憤怒の精霊《イフリート》
※R15
一部凄惨な展開があります。苦手な方はご注意ください。
陣は光彦の様子に只ならぬものを感じ、光彦にバリゲードを作れと言い放った後、嫌な予感を抑えることが出来ず建物を飛び出した。
辺りには正気を失ったかのような政府軍の兵。既に亡くなっている村民へ更に打擲を加え、閉じ籠もっていた老人を引き摺り出し殴打を加えていた。遠く聞こえる女性の悲鳴は、何をされているのか考えたくもない。少なくとも彼等は国を代表する『正規』兵の筈なのだが、その所業はまるで賊や狂人の類。まともな神経の持ち主だとはとても思えない様子だった。
発狂したかの如き正規軍の兵を、陣は擦り抜けざまにククリナイフで切り裂いて行く。
最早、足止めなど悠長な事は言っていられない。首筋、脇の下、内腿と人体に於ける急所を躊躇うこと無く切り裂き、落命を見届けること無く次の兵に向かいながらもサーシャを探す。
速く、もっと速く。その一念で持って振るうナイフの動きは最適化され、地獄に叩き落とされてより3年の月日が陣に結実を促す。その疾さ、正に疾風の如し。吹き出る血飛沫を浴びることも無く、その速さに銃の照準を合わせることを許さず。影のように、舞うかのように、敵を屠り去っていく。それは陣の焦りとは裏腹に、どこか美しさを湛えていた。
そして、陣がその疾さを、美しさを増せば増すほど、狂気に侵された筈の敵すらも、怯えた目で陣を見るようになった。
「どけぇぇぇぇぇ!!!」
今の陣にとって、弱心の敵など物の数ではない。気当たりに怖気づいた敵は逃走するが、逃げ出す敵等一顧だにせず、怯えながらも向かってきた敵は容赦なく殺されていく。
そんな周囲の様子にすら気付かず、下卑た笑みを浮かべ小屋の中を覗く兵がいた。
陣のククリナイフはその兵の首を跳ね飛ばす。痛みすら感じなかったのだろう、笑みを浮かべながら飛ぶ首は、凄惨でいて、どこかコメディのようだった。そして陣は、屋内へと続く闇へと身を躍らせた。
――そして、陣を苛み、その身に『鬼』を住まわせるに至る闇。運命の時が、来たれり。
急にやってきた雨季、その曇天は光を遮り、また稲光はその場を非現実のように見せていた。
娘を守ろうとしたのだろう。サーシャの母は娘の方へと血塗れの手を伸ばし、頭部に銃弾を叩きこまれ殺されていた。その凄絶な死に顔は、この世の全てを恨むかのようだった。
そして、その娘も必死に抵抗したのだろう。目を潰され、逃げられないように手足の建を断たれ、猿轡を噛まされ助けを呼ぶことも出来ず、未成熟な身体を5人の賊に犯されていた。初めて見るチャドル越しでは無い素顔はそれでも美しく、魂の抜けたその顔はどこか作り物めいて見えた。
ドクンッと、鼓動が一つ聞こえたような気がした。
「あああぁぁぁaaaaaaAAAAAA!!!!!」
魂すら手放すかのような、悪霊のような絶叫が響く。
手に持っていたはずのナイフは、ショックで落としてしまっていた。
だが、爪先を揃えた手刀は、既にして凶器。
微かな手応えだけを残し、賊の首を切り裂く。
―1人目。
「なんだこの小僧は!見張りは何をしていた!」
狂気が足りなかったのか、この蛮行に及んだ連中のリーダーなのか。
声を張り上げた男には胴回し蹴りを胸板に叩き込んだ。
鉄板入りの軍用ブーツはその頑丈さを遺憾なく発揮し、胸骨諸共心臓を破壊する。
―2人目。
手を抑えこんでいた二人の賊は哀れだ。罪悪感を緩和させ、凶暴性を煽るよう薬を飲まされ、しかしそれに湧いた頭では身構えることも出来ず、為す術無く頚椎を折られる。
―4人目。そして、最後の一人。
薬が効きすぎたのか、未だ周りの状況を理解せず、少女の幼い秘部に自分の物を捩じ込み腰を振っている男。
陣は、幽霊のように男の背後に立ち、トンと掌を背中に当てた。
陣、その時13歳。平和な国で暮らして行けたはずの少年が、これより修羅道を歩むことになる。その始まりでもあった。
権江より、そして烈より、修練を見て覚え、脳裏に焼き付くたった一つの争魔の業。
相馬流組内術:劫火徹し。その一閃。
男の背に当たった衝撃。本来軍の陣形すら徹してしまう程の威力を持つそれが、たった一人の中で荒れ狂う。
そんな物に、耐えられる訳が無い。
男の穴という穴から血が吹き出し、何があったのかも理解することなく絶命した。
時折稲光が照らす室内には、精神的な死を迎えつつある少女と、憤怒の少年だけが残された。
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少年は少女の、男達の吐き出した欲望に塗れた身体を清めていく。少女は微動だにせずそれを受け入れ、やがて声を上げること無く涙を流す。それは母が殺されたからか、我が身の純潔を散らされたからか、血を流しすぎ死を免れないのが分かっているからか、その全てからか。
『死にたいか?』
陣の喉は絶叫に潰れ、声変わり前の少年らしい声とは似ても似つかぬ嗄れた音になっていた。それは、地獄から響く悪霊の呼び声のようでもあった。でも、それでいい。彼女を看取るのは、陣ではない。『砂漠の悪霊』で、いい。
「殺してください」
感情の籠もらぬ声で少女が応える。
「イスラムを奉じる者は自分で死ねません。ですが母を目の前で殺され、純潔を散らされ、それでも生きていたいと思いません。だから、何方か分かりませんが、哀れに思うなら殺してください」
少年は流れそうになる涙を必死に抑え、腰のガンホルダーから銃を抜きセーフティーを外す。
少女が監禁された妹の監視者で無ければ、少年が生きることに精一杯な少年兵で無ければ、出会い方さえ違えば友となり、恋を語らうような関係にだってなれたかも知れない。こんな、傷つき、その止めを懇願されるような関係では無かったかも知れない。
少年は少女に、止めを刺すのは自分だと分からぬよう、声が震えぬよう告げた。それが、彼女にとっての救いであるようにと、胸中で祈りながら。
『その覚悟、見事なり。聖戦の戦士よ、お前の魂は違わず天国で待つアッラーの身元へと導かれる事だろう。母を殺し、貴様を傷つけた外道達は、私自ら地獄へと導こう。
私は精霊、砂漠に住まう精霊である』
少女は見えぬ目を閉じ、ほうと息を一つ吐き顎を上げた。
「神よ、最後に救いを与えて下さり、感謝します……」
稲光の轟音に紛れ、パンと軽い音が響く。
それは人の命を奪うには如何にも軽く、その価値の軽重を顧みない音はいっそ、陣にとっての救いであるかのようだった。
小屋の中からふらつきながら現れた陣を待っていたのは、暴力という名の狂乱に耽る悪魔達の宴。
陣の中から声がする。『少女を殺した連中が何故生きている』と。
「あぁ、そうだな」 ―ドクンッ
陣の中から声がする。『少女を殺したお前は何故生きている』と。
「あぁ、その通りだ」 ――ドクンッ!
陣の中から声がする。『諸共に皆殺せ』と。
「あぁ、殺そう。死ぬまで、殺そう」 ―――ドクンッ!!
そして、地獄の蓋が開く。
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見通しの良い小高い丘の上に、陣は一人シャベルで穴を掘っていた。
ここは砂漠ではない。山間に近く、何もかも連れ去ってしまう砂は、この地まではこない。
一人で掘るには辛い、大きな穴。しかも陣の体躯は未だ小さく、それを掘り切るのは大層な労力が必要だろう。だが、泣き言一つ漏らさず、陣は母娘の『墓穴』を掘っていた。
完成した墓穴に母娘を埋め、墓石代わりに花の種を撒く。
人づてに、彼女は花が好きだったと聞いた。ここでなら、砂漠で見るよりも長く花が咲き誇る事だろう。
それが彼女の安らぎになればいいと。
彼女の魂は無事に天国に行けただろうか。
そこが柔らかく暖かな場所であればいいと、空を見上げ祈る。
陣の背後には、あの悪夢のような襲撃から生き残った者達。
彼等も、母娘に黙祷を捧げる。その最期に、熾火のような怒りを隠しながら。
身動き一つせず空を見上げ続ける陣に、カルロが近寄ってその後の顛末を言った。
「お前さんが言う通り、あのコウダとか言うガキは日本大使館に放り込んできた。お前に会わせろと相当に喚き散らしていたぞ、ありゃあ職員も手を焼いただろうな。
事ここに至っちゃ俺等も軍資金が欲しかったがな。飢えても投げ捨てれられた餌を食うわけに行かないってお前の意見にゃ俺も賛成だ。まぁ、財閥の御曹司だって言うからな。もう危険も無いだろう」
そこまで話すと、唾でも吐きそうな顔でカルロは言う。
「結局の所、あの襲撃は政府とレツが手を組んで仕掛けた罠だった。薬で理性まで飛ばしやがって、形振り構わねえにも程があんだろうが。
裏切り者とお前さんの妹は、どこにいるか分からん。病的なまでに神経質に足跡を隠してやがる。だが、ここで一つ相談だ」
反応を見せない陣に、カルロは言い募る。
それは、不甲斐なかったカルロ自身への決別でもあった。
「俺等は、本格的に政府打倒を叶えるべく、これから決死の覚悟で作戦を開始する。
もうおままごと見てえな茶番は終いだ。刺し違えてでも奴等の喉笛を噛み千切ってやる。だがな、無駄死にだきゃぁするつもりはねえ。だからお前さんも来い、ジン。お前さんの戦力は当てになるし、あの地獄を見た奴じゃねえと俺達はもう誰も信じられねえ。
お前さんに足りない技術は、俺等が全て叩き込む。それはお前さんの血肉となり、いつか来るレツとの対峙に必要な力と成る筈だ。レツは確かに凄まじい戦士だったが、事「戦争」って意味じゃ俺等だって負けてねえ。
それにな、あんだけお前さんに拘ってたレツの事だ。お前さんが戦場にいれば絶対ぇ姿を現すはずだ。そうすりゃ、妹を助け出す機会だってきっと来る」
カルロの言葉に陣はゆらと立ち上がり、底が知れぬ目でカルロを見る。
その瞳は何も映してないようで、何もかもを映しているようでもあった。
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これより2年の後に、反政府軍と戦っていた政府は崩壊。新政府が樹立され、旧政府の悪行が陽のもとに晒される事になる。風見鶏な世論はその悪行に顔を顰め、新政府の正当性を後押しした。
その理由の一つに、彼等が決して蛮行を許さず、誘拐などの犯罪に手を染めることも無かった事が上げられるだろう。むしろテロリズムを許さず、反政府の言葉がビジネスに堕した者達すら敵視するという義賊的な行動をしていたことも大いに評価された。
そして、世界的に見ても珍しい『革命』が成った国として、稀有な事例を残すことに相成った。
本来であればいくら善行の上に成り立とうとも血で作られた国が評価される事など無かっただろう。だが、新政府の重鎮に収まった者達は、国の安定を見た後にその地に元々住んでいた部族と、行き場を無くした難民に政権を明け渡し、自らその姿を消した。その権力に固執しない潔い姿勢は大いに評価され、戦乱の続く周辺国を尻目に『平和を掲げる国』として長く続くことになる。
新政府樹立の立役者、後の初代にして最後の大統領に就任したカルロ・アジーズ。彼が元傭兵である事は有名だが、政府崩壊までの短い間、その傍らに『憤怒の精霊』と呼ばれる少年兵が居たことは、そしていつの間にかその姿が消えていたことはあまり知られてはいない。




