くところにはテレビとパソコン類が並んでいる。他にも何に使うのかわからないような機械がいっぱいある。なんだろう、レコーディングスタジオみたいな感じ。それから布団と反対側に、小さな食器棚みたいなのがあって、冷蔵庫が二つ置いてあった。二つも?
っていうかさ、電気通ってるの?
なんて馬鹿なことを考えたとき、その冷蔵庫の小さい方の扉がキュウという高い間抜けな音を立てて開いた。
あまりにもいきなりだったので、僕は立ち上がることも隠れることもできず、ただ目をひん剥いてその冷蔵庫の扉にくぎ付けになった。
勝手に開く冷蔵庫の扉。
建付け・・・じゃなくて、中に物詰め過ぎてるとか?いやいやいや、冷蔵庫って結構ピッタリくっついてるよね?一度閉まればそう簡単に開かないよね?人間が開けなきゃ開かない・・・よね?
誰に確認しているんだ、僕。
冷静になる間もなく、冷蔵庫からハニューシカさんが現れた。
バッチリ僕と目が合って、冷蔵庫の扉から屈んで抜け出そうとする変な恰好のハニューシカさんと、布を少しだけよせてチラ見状態の癖にガン見している僕が見詰め合った。
息が、できない。
「ちょっと?由、もう良いでしょ?何固まってんの?」
背後から柚の声が聞こえた。だけど、なんだか夢の中で聞こえているようなぼんやりした声で、僕はその声を認識するのに時間がかかった。
だから、柚の方が待てずに、僕の横にしゃがみ込んできた。そして、僕の手から布を奪うと、中を見ずに閉めてしまった。
閉めた。
僕がその布から目を離せないでいると、柚が呆れたようにため息をついて立ち上がった。僕の腕を持って立たせようとしている。だけど、僕は動けなかった。ううん、動かなかった。
中にハニューシカさんがいるって柚に教えたい。
「ゆ、は、いるって!いるって、中!」
「はい?何?もう行かないと周りの人に見つかっちゃうよ」
柚は僕の言葉が理解できずに僕を立たせようとする。だけど僕は首を振って動かない。そりゃそうだ。ハニューシカさんが冷蔵庫から現れたんだから。柚に言わなきゃ。
「中、中!」
僕は必死になって、中を指さした。
柚は怪訝な顔をしながらも、僕が何かを伝えたがっていることを分かってくれたらしい。もう一度しゃがんで、布をチラリとめくった。




