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ファフニール

 光彦達が襲われていた時と同じくして、陣は竜と向き合っていた。

 予想と違いファフニールは問答無用で襲ってくることは無く、興味深そうに陣の事を見つめていた。

 EAOで遭遇したラハブなどより余程に理知的。だからこそ、より高次の存在であると物語る。


 かの竜の名に陣は聞き覚えがあった。

 ラハブとの戦いに於いて、今後必要になるかもと学んでいたのだ。当然1ヶ月そこそこの時間では身に付く知識にも限りがある。その程度であっても覚えがあるほどのビッグネームだ。


 ファフニール。

 北欧神話で語られる『黄金に魅入られし竜』。

 黄金に目が眩み父親を殺し、その黄金を守るために毒を吐く竜と成った者。

 自分を指して『悪なる者』と言ったのも頷ける存在だ。


 陣はファフニールの姿を目の当たりにし、やはりEAOはゲームだったんだなと今更に思う。

 現実と同じようなつもりでいて、心のどこかで『死なない事』に油断があったのだと。

 ファフニールは陣を見下ろし言う。


『人間、貴様は何故ここにいる?

 他の人間どもは兎のように逃げ、巣穴に隠れてしまったが』


「本当になんでだろうなぁ……」


 事ここに至ると礼子の指摘が身に沁みる。

 光彦が確認したいと言い出さなければ、この場には居なかったはずなのだ。先程指摘されたばかりなのに、相変わらず自分は流されていると渋面にもなる。

 この期に及んで、『相馬陣とは何者なのか』を考えたくなってきてしまったが、そんな隙をかれは許してはくれないだろう。

 詮無きことと頭を振って、陣は竜の事を考える。

 驚くべきことに、竜は人の言葉を解し流暢に喋ることさえしてのけた。それは『交渉が出来る可能性』を示しており、場合によっては戦わずして目的を達成し得るかもしれない。いや、それ以前に今何が起こっているかの答えを竜が知っている可能性すらあるのだ。

ファフニールが守るべき『黄金』はこの場には無い。ならば、交渉の余地はあるのではないか?陣はそう考えてしまったのだ。


 物語で表現される竜は、大概プライドが高く傲慢。そして人よりも高次の存在であるが故に人を見下す傾向がある。

 それだけに実は交渉の余地がある存在でもあるのだ。特にファフニールは唯物論者的な側面が強い竜。伝説に語られる性格がそのままなのであれば、ここに竜が望む財貨が無いと知れば立ち去るかもしれないのだ。

 陣は竜を目上の者とし、一番聞きたい内容を思い浮かべ口を開く。


「黄金を抱擁せし竜よ。

 私は今ここで起こっている事を調べに来た者です。

 失礼ではありますが、貴方のような存在は人が考えだしたもの。そういった神話や伝説に語られる存在がこの世界を襲っております。仮に実在するのだとしてもここは欧州ではない。なぜこのような極東の地へ?

 貴方はその原因に心当たりはありませんか」


『はっはっは!われを見て幻と申すか!

 我が「黄金守りし竜」だと知りながら、黄金以外の事を聞いてきたのは貴様が初めて。その無欲に免じて教えてやりたいところだが、我も知らんのよ』


 かの竜が自身が存在する理由を知っていて、それを教えてくれれば話は早かったのだが、やはりそう上手くは行かないかと内心舌打ちする。

 こうなれば最初の目的を果たす以外には無い。

 陣は改めて竜に向き直る。


「ならば、この場には貴方が守るべき黄金は存在しないはず。

 私はそこの建物へと入りたいだけです、どうかお見逃し下さいませんか」


『そうは行かん。

 何故かは分からないが、その面妖な建物こそが「黄金」だと私に囁く声が聞こえるのだよ。

 貴様も人ならば、己の欲望のままに我から黄金を奪ってみせよ!』


 竜は怒号と共に一歩前へと足を踏み出す。

 ただ歩いた、それだけで周囲を揺らす存在感と重量感。

 バーチャルでもここまでは無かった圧倒的なリアリティ。


 対して陣。

 完全武装はしているものの、それはあくまで現実の範疇でしか無い。

 我が身を守ってきた血狼の長衣(ブラッドウルフコート)も、自身を強化してきた小人族の胴輪(ブリシンガメン)も、プリムラの代表作であろう伝説級の武器(ネイリング)も無い。

 いくらEAOの世界に似通った法則が適用されていようが、怪我をすれば血が流れ、死ねば死ぬ。


 巨人グレンデル海魔ラハブときて最後には黄金抱きし竜(ファフニール)

 本当にベオウルフ叙事詩のようだなと、陣は他人事のように呟いた。


 腰に差した刀を両手に持ち、鮮やかに抜刀する。


 絶望的な戦いながら、何処か心躍る気持ちを感じていた。

 それはそうだろう。物語に謳われる竜との戦い、EAOでも成し得なかったそれを、現実で果たせるとは思わなかったのだから。

 右手の刀を竜に突きつけ、微かに笑みを浮かばせながら陣は言う。


「未だ目録とは言え、俺も相馬の一人。伝説の竜殺し、挑戦させてもらう!」


 陣VS黄金抱きし竜(ファフニール)・開戦。


※---※---※---※

※---※---※

※---※


 開戦の狼煙はファフニールのポイズンブレスから始まった。


 毒の息吹が陣に向かい放射状に襲いかかる。

 陣は地面と接するほど身を屈め、頭上すれすれにそれをやり過ごし足に向かい特攻。

 ファフニールは巨体、ならば小回りは効かず足回りにダメージがあれば身動きが取れなくなるという計算だ。


 半身を回転させながら円盤投げのような動きで右前足に斬りつけるが、その強固な鱗に弾かれる。

 力技ではあったが、陣の全力の斬撃すらかすり傷一つ負わせられなかった。


「かってぇ……」


 まるで鉄のような鱗、『後』を考えない強撃だっただけに刀を持つ手が痺れてしまう程。

 いくら力技とは言えども刃先を滑らせないほど素人では無い、打撃武器として使うには刀という武器は脆いからだ。

 だが、それでも一撃で刃が欠け、もはや鈍器としてしか役に立たないであろう。


 全ての環境が整えば陣にも斬鉄は行える。

 だが、それは戦いの上ではない。試し切りとして鉄板を用意し、動かないそれに最適な距離、角度で行って初めて成し得るのが『斬鉄』というものなのだ。

 鈍重とはいえど相手は動く、そうなれば当然『斬鉄』など望めない。


『どうした人よ!その程度か!』


 陣が考えてしまった一瞬の隙を突き、ファフニールの足が目前に迫る。

 相手の遅さは相対的な物であって、その巨体を思えば十分に早いのだ。ダンプカーを想像すれば容易いことだが、それだけの巨体が掠っただけでも大怪我を負うだろう。

 何処にも逃げ場ないと感じた陣は無様に地に伏せ、踏み付け(ストンピング)に変じた足を転がって避ける。

 転がりながら刀の柄を地に叩きつけ、それを受け身代わりに身を起こす。


 改めてかの竜の全体像を眺めるが、あの鱗の硬さを考えれば隙が見えない。

 強いて言うならば翼の皮膜と口中、そして目だろうか。

 翼を切り裂けば飛べなくなるであろうし、口中や目は竜も生物だと考えれば弱点に成り得る。

 しかし、どれを取っても容易な事ではない。口中を攻撃しようとすれば毒の息吹に突っ込むようなもの、翼や目を攻撃するにはかの竜は巨大過ぎる。


 今ここにネイリングがあれば違った戦術も立てられた。

 ラハブの津波を避けた時のように、地属性の魔弾で足場を作るといった事も出来た筈なのだ。

 なぜなら、妙にEAOのルールに忠実な法則は、陣へと殆どの魔法を使うことを許さなかったのだ。

 低レベルのセーフティーウォールや回復魔法は使えるが、光彦達が操る高レベルの魔法は言わずものがな、低レベルの魔法すら発動しなかった。EAO内で習得していない魔法は使えない、現実の陣が持つ力のみで戦うと割り切ったほうが良いという結果に。


 ファフニールは後ろ足のみで立ち上がり、強烈な踏み付けで地を揺らす。

 アスファルトが罅割れクレーターを作る。近距離でそれを受けた陣は木っ端のように吹き飛ばされたが、かの竜は自ら弱点を晒してしまった。立ち上がった時、正面から見えた腹には鱗がなかったのだ。


 陣は刃が欠け使えなくなった刀を投げ捨て、一本の刀を両手で脇構えに構える。

 これからやる事に求められるのは威力や手数では無く精密さだ。それには双刀というのは具合が良くない。


 目の前の人間が何かを企んでいるのを見て取り、ファフニールは攻撃を止め身構える。

 例え相手が自分から見れば次元が違うほどの弱者であろうとも油断しない。それが『竜』という強者の証明なのだろう。

 ファフニールは警戒しつつも、何故か陣を敵視はせずに見つめ、毒ではなく言葉を吐いた。


『我が黄金を狙い様々な人と対してきたが、貴様は決して弱者という訳では無い。弱者であれば我と相対した瞬間から動けなくなり、ただ食われるのみだからな。

 だとすれば、我と貴様の力量差が分からぬほど愚かではあるまい?

 この先に行かぬのであれば見逃そう、命ある内に去るが良い』


「命乞いもしていない相手に温情とは優しい竜でも気取るつもりか?」


『そうではない。

 貴様には想像出来んかも知れんが、私は決して人が嫌いというわけではないのだ。

 小虫のような存在なれど、ドワーフにも劣らぬ美しき物を作り出すこともある。そして、我ら竜とは比べ物にならないくらいの短い命の中で必死に足掻き進化しようとする姿勢も、我からすれば好ましいものと映るのだよ。

 その命、無駄に失うことも無いであろう』


 自らを悪竜と名乗っておきながら、どこまでも理知的な竜だ。

 陣にしても迷いの中にある。これだけの存在と命がけで争うには、自身の中にある理由が弱すぎる。

 だが、ここで引く訳にはいかないのだ。なぜなら、


「ここから先を見たがってる奴がいるんでな。

 竜よ、貴方の想いを無駄にしてすまない」


 自身の外には理由があるのだから。

 ファフニールはさもありなんと頷き身構える。


『戦士に対し我の言葉は失礼だったな。

 来い、人よ!見事我の黄金を奪って見せよ!』


 ファフニールは軽く浮き上がり、低空で突っ込んでくる。

 それは今までの鈍重な動きでは無い、戦闘機と見紛うスピードだ。

 だからこそ、交差する速度が早いからこそ、次の攻撃が生きる。


 動きとしては禿頭のPKプレイヤーがミオソティスに放った『狐月斬』に近い。

 脇構えに構えた刀を肩越しに仰け反る程に振り被り、ファフニールと交差した瞬間に全ての体重を撥条として放つ。

 ただ、同じなようでいてその精密性に於いては隔絶している。正確に唐竹に振られた一閃は鱗に守られてない柔らかな腹を切り裂き、ファフニールの血を撒き散らさせた。

 静かな水面を切り裂く日昇の様、『相馬流抜刀術:水陽』の強撃だ。


『GYAAAA!!』


 ファフニールの金切るような悲鳴。初めてダメージらしいダメージを与えたことに思わず唇が笑みを形作る。それが陣の『武人としての若さ』に繋がってしまった。

 斬新する暇もなく追撃を構えようと振り返ったその時、何かが陣を跳ね飛ばし街路灯に叩きつける。

 忘れていたわけではないが、どこかで浮足立ってしまったのだろう。

 竜には『尻尾』があるという事を忘れてしまっていたのだ。


 尻尾とはいえ太さは丸太程もある。それをまともに食らってしまえば脆弱な人など一溜まりもない。

 幸い、背負った刀が盾となり致命傷は避けられたが、刀が二本壊れてしまった。

 残り、握った刀を含め二本のみ。


 少しでも身軽になるべく留め金を外し、壊れた刀を捨てる。ついでとばかりに鉢金と腰に差したままの空鞘も捨て去り、ふらつきながらも立ち上がる。

 杖のように身体を預けた刀は、竜血を吸ったせいかどこか暗く気を漂わせるように思えた。


 ファフニールは血を撒き散らしながら未だ暴れていた。

 手応えからすれば内臓には届いていない筈。自身が傷つく事に慣れていない竜は、その強さのせいで痛みに弱いのかもしれない。

 それが、死と隣り合わせだが千載一遇の機会へと繋がる。巨体が暴れていることにより危険度はいや増しているが、頭が下がった事によって『目』が狙える位置にあるのだ。


 竜が立ち直ってしまえば最早勝機は無い。

 これが最後の一撃になるだろう。


 陣は、上体を低くし変則の矢筈受け――

 弓矢を引き絞るように左手を前に出し、その上に刀を乗せ構える。

動き出しは非常に緩やかなものだった。雪解けの水が氷柱を伝い落ちるような滑らかさで、引き絞られた刀が前へと動き出す。握り手が肩と水平になったと同時、束ねた撥条が足を伝い地を蹴り、爆発的な推進力を生み出した。一足飛びにファフニールの眼前へと至った身体を、最後の一歩と震脚が受け止める。その推進力と身体を登る撥条を刀に集中させ、螺旋を描いた切っ先は竜の眼を貫いた。

 余りの威力からか、ファフニールの顔は刀を刺したまま首ごと宙に浮き、その勢いのまま地へと叩きつけられた。


 夏に権江との試合で不発だった技。

 抜刀:氷柱つらら・相生、歩法:枝垂・相生、組内:炎錐ほむらきり

 相馬の御業が体現する、絶大なる相生技。その一端が垣間見えた瞬間であった。


 ファフニールが動かない事を確認した陣は、懐からヘッドセットを取り出し装着する。


『兄様!返事をしてください!

 やはりあの竜と戦っているのでしょうか!?かくなる上は私も……(やめんか馬鹿者!陣も勝てない相手ならお前が行っても意味が無い!ミシェ ル、お前の力と私の魔法でなんとか助ける隙を作りに行くぞ!)』


 水穂と光彦が大騒ぎしている声がヘッドセットから聞こえて来た。

 そりゃあ、あんな怪物相手に勝てるとは思わないだろう。自分自身、勝てたことを未だに信じられないのだから。

 しょうがないと苦笑を浮かべ、陣はヘッドセットのマイクをオンにした。


「あーあー、こちら陣。

 こっちはなんとか無事だ。そっちの方はどうだ?」


『兄さ……ガー……陣!お前あの竜相手に勝ったのか!?

 こっちも襲撃があったが意外と玄児が活躍してな、奴が軽傷を負った以外は皆無事だ。

 そちらに行っても大丈夫か?』


「まぁ、勝ったというかなんというかだな。来るのは問題ない、早い所調べて救援隊に合流しようぜ」


 陣は微動だにしなくなった竜に近寄り刀を抜こうとするが、それはがっちりと食い込んでしまっており外せそうも無かった。

 墓標かなと呟き、手を合わせる。

 成し得た竜殺し。喜悦よりもむしろ陣は寂寥感を感じていた。


 多分、今までに出会った者の中で、最も誇り高い生き物。

 戦っている時は悩みなどどこかに吹っ飛んでしまっていたが、挑むに相応しい自分でありたかったのだ。


 陣は光彦達の到着を待たず、踵を帰してビルへと向かう。

 犠牲を出さずここまで来れたことは僥倖だろう。だからといって、ビルの中は安全だという保証はどこにも無いのだ。


 陣は激戦が終わった安堵感から一つ忘れてしまっていた。倒した怪物は、何故か死体も残さず消えていたという事実を。

 そして、ファフニールの存在感に紛れ、隣のビルの屋上から眺める人影がある事に気が付かなかったのだ。

ワンポイントファフニールさんコーナー

北欧神話の悪龍で有名なファフニールさん。ニーベルングの指輪にもファーフナーという名前で登場するかなりメジャーな龍ですが黄金が好きすぎて親父殺ししちゃうくらい即物的な龍でもあります。『ホビット』のスマウグが黄金が大好き的な『龍は財宝を守っている』というイメージモデルになった龍ですね。

原典では毒を吐くワーム(竜とも蛇とも言いがたい何か)という表現をされており、いっそモンゴリアンデスワーム的なモンスターにしようかと思ったのですが、EAOの物語の中でも重要な敵ですのでミミズは違うだろと諦めました。

何故ただの人の身である陣がそれだけの大物食いが出来たのかはエピローグで言及します。

これにて巨人・海魔・龍蛇とベオウルフ叙事詩になぞった敵は終わりになりました。次の敵は……。


追記:

ファフニールの表現を『竜』から『龍』に変えました。おいおい以前の表現も直していきます。『竜』だと東洋のドラゴンのイメージで、西洋のドラゴンのイメージは『龍』かなと。


追追記:

西洋の竜のイメージは龍ではなく竜ではないかとのご指摘があり調べたのですが、どちらも東洋西洋関係なく「竜」を示しているそうです。現在の当用漢字は「竜」が一般的という事でしたので、また竜に戻させていただきました。

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