悪意
陣の誕生日から翌日、砂漠の地には待望の雨季が訪れた。
年に一度の恵みに村は沸き立ち、降り注ぐ命の水を全身で享受していた。これから砂漠は冬に向かい、最も過ごしやすい季節となる。
村の大人たちはこぞって水を集め、ささやかながら宴を開く準備に入っていった。
『ミズホ。雨季が来たからもうすぐ花が咲くよ。お外に出れなくても、摘んできてあげるから待っててね』
返事の無い水穂にそれでもサーシャは話しかけ、やがて来る季節に思いを馳せていた。
この恵みに狂喜したのは砂漠の民だけではない。未だしつこく村に残っている光彦にとっても、これは恵みの雨なのだ。
『これで風呂に入れるぞ!蒸し風呂も出来ないとかどれだけ今年の乾季は厳しかったんだか……。
まぁいい、風呂だ風呂』
長引く乾季によりハンマームと呼ばれる蒸し風呂すら禁止され、ここ暫くまともに汚れを落とす事も出来なかった光彦。日本と違い暑さの中に湿気は無いので思ったほど不快ではないのだが、何分砂埃が激しいのだ。風呂好きだという自覚こそ無かった光彦だが、さすがに綺麗好きな国民性の日本人。身体を清められないことはかなり辛かったのだ。
雨を見上げる者達の顔は総じて明るい。
この季節が束の間のものだと知っているからこそ、どこか村の雰囲気は幸せに浮き足立っているようにも見えた。
――彼等はまだ知らない。この地に恵みだけではなく、『悪意』という災厄も忍び寄っている事を。
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「おい!?一体どうしたんだよ!お前があんなミスするなんて……!?」
「……」
この日の作戦は今までの難易度を考えれば赤子の手を捻るかのような簡単なものだった。政府軍が極秘裏に育てていたカウンターテロの兵士を育てる養成所、『テロリストが少年兵を使うなら、我々も使えばいい』という理論から育てられた少年兵予備軍のキャンプを襲撃するものだった。
国際世論の顔色を伺う政府軍は当然だがこれを秘匿しながら行っており、大々的な拠点を作ることが出来ないことからも警備は手薄。武器弾薬といった兵装こそそれなりに整ってはいたが、主力となる相手は子供だ。歴戦の勇士であるカルロ達にとってお世辞にも難しいミッションとはいえなかった。
そのカルロの考えは当たっており、襲撃開始から30分後には拠点は半壊。
訓練に出ていた少数の部隊を残し政府軍は壊滅状態になり、陣はカルロ達と共に残党狩りに繰り出した。
本来なら異常を感じた兵は直ぐに対応した行動に走るものなのだが、やはりそこは経験の浅い訓練兵。程なくして訓練から戻る部隊を発見し、教官役の正規兵と少年兵に別けられ捕縛。年齢の近さもあり、陣は少年兵達の監視を行っていた。
同じような年齢の少年たちが、真逆の立場で同じ場所にいて問題が起こらないわけがない。ある意味、『ジンの事だから』と甘く見たカルロの誤算でもあった。
少年兵のリーダー格だと思われる男子が、陣へと話しかける。
「なぁ、お前。なんでテロリスト共なんかと一緒にいるんだよ。
東洋人みたいだし、どうせ攫われて言うこと聞かされてるんだろ?俺達と一緒に逃げようぜ」
「……」
「奴等だってここらへんの地理には詳しくないだろ。逃げに徹すれば子供だって言っても俺達の方が有利……って聞いてねえか。これだからアリババは」
「いい加減お喋りな口を閉じろムハンマド。黙らせたくなる」
この頃の陣にしては珍しく蔑称で少年を罵り、動けない相手に対して顔面を殴り飛ばした。
この怒りの理由は簡単だ。彼等は反政府軍の少年兵達と違い『志願兵』なのだ。そうせざるを得なかった理由が有るのかもしれないが、大多数は政府からの耳障りの良いアジテーションに乗せられ、なんの覚悟もなく地獄に踏み込んできた者達。その存在が、まるで誘拐されたまま流れでこの地獄にいる自分を見るようで、この上なく腹立たしい。
「おいおい。こりゃあ何があったんだ一体」
騒ぎを聞きつけてカルロが近付き、少年たちから陣が目を離した一瞬の事だった。
陣が殴り飛ばしたリーダー格の少年が、手を縛られたまま隠し持っていた手榴弾のピンを外し、手首のスナップだけで投擲してきたのだ。
「あぶねえっ!」
カルロの声で手榴弾に気がついた陣が、一か八かで手榴弾に蹴脚。それは弾丸のように飛び、捕らえた少年兵達の後方で爆発を起こした。距離の離れていたカルロは無傷、陣も丁度少年兵が壁のようになり軽傷しか負わなかった。だが、少年兵達の被害は甚大だ。リーダー格の少年は真後ろから爆風を浴び虫の息、他の少年たちも爆風と手榴弾の破片で致命傷を負っていた。
陣はそれを呆然と見ているしか出来なかった。今のタイミングでは、例え陣を殺すことに成功したとしても、少年兵達も道連れだろう。何の覚悟も無い筈の彼が、味方を巻き込んでまで何故そこまでしたのか。陣には分からなかったのだ。
「無事か陣。
あ〜あ、酷え有り様だなこりゃ。おいガキ、止めいるか?」
「テロリストの手を借りる程腐っちゃいねえよ……。
ラッバナ ラカ=ル=ハムド(私たちの主、あなたをたたえます)!」
少年は血を吐きながら絶叫し、その短い生を終えた。
陣は呆然と、少年達に止めを刺していくカルロを眺めるしか無かった。
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ミッション終了からの帰り、カルロはジンへと詰め寄っていた。
正直、今までの戦歴を考えれば今日のジンは余りにも『らしくなさ過ぎる』。
「お前らしからぬミスだな。大体、ボディチェックはどうしたよ?
それだけじゃねえ。死線へはやたら滅法鼻が利くお前が、目の前にパイナップルぶっ込まれるまで気が付かなかったってのもおかしいわな」
「ボディチェックは……忘れた……。他は、元々そんなもの知らない……」
カルロはぎょろっと目を剥き、驚いた顔で陣を見る。
もしかしたら自分達は、根本的にこのガキを見誤っていた可能性がある事に気がついたからだ。
「おいおいおいおい、ちょっと待ってくれよ。静音暗殺術のポジショニングは?お前独自の近接格闘術《CQC》はどうやって身に付けた?もしかしてAKの使い方は!?そもそもお前はどうやって敵を殺してた!?」
「カルロに教えてもらったこと以外は……知らない。生き残らないといけないから、必死だっただけ……」
「……っかー、マジか。お前、そんなんで今まで生き残ってたのかよ。あのインストラクターの息子だっつーからそっちで鍛えあげられてるとばっかり思ってたわ。
ある意味兵隊にゃ向いてるが、そんな知識で戦場彷徨いてたら、早晩死ぬぞお前」
厳しい言葉をかけながらも、カルロにも似たような覚えがあった。
自分自身がまだ新兵で、生き残るのに精一杯だった頃。ふと、「俺は何をやっているんだ」と素に戻ってしまう瞬間というのがある。この瞬間の油断から死亡する兵士が多かったことから『死神が呼んでるんだ』と新兵同士で言い合ったものだ。自分の技術に自信が持てるようになった頃、この現象は起こらないようになって行った。
ジンにとって、今がその時なのだろう。必死にカルロ達に食らいついて生き延びてきたが、先日の誕生日で自分が未だ13歳のガキである事を思い出してしまった。今の状況が異常であると素に戻ってしまった事によって、『日常という死神』が手を拱いて呼んでいるのだ。
ジンの才能は本物だろう、あやふやな知識でここまで生き残ってきた事からもそれは分かる。ちゃんとした先達が『間違わずに』育てれば、さぞ立派な兵隊に育つことだろう。問題はここら先、カルロがどこまでジンに技術を教え育てるかだ。カルロからすればそれは『仕事外』。勿体無い思いはあるが、無償でこのガキを育てる義理は無い。
軍用ジープの車内は重い沈黙に支配される。仲間も口を挟める雰囲気でも無く、車内はジープが発する硬いエンジン音が響くのみ。
そんな中、無線機からオープンチャンネルで報が入る。反政府軍はある程度のスパンで更新をかけながら特定のチャンネルを使用して連絡を行っている。それは政府軍にしても同じ事、秘匿性という意味でもオープンチャンネルを使う勢力というのは、少なくとも近辺には存在しないはず。
通信を受け持つ兵が無線機に張り付くと、その顔色はみるみると青褪め、その無線連絡が途轍もなく悪いものであることを告げていた。
「……なんだって!?おい!状況をはっきり伝えろ!」
「どうした!」
「む、村が……」
カルロが通信兵の胸倉を掴み問うと、彼は震える声で答えた。
「俺達の村が……正規軍に襲撃されている……。無線は、秘匿チャンネルを知らない、村民からだ」
「馬鹿な!あの村は隣国の支配地域にあるから正規軍には手が出せないはずだぞ!」
「知らねえよ!実際に襲われてるって言ってるんだからよ!」
カルロは逸る気持ちを抑え、冷静に運転手に「急げ」と指示を出す。
ジンの事もそうだが、どうにも流れが悪い。それこそ、悪魔が手を出しているような、そんな肌触りの悪さ。
陣にしても、その報は悪報だ。
あの村には守りたい人がいるのだ。共に拐かされた妹。短い期間ながら気の置けない関係を作りつつある同郷の少年。そして、自分達兄妹を大事にしてくれた少女。
陣の目が、徐々に覚悟に染まる。流されるのではなく、自らの意志で戦う決意を固めつつあった。
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村は地獄絵図の様相を呈していた。
正規軍は、国を背負う軍である事を忘れたかのように略奪に耽り、戦う術を持たない村人を蹂躙していた。
カルロをリーダーにする反政府軍の小隊は、村の手前で展開。
即時奪還を行うべく作戦を開始していた。
「ックソ!Desert1からDesert5までは中央から牽制!Reserd部隊とHound部隊は村左右から挟撃!相手は鴨撃ち気分で油断しまくってる、湧いた頭に銃弾という鉄槌を食らわせてやれ!
おい!ジン!お前何処に行くつもりだ!」
陣は水穂が監禁されている建物目掛けて、一人特攻を始めた。
成長期にありながら未だ小柄と呼べる体躯を存分に使い、地を這うように駆ける挙動を敵兵は捉えることが出来ない。今は大事な人を守ることが先決、殺す事が一義でない以上足止めで十分。敵兵の足をククリナイフで切り裂きながら、最速で進む。
水穂が監禁されている建物には、今まさに突入しようとする敵兵が屯していた。
「どけぇ!!」
陣の絶叫と気迫に一瞬気圧された兵を薙ぎ倒し、頑丈なドアを蹴破って侵入。
だが、その建物には水穂は既に居なかった。
こんな僻地にはありえない程整った設備、そして妹が居たであろう清潔な、清潔過ぎる部屋。
そこには、陣が探す人物の一人である光彦が倒れていた。
『おい!光彦!大丈夫か!』
『う……陣……か』
外傷もなく気絶してるだけなのを確認した陣は光彦に気付けを行い覚醒させる。光彦は呆然と頭を振りながら目覚め、現状を認識したのか取り縋るように陣に掴みかかった。こんな場所に居ても不遜が垣間見れる彼らしからぬ慌てように、状況の悪さを否が応でも思い知らされる。
『まずい!このままでは危険だ!』
『分かってる!だけど妹がいないんだ!』
『違う!彼女じゃない!』
まだダメージが残っているのか、光彦は震える手で陣の服を掴み告げる。
この襲撃がなんであったのかを、その悪意を。
『お前の妹は、お前の父親が何処かへ連れて行った!少なくとも彼女に今すぐの危険は無いだろう!
危険なのはお前の妹じゃない!サーシャだ!
この襲撃はお前の父親、烈による計画だったんだよ!』
――1時間前
展開する政府軍に、反政府軍の拠点となっていた村は絶望に包まれていた。
タイミングが悪いことに主力になる兵は不在。村に残っていた兵は大抵負傷しており、戦力という意味ではとても村を守れる程ではなかったのだ。当然、何時狙われるか分からない事情もあるのでいざという時の逃走経路は存在するのだが、露見しないよう隠されていたにも関わらずそちらにも政府軍がうろつき、逃げることも出来ない状態だった。
光彦は一人、善後策があるのかを聞くために烈を探していた。だが、司令室になっていた家屋にもその存在がなく、責任者不在の村は混乱の一途。まさかという思いで水穂が囚われていた場所に向かうと、今まさに水穂を連れ出し装甲車に乗り込もうとする烈とかち合った。
『どこに行こうというのだ!?お前はこのキャンプの責任者ではないのか!』
『……煩いガキだな』
烈は光彦を冷たく睨み、首を掴み持ち上げる。
その目は、同じ人を見る目ではない。路傍の石でも見てるかのようだった。
『お前や、あのなんて言うんだったか。そうサーシャとか言ったか。陣と友誼を結んだお前等は、奴を目覚めさせる贄になってもらう。そろそろ奴も、大事な者を亡くす経験をしておくべきだ』
『なん…の…話をしている……』
『元々この場はそのために誂えた。ここで芽吹かなくても、栄養くらいにはなるだろう。何、まだ水穂もいる。今回が駄目でも構わんがな』
烈は光彦を掴んだまま小屋の中に入り、ゴミでも投げ捨てるように部屋に放り投げた。
咳き込む光彦を気にした風も無く、面倒をかけさせられたと手を叩き見下ろす。
『陣が戻るまでは殺されないでくれよ。出来れば奴の前で、惨たらしく殺されてくれ』
烈はそう言い、光彦の鳩尾に蹴脚を叩き込む。
産まれてより初めて『本物』の悪意ある攻撃を食らった光彦は、耐えることも出来ず余りの痛みに気絶する。
遠ざかる意識の中、意図こそ分からないが、この政府軍の襲撃はこの男のせいだという確信を抱きながら。




