22.少しほっそり
私はお客さんに、まつ毛美容液の紫色の小瓶を手渡しました。うんうん、見てる見てる。このくらい距離感があったほうが良いですよね。
「あとはいつものクリームでよろしいですか?前回のジェルの付け心地はいかがでしたか?」
そう言うと、彼女はハッとして、また私に顔を近づけてきました。だから、近いですってば!
「ねえ、私、少しは痩せたかしら?」
近すぎて、痩せたかどうか見えません。むしろ近すぎて大きいです。
「そうですね、少しばかり、ほっそりされたようですが、いかがですか?」
「そう?少しほっそり?あのジェル、あんまり効き目がないような気がしたんだけど、頑張って塗った甲斐があったみたいだわ。でも、もっと早く痩せないかしら?」
そう簡単に痩せるもんですか。
「そ、そうですね、あのジェルは、気持ちが大切なんですよ。ジェルを塗る時だけ、痩せようと思っていてもダメなんです。歩いている時や、お喋りしている時、それに食事の時も、痩せようと心掛けていなければ、あのジェルの効果はでません」
つまり、食事にも気を付けてくださいということですよ。そうすりゃ、ジェルなど塗らなくたって痩せますよ。
「そうよね~、Uさん、こないだもそう言ってたものね。でも、どうしても忘れちゃうのよ」
当たり前です。塗るだけで痩せるようなラクをするような人は、そういうことを忘れちゃうから痩せられないんですよ。もっと普段から痩せようと気をつかえなきゃ、何やったってダメですってば。とは言いません。
「でも、少しは効果があるようですから、諦めないで続けてみてください。何事も、継続は力ですよ」
「そうよね、続けるわ。じゃあ、ジェルは2本ね。あといつものクリームと、そのまつ毛のをいただくわ」
「毎度ありがとうございます」
売上上々です、今日もジェル2本!金額は・・・
「本日は36万3千円でございます」
「はいはい・・・はい」
すごい、毎度思うけれど、その大金が財布に入ってて、すぐにポンと出せるって、どういうことなんですか。という表情は見せずに、淡々と頂きます。
「はい、確かに。毎度ありがとうございます。奥様、ジェルですが、二の腕や背中にも塗ると効果がありますよ」
「まあ、そうね!さすがUさんだわ」
「ではまた、ひと月後にまいります」
そう言って立ち上がろうとしたのに、また彼女は私の手を握っていました。なんでいつも、手を握るんですか!
「まあまあ、そんなに急がなくたっていいじゃな~い。もう少し美容のこと、教えてくださいな」
「え、ええ?いえいえ、私よりも、美しい奥様の方がお勉強されていますから、私がお教えできることなんてありませんよ」
う、腕が抜けない!ぬ・け・な・い!引っ張ってもびくともしません。
「だってね?なかなか痩せないし、Uさんしか、綺麗って言ってくれる人がいないんですもの」
「何、言ってるんですか。奥様がお綺麗だから、面と向かって言えないだけですよ。せ、センスも良いですし。あ、そうそう、私、また次回もこの服装で良いでしょうかね?」
私がそう言うと、やっと手を離してくれました。そして、少し顔をのけぞらせて、私のことを上から下まで眺めています。こ、怖いです、その視線。
「良いわ、その恰好が一番可愛いわ~。あ、写メ撮って良いかしら」
「だ、ダメですよ!やめてください」
ちょっと、ドコ触ってるんですか!
「良いじゃな~い、ちょっとだけ♡」
「やめてください」
私が手で顔を隠そうとするその手を、彼女が掴んだところで、玄関のカギがガチャガチャと音をたてました。
彼女は掴んでいた手を、パっと離すと、何事もなかったかのように玄関に座りました。
私も、この家の人が帰ってきたことが分かったので、すぐに少し乱れていたスーツを整えて、髪の毛も直すと、鞄を持って立ち上がりました。
玄関が開くのと同時に
「それではごめんください」
と言って、深々と礼をすると、彼女のほうもそっけなく首をスイと傾げました。
そして私が扉の方を向くと、この家のご主人と思われる方が私を睨んでいました。その横を小さく「失礼」と言ってスルリと通り抜け、私は玄関を出ました。
う、見てる。
ご主人が見てる。怖いです。見ないでください。
「まあ、あなた~、おかえりなさ~い」
という、お客さんの声が玄関の中から聞こえてきて、玄関の扉がパタンと閉まりました。扉が閉まってしまえば、私は他人です。
毎度ありがとうございます。またひと月後に・・・まいります。




