光彦との出会い②
襲撃は呆気ないほど簡単に進行しているように見えた。
曲がりなりにも相手は火器で武装した誘拐犯。敗北はせずとも幾らかの損害は覚悟していたのだが、敵は格好こそ『それらしい』ものの素人に毛が生えたような練度しかないようだ。散発的に反撃はしてくるが、見当違いの方向に撃ちまくるのみ。
あまりの手応えのなさに、逆にカルロは危機感を抱く。トントンと装着した通信機を指で叩き、仲間に状況報告を呼びかけた。
「こちらDesert1。各自状況報告」
『Desert2、対象までのルート確保』
『……ザザッ……。Desert3、こちらもOKだ。連中とんだド素人だぜ。撃ってくださいとばかりにライト振ってやがる』
「……。油断だけはするなよ?相手が素人でもラッキーショットはあるんだからな」
予想通り油断していた仲間に釘を刺し、返答が無かった陣へと個人通信を繋げた。
「ジン、そっちはどうだ?」
『Desert3が言ってた通りだろ……。武器振り回してるだけで相手は何も知らない素人だよ。こんな連中と律儀に戦う必要なんてない。さっさと人質助けて帰ろう』
「へいへい、お前も油断すんじゃねえぞ?通信終わり」
カルロは通信を切り、人質が取られている家屋を見据える。
相手は防衛点もまともに設定出来ないような素人だが、決して油断は出来る相手ではない。人質というアドバンテージを得ているのは相手側なのだから。
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後に光彦は述懐する。当時の自分は物を知らない傲慢な糞餓鬼であったと。
後ろ手に縛られ自由を奪われている少年。名を幸田光彦という。
新興財閥である幸田家、その次期後継者と目される重要人物。であるにも関わらず相手は武装しているとはいえ、あっさりと誘拐されてしまったのか。それは幸田家に続く一つの家訓から来ている。
大戦時に旧財閥の一人として活躍した当時の幸田家当主、幸田勲男。彼は財閥当主として資金面・情報面から軍へと貢献する道を選び、躍進目覚ましかった紡績業の輸出で多大な利益を上げながら世界情勢を調べるスパイ活動を行っていた人物だった。日本国内に於いては非常に優秀な勲男ではあったが、実際に世界を相手にした時、知識不足や風習の違い、言葉が分かるだけでは越えられない人種の壁に大層苦い思いを味わった。
戦後、世の中が凄まじい速度で変わっていく中、勲男はいち早く『これからは日本という狭い国ではなく、世界という大きな舞台で戦える人材が必要になる』と実感。その後、『帝王学の一環として、幸田家の男児は10歳〜15歳の間諸外国で学ぶべし』という家訓を制定した。今で言うグローバルに通用する人材育成といった所か。
だが、どの国に行っても幸田の者はVIP待遇となってしまい、勲男が求めた人材育成は形骸化してしまう。思春期も青春時代も無く『幸田家の後継者』である事を求められる幸田家男児が、成人するまでの『遊び』として残る風習になっていた。
当然、本家縁のSPや各国が選定するボディーガードが守ることになるのだが、日本国内でのような手厚い警護は望めず、手薄になった隙を突かれてしまい誘拐されてしまったのだ。
襲撃された折に何人かのSPが犠牲になったのは光彦も見ていたが、我が身を盾に自分を守ってくれた彼等を悼む気持ちは光彦には無く、ただただ面倒事になるのを防げなかった彼等を『無能め』と内心舌打ちするのみという有り様。
自身を捕らえた誘拐犯共も無能も無能。水すらまともに用意出来ぬ輩だ。この国はドバイ首長国に行くために経由するだけの筈だったのだが、こんな事なら欧州にしておけばよかったと身勝手な後悔すらしていた。
どうせ日本政府がこの国の政府にゴリ押しするか幸田家がなんとかすると全く危機感は感じず、襲撃を受けた時も『ようやく助けに来たか』という思いしか抱かなかった。
「敵襲ーーーーーッ!!」
救助隊が来たことを叫んだ隊長は素早く見窄らしい家屋に飛び込み、壁に立てかけてあった突撃銃を手に取り入り口に向かって構える。屋外からはひっきりなしに銃撃音が鳴るが、それも次第に収まっていった。
隊長は屋内の照明を消し扉から外を覗くが、銃火の一つも視認できなくなっていた。
「クソ!連中は誰だ……。いくらなんでも手際が良すぎるだろう!?」
「大方僕を助けに精鋭部隊でも来たんだろう。さっきの話の礼代わりに命は助けてやってもいい、投降するか逃げるかしたらどうだ?」
「うるせえ!」
光彦の言など隊長は考慮しない。救助に来た連中が政府軍なら、人質を解放した瞬間に誘拐犯達は殺されるだろうからだ。政府側にも面子がある上、誘拐犯やテロ組織などは全滅させれば強い政府をアピールするプロパガンダになる。一番良いのは無事に助けだすことだろうが、奇襲をかけて来た以上は最悪死んでいてもいいと判断されているのだ。金で雇われた傭兵部隊であれば光彦の生存が成功条件になるだろうからその発言も一考に値しただろうが、既に襲撃してきている段階で分としては相当悪い賭けになる。
隊長は屋内の照明を付け、光彦の手だけではなく足も縄で縛り付けた。そのまま屋外に光彦を引きずり出し、ハンドガンを片手に腰にぶら下げた手榴弾の安全ピンを抜き、レバーを握ったまま周囲に怒鳴る。
「見えてるか!俺を殺せばこの手榴弾が人質も殺すって寸法だ!ガキの命が惜しければ武装解除してから両手を上げて出てこい!」
隊長のやり方に光彦は唖然とする。誘拐犯達に対しては馬鹿だ無能だと思ってはいたが、まだ会話ができていた隊長に至ってまでここまで考え無しだとは思わなかったのだ。
ここが日本、ないし相手が幸田家直属のSPなら兎も角、救助に来る可能性が一番高い部隊は政府軍なのだ。もし彼等が政府軍であれば光彦諸共に殺してしまい、涙ながらに『人質は卑劣な誘拐犯達の手により殺害された、誘拐犯達は射殺。我々の国はテロや誘拐に屈しない』と報道されて終わりだろう。
隊長のとち狂った行動、本来通じない筈のソレだったが……。
「分かった!今から出て行くから早まった真似はするな!」
なんの悪戯か、通じてしまった。
進み出る男達。如何にも歴戦の兵といった見た目ではあるが、この国の正規兵が身に纏う軍服ではない。テロや内紛を報ずるニュースから多少の知識は得ている、砂漠迷彩の戦闘服に暗視スコープ付きのヘルメット、古臭い突撃銃を足元に放り投げ両手を上げる。
正規兵であれば共通装備をしている筈だが、全員まばらに装備が違う所を見ると傭兵部隊。誘拐犯の呟きから分かる通り、幸運な事に光彦の救助を優先任務にされている傭兵達なのだろう。
「そっちの事情は把握している。
お前のボスは最初の身代金入金後、塒を襲撃されて射殺されている。この場に残るお前にもう助けは来ない。せめてお前だけは助けてやるから投降しろ!」
「うるせえ!金で雇われる傭兵屋なんぞ信用できるか!」
自分の立場を棚に上げて怒鳴りつける誘拐犯。
曲がりなりにも同じ反政府の旗を掲げる立場だ、誘拐犯とカルロ達救出部隊に顔見知りがいれば避けられたであろう不幸。いや、圧倒的不利な状態で人質という最後のカードを即切ってしまった段階で、最早引くに引けないだろうか。
「何か勘違いがあるようだが、俺たちは傭兵じゃ……」
「近寄るんじゃねえ!」
何事か言いながら進み出た年若い男を誘拐犯が銃撃。
銃弾は男の顔面を貫通、明らかに即死だ。人の命が軽い戦場、彼等にとって常識であるソレも、平和な日本に育ち、ようやく中学生といった年齢の光彦には刺激が強すぎた。目の前で展開される凶行に顔面蒼白になり、おこりのように震え出してしまう。
いきり立つ救助隊の面子を手で制し、最初に話しかけた男は肩を竦め、諦めの混じった目で誘拐犯を見た。
「事情は知ってるって言っただろ。誘拐犯の中でもお前だけはそこまで落ちちゃいない、方針が変わった部隊の中で燻ってるだけってのは分かってたんだ。
素直に引いてくれれば命は助けたし、上に取りなして仲間にもなれたかもしれないのにな。仲間を殺されちゃもうどうしようもねぇ。残念だよ。
人質の様子見る限りこれ以上時間は掛けられないな。いいぞ、ジン。殺っちまえ」
男のセリフと共に、空気が、変わった。
砂漠の夜、ただでさえ厳しい寒気が一段とその寒さを増し、肌に突き刺さるかのような錯覚を持たせる。そして、耳に痛いほどの静寂。
いつの間にか救助隊の面子は家屋の照明が届く範囲から下り、そこには小柄な少年兵が一人残るのみ。手強そうな連中が消えて喜ぶべき誘拐犯だが、少年が持つ薄気味の悪さと、彼を残して全員引くという尋常ではない状況に半ば恐慌状態に陥る。
誘拐犯はハンドガンを光彦に押し付け、手榴弾を突き出し叫ぶ。
「手前も下がりやがれ!まとめて殺すぞ!」
誘拐犯の恫喝に怯えも恐れも返さず、平坦な声で彼は呟いた。
『ごめん。貴方には恨みは無いけど、殺さなきゃならないんだ』
「は?」
正に、一瞬。
耳慣れなぬ異国の言葉に疑問を持った瞬間、目の前にいた少年兵は幻のように姿を消していた。
目前の敵を見失うという失態に舌打ちしようと上顎に舌を付けたその時、手榴弾を握った手がククリナイフで斬り飛ばされ、ハンドガンを握った手にスローイングナイフが突き刺さる。手榴弾は握った手諸共に蹴り飛ばされ爆発。吹き出す血を抑えようとナイフが刺さった手で押さえた時、ゆらと後ろに回り込んだ少年が誘拐犯の首筋を切り裂いた。
派手に吹き出る血を避けようともせず、かといって血に酔った狂人のようなそぶりも見せず、少年は黙ってそれを受け入れ続けていた。
光彦からすれば相手は誘拐犯、憎みこそすれ悼む気持など沸きようもない。しかし、些少であれ言葉を交わした相手が無惨に殺された。ただでさえショック状態になっている光彦だったが、その恐ろしい筈の少年から目を離す事が出来なかった。
滴る血を拭おうともせず、その瞳に殺人による痛痒も浮かべず、ただそこに立ち続ける姿。恐ろしい無慈悲な死神のような、完成された美しい何かを見ているような、触れてはならない神を見ているような。不可侵の存在を前にしている、そんな気持ちを抱きながら光彦の意識は遠くなっていった。
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誘拐犯の死亡を見届けたカルロはジンへとタオルを放り投げ家屋を指差す。
ジンを見る目には多分に呆れの色が含まれ、投げかける言葉も『呆れた』と言わんばかりだ。
「まぁた派手に殺したもんだな、返り血で真っ赤じゃねえか。
連中が残した水がある筈だから、それ使ってさっさと落として来い。連中はもう使えねえし、持ち帰るにしても限度ってのがあるからな。気にしないでジャンジャン使っちまえ」
「……」
無言で家屋に向かうジンを嘆息混じりで見送り、人質になっていた少年の容態を見る。ただ気絶してるだけなのを確認したカルロは唯一犠牲になった仲間の元に向かう。
「……こんな簡単なミッションで死にやがって……。戦士の御霊がアラーの身元に行けますように……」
戦場では自分たちが死ぬ事もある。当然その覚悟もある。アラーを奉ずる自分たちは死ねば天国に行けると信じられているし、死んだ若者も反政府活動をしている以上は覚悟があっただろう。だが、それで年若い者が逝く事に納得し切れる訳もない。
沈痛な面持ちの仲間たちと共に、戦闘服の上着で簡単な担架を作り丁寧に死体を乗せる。戦場では仲間の死屍を放置しなければならない事も多いが、今回は連れて帰る余裕もある。カルロは煙草に火を付け、肺に入れること無く紫煙を燻らせる。それがカルロなりの送り方であるように。
戦闘終了の通信にピックアップに来たジープの明かりに照らされながら、カルロ達は静かに仲間を荷台に乗せた。




