Chapter1-1
1
エリーザ・ラヴロックは生れて初めての法廷に立ち、貫録が香るシミを顔に持つ碩学な裁判官達の目線により威圧されていた。厳格で格式ばった大理石でできた最高裁判所の内装までもが彼女を虎視眈々と狙う獣のようであり、判決で絶望した数多の囚人たちの魂の叫びが時を越えて木霊しているようにも思えた。
だがエリーザは顔色一つ変えず、ただ淡々と事件への関連を否定し証言を続ける。尋問台の上で疑われることに対して汗一つかかない様は不気味だ。対して裁判官や検察達は眉間に皺を寄せ鬱々とした苛立ちを露わにしていた。決定的な証拠を見つけられないことも然ることながら、無罪の者が誰しも持つ潔白を証明しようという誠実な叫びがないことから罪を犯していることを道理ではなく長年の直感が人差し指を突き立てて大声で捲し立てているのだ。にも関わらず直感は何一つ証拠として認められることは無く意味を成さないことに憤慨せざるを得なかった。
一方でエリーザの弁護士であるテリー・ポニファッチオは先ほどから頻繁に水を口にしていた。幾度となく水を口に運んだところで、直ぐに緊張の所為か乾いてしまう。彼の思うところ裁判の行方は今のところが無罪を獲得することが確定だろう。彼女の罪を誰も立証できないからだ。裁判官と検察の両手両足の指を合わせても足りないほどの犯罪の疑いがかけられても、一つの証拠もでなかった。またあの尋問台に立つ実年齢よりも十ほど若く見える三十中半の見た目は無垢な女性が、リベルタリアを代表する四つの大勢力の一つ、犯罪組織ラヴロック・ファミリーのドンであるという証拠も墓場の死体が喋るか、誰かが沈黙の掟を破るかしなければ到底掴めやしない。完璧に彼女はナイトクラブの組合の人の好さそうなオーナーであり、合法世界に生きる人間にしか見えなかった。
だが最高裁判所の内部では空気が張りつめ、テリーは緊張を余儀なくされていた。彼は常に実現し得ない最悪の可能性についても思考を凝らす人間である。ゆえに彼の頭の中では、常にエリーザがラヴロック・ファミリーのドンという証拠が発見され、有ろうことか先代国王殺しの濡れ衣を着せられ、電気椅子送りになる未来が鮮明に映されている。そして自分はファミリーの一員として、有りもしない罪で逮捕状を出され牢屋か、最悪自分も電気椅子送りになるのではないか。
現在この国、リベルタリアを取り巻く環が一変しつつあり混沌とした状態に置かれていた。その原因一つはマフィアだった。リベルタリアは大西洋に浮かぶ島国で、この島は紀元前五〇〇年頃にイタリア半島中部の覇権を握っていたエルトリア人が嵐に流され漂流した末に発見されたものだった。その後イタリア半島ではローマ人によってエルトリア人の国王が窮地に立たされた時、王族の一部をこの島に移住させたのがリベルタリアの前身である。そこから国王は失脚、リベルタリアには多くの人が移住し、ローマ人は航路を知らず追跡することができなかった。こうしてリベルタリアという王政国家が生まれしばらくは他国から侵攻されることなく、栄えていったが、時が経つとイングランドやスペインから幾度か侵略を受け、過去を忘れローマ人と同盟を結び抑止力を備えた。その後も歴史の流れと共に公用語を英語に変更したり、多くの移民を受け入れていくことで国は着実に発展していきヨーロッパ有数の先進国家となった。だが先見の明を持つ先人達も、紀元前より開拓された航路の上に位置し今もなお深い交流があるシチリア島からマフィアと呼ばれる存在が流れてくることまでは予見できなかった。彼らはリベルタリアに溶け込み、上手く商売をするようになった。これが政界の老いぼれや国王の頭痛の種となり、結果としてリベルタリアを取り巻く環境を変えていっていたのだった。
また国王殺害もリベルタリアを混沌に陥れたことは火を見るより明らかであった。第二次世界大戦でリベルタリアは戦争に直接的に関与せずに、兵器ビジネスで経済を発展させていた。大戦後、とあるアジア人がリベルタリアに降り立った。彼は貧困な民衆の心を巧みに操り革命軍を発足させた。そして白昼堂々と王都を襲撃し国王を討ったのだった。しかし革命軍はすぐに軍に制圧され、首謀者のアジア人も何者かに殺害された姿が見つかった。彼は真珠湾に奇襲を仕掛けた日本の元軍人で、故郷に原爆を落とされ家族を奪われた同情されるような男だった。またアメリカが落とした原爆は当時国産の物は未完成で、リベルタリアが売り渡したものだったのだ。これは極秘で外部に漏れるはずの無い情報であったが、彼は知り復讐を誓った。憎しみが兵器ビジネスを推進する当時の国王を殺したのだった。国王殺害と一時的な王都の制圧により、リベルタリアは国力を削がれた。多くの国からは内乱により、中枢部がすぐに麻痺してしまう貧弱な国家のレッテルを張られ、民衆の不満は募っていくばかりであった。
国力を取り戻すには危険な勢力を潰さなければならない。新たな国王はそう考え、国の治安の為という大義名分の元、マフィアや犯罪組織などを一斉に摘発し国を巻き込んだ一世一代の“大掃除”に乗り出していたのだった。
「しかしながら、私からも申し上げたいことがございます。よろしいでしょうか?」エリーザが判事からの一方的な質問責めを掻い潜り、法廷が始まって初めて意見を述べようとした。判事は不服なのか、黙り込み彼女は再び口を開いた。「私は殺人や違法取引など多くの容疑でここに立っています。どんなに多くの容疑をかけられようとも、私は愛する母国の為に喜んで全てを正直に話します。ですが先程からみなさん、私に同じ質問を何度も繰り返ししているように思えてしまうのです」
検察が腹を立てて異議を唱えようとするが、判事に制止された。「続けて下さい」と判事が言った。
エリーザは頭を深く垂らし、最大の敬意を判事に示すと続けた。「それがみなさんのお役に立つことならば幾度でも話しましょう。しかしながら書記の方がこう何度も大欠伸をかくならば自分のやっていることが馬鹿らしくなってしまいます」書記が判事に睨まれ、凍えるように震え上がった。「無理を承知でお願い申し上げますが、書記の方が欠伸をかかずに職務を全うできる尋問をお願い申し上げたいです。以上です。ご無礼申し訳ございません」
テリーはエリーザの発言が訝しかった。常に他人を挑発することがない彼女が態々注目を集め、また判事達の癇癪に触れるようなことを言うなど正気の沙汰でないのだ。しかし彼はすぐに彼女の考えを理解した。
判事が休廷し、裁判を延期することを決めたのだった。エリーザは国の“大掃除”の為に、まだまだ裁判が残っている現状と、判事達が国の看板を背負い席に座る者としての公序良俗が正されていないことに着目した。そして彼らの“汚点”を指摘することで、残りの裁判でその者を用いることができないようにしたのである。責務を背負い裁きを与える者たちが、自らの職務を全うしていないともなれば国民からの反感を買うことになる。国王はそれを最も恐れ、彼らも重々承知している。だからこそ汚点が指摘されたともなれば、法廷に今後何食わぬ顔で出席することはできない。今回は書記だったものの、これが判事ともなれば大問題に発展しかねない。
エリーザは自分が言葉を紡いだとき、判事を批判できる材料の一部をちらつかせた。効果は絶大で、休廷して間もなく彼女に対する全ての容疑が拭われた。その後、数多の罪の容疑をかけられたことに対し、顔色一つ変えない彼女を国民の多くは称賛した。