六壬神課
「へぇ……。じゃあジンさんはリアルでも陣さんなんだ。
ライトさんが言う通り、随分安直な名前にしたんだね」
「いえ、私も本名を流用ですよ?陣さんほどそのままではありませんけれども」
陣はプリムラとミオソティスを交え、EAOの話に華を咲かせていた。
特にミオソティスは中々に面白い経歴を持っていて、彼女のベータテスター時代の話は非常に面白いものがあった。
自身の恥だとかなりぼかして伝えられた話によると、当時はEAO最終期ほどにもルールやマナーが醸成されていなく、軽いハラスメント行為や女性への嫌がらせ行為等も非常に多かったのだそうだ。
それを見かねたミオソティスを始めとした一部のプレイヤーがマナーの啓蒙活動を開始。だんだん規模が大きくなり『女性プレイヤー+極小数の男性プレイヤーVSその他大多数の男性プレイヤー』という構図に発展。ジャンヌ・ダルクのような扱いを受けたミオソティスはいい気になり悪乗り。煽りに煽った結果セクハラされないようフルプレートでガチガチに固めた女性プレイヤーだらけになり、あまりにも華が無いと男性プレイヤーに土下座させてしまう事態に。
あまりにも下らない理由でコミュニケーションの危機を迎えた事に嘆息混じりに運営が動き、ハラスメント行為への罰則の強化やスカート装備の時はどんなに動いてもパンチラしないといった仕様に変更。ナドナド。
かなりの大暴れの結果、彼女に憧れる女性プレイヤーが急増し、花の名前をキャラネームに付けるのが流行してしまったのだそうだ。
「はっはっは、時代が時代なら女傑って言われてたなそれは!
ミオソティスが『私のは本名流用なだけ』って言っちゃったら他のプレイヤーが可愛そうだろ?
特に貴女に憧れて『花の名前』をつけた女性プレイヤーなんかは」
「本当に……なんであんな事になっているのか……。
戻れるなら『それは茨の道だ』と過去の自分に教えたいです。
土下座された時なんて本当にどうしたらいいのかと……」
「たまたま流行かと思ってアタシは付けたんだけどねえ、色々理由があったって聞くと感慨深いよ。
一応アタシもベータテスターだけど、抽選が後期のやつだったからね。そんな面白い事あったなら前期からやりたかったなぁ」
そんな和やかな会話を続けていると、あっという間に日も暮れ時刻は7時を回っていた。
陣達成人組はいいのだが、未成年組にはそろそろ辛い時間。許可は得ていると言っているが、ナトリなどはまだ中学生だ。親御さんも心配するだろうと、そろそろお開きにする運びとなった。
治安自体は非常にいいとは言っても、客観的に見れば非常に見目麗しい女性や少女ばかり。何か問題があってはならないと駅まで送る事になった。
解散した後は成人組で一杯飲んでいくかと話していた時に、陣のモバイルフォンから呼び出し音が流れる。
陣が発信者も見ずにそれに出ると、電話越しの向こうから騒然とした音が流れてきた。かなり混乱しているらしい。
『相馬の!不味い事になったのじゃ!煩い!皆落ち着け!
今一人か!?』
陣に電話を掛けて来たのは、『三善鞠子』だった。
連絡先自体は教えていたのだが今まで特に連絡も来ず、忙しいのだろうなと思っていた相手。
しかも、鞠子の声には緊迫した空気が漂っていた。
「どうした鞠子?こっちは知り合いといるんだが、そっちはえらい騒ぎになっているようだな。
不味い事ってのはなんの事だ?」
『ええい!説明している時間が惜しい!お爺様がそなたを呼んでおる!今お前はどこにいる!』
「吉祥寺の井の頭恩寵公園だが?」
『わかった!今から使いを出す!その公園内に弁財天のお堂があるから、連れと一緒にそこで待っておれ!』
一方的に鞠子はそう言い、電話を切った。
光彦達が訝しげに陣に尋ねる。
「どうした陣?」
「いや、知り合いからなんだが……。光彦には前に話したな、三善鞠子っていう相馬分家の娘だよ。えらく切迫した声で、一方的に使いを出すから弁天様の所で待ってろって言って切りやがった。
なんか連れも全員一緒に待ってろって言っててな。申し訳ないけど、未成年組もついてきてもらっていいか?」
「元から遅くなるつもりだったから、わたしは大丈夫なの」
「私も親に連絡しておけば大丈夫ですわ」
「アタシも大丈夫さね。仕事だって言っておけば親も心配なんざしないからねえ」
「わたしも大丈夫なのだ!だけどそろそろお腹がへったぞ……」
未成年組の快い返事。水穂はもうちょっと空気を読んで我慢しておいた方がいい。
光彦はミシェルに連絡し、こちらに合流するよう伝えた。
成人組も頷き、問題無いと皆で弁財天のお堂に向かう。
そこには既に、尾道礼子が一人佇み陣達を待っていた。
何処かでお茶を立てていたのだろうか。着物姿の彼女は静謐な美しさを湛えていた。
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「陣さん。あの人が出迎えの方ですか?
美しい方ですわね……」
「あらお上手、貴女も年を取ればもっと美しくなりそうね。
お胸が大きすぎるから、和服はちょっと辛いかしら?」
ひそひそと陣に話しかけたミオソティスの言を、遠間であるのに聞こえていたのか礼子がそう返す。いきなり胸のサイズを指摘されたミオソティスは真っ赤になって胸元を隠してしまった。そういう動作がより胸を強調してしまうのだと思うのだが。
今日の礼子は『迫力のある美しさ』とでも言おうか、皆どこか彼女に飲まれ、プリムラなどはがちがちに硬直している。
「あまり固くならないでくださいな?色々あって少し苛立ってしまっておりまして。ごめんなさいね。
貴方達は何が起こってるか分からず困惑しているでしょうが、出来るだけ私が面倒見ますから」
「そう、それだ。礼子さん、三善家で何かあったんですか?
というか今さっきまで鞠子と話してたんですけど、なんで礼子さんはこんなに早く来れたんです?」
一人彼女に気圧されなかった陣が、不明に思っていた事を問いかける。
礼子は人差し指を唇に当てると、微かに首を傾げ笑い言う。
「女には秘密が多いもの。詮索するだけ男が下がりますよ、陣さん。
何があったか、と言うよりも何が起こりつつあるかですね。これについては紀文さんの口より直接聞いて下さい。
野暮用を済ましてしまいますので、ちょっとだけお待ちを」
礼子はお堂に近寄り、手元を押さえ掌を嫋やかに前に伸ばす。
「|弁才天に願います、成すべきを成されませ《オン・ソラソバテイ・エイ・ソワカ》」
礼子が真言を唱えると、吟と鳴る涼やかな音と共に周囲に清浄な空気が満ちた。
「弁天様は多面な神様でして、芸能を司る神でもありながら鎮護国守の戦神でもあらせられます。
かつ、このお堂は小さいながらも東京の聖域の一つです。
気休めではありますが、その気休めが大事な意味を持つやもしれませんので。
私に願われては彼女も迷惑でしょうけどね」
「爺が貴女に気を使っていた理由がなんとなくわかった。本当に何者だよあんた。
単なる茶人なんて今更言わねえよな?」
怖い顔と礼子は笑い、しゃなりと歩を進めた。
陣とすれ違うときに横目で彼を見やり、眦を緩めてそれに答える。
「権江さんが言っていないなら、まだ知るべきではないのでしょう。
定めがそうあるならばいつか知る日もあるでしょうし、貴方が真に60代目の争魔なればそれも自ずと分かりましょう。
さぁ、三善の別邸に参りましょうか。鞠子さんがお待ちでしょうから」
遅れてやってきたミシェルを交え、三鷹の森へと入っていく一行。
どこか寒々しい空気を感じるのは、理由は冬だからだけでは無い気がしていた。
〓〓東京・三鷹・三善別邸〓〓
三善家の別邸に辿り着いた陣達を出迎えたのは、騒然と走り回る使用人達だった。
礼子は彼らを素通りし、奥の間へと案内する。
そこで待っていたのは三善家現当主、三善紀文、そして鞠子の二人だった。
「陣君、わざわざ呼び立ててすまない」
軽く頭を下げる紀文に対して、陣はそれはいいと頭を上げさせる。
謝れるも何も、まずもって何が進行しつつあるのか分からないのだ。
「それは構いません。ですが、一体何が起こっているのですか?
三善の方々も何事かの対応に追われているようですが」
「六壬神課による招来でとんでも無いことが分かったのじゃ!」
「鞠子、それでは分からぬよ。順を追って説明せねば。
私達三善家が政府直轄の相談役になっているのは知っていますよね?この事態はそこから始まります」
事の起こりは1ヶ月前、翌年の世相を占う定例の儀式をした事から始まる。
ここ最近の風潮は『可不可なく』。取り立てて良くも悪くもなく、安定した世相が続くと言ったものだった。
だが、今年の結果は違った。何度占っても使用する筮竹が全て折れるという現象が起こっていた。そして易以外の占い全てが道具が壊れる、占者自身が倒れるといった現象が続く。
何かが起こっている。そう感じた紀文は、彼の主導による陰陽道の大占術『六壬神課』を執り行った。
四課三伝が招来され、配された十二天将が告げたのは恐ろしい結果だった。
結果は、『神に秘されし御業の復活、そして今の世の崩壊』。
世の文明の終焉、そしてそこから始まる次なる世界、『人の戦い』が予見された。
当然、三善家の立場としてはその結果は看過し得ぬものであり、即座に政治家を始めとした関係各所に伝えられた。
しかしながら、三善の言を重く見たのは過去から懇意にしている者達だけであった。これも人の世の常、占いという『あやふやなもの』は良い物ならば信じもするが、悪い物ならば信じはしないのだ。当時は相馬の一派ではあったが、彼等三善が『先の大戦』すら見通した者達であるとの事実を覚えている者も少なかった。
彼等は、三善を裏仕事専門の日陰者、儀礼的な祭事を行う者達としか見ていなかったのだ。
三善と三善に協力する一部の者は単独でそれに備えつつ、根気強く根回しを続けていた。
そして今日、ついにその徴候が牙を剥き始めたと言うのだ。
「事情が事情だけに緘口令が敷かれまだニュースになっていない。だが、遅かれ早かれ君達の耳にも入るだろう。
石油、天然ガスを始めとした世界中のエネルギー資源がその姿を消し、産出されなくなったのだ。
当然災害対策などで国内の備蓄はある。だが、それらには自ずと限界がある。
この段階になってようやく重い腰を上げた政府筋が、どうしたらいいと泣き付いて来ててんてこ舞いなんだよ。
ほら、ようやくニュースになったようだ」
紀文がテレビを指し、そこでは今紀文が言っていたことがニュースになっていた。
『先程、首相官邸より発表がありました。
日本へエネルギー資源を輸出している各国が一斉に同時多発テロ、ないし内戦勃発という事態になっています。
現在、日本友好国への援助要請、また政府備蓄の資源を開放しこの問題に当たると発表されました。
解決の目処が付くまでは、節電に励んで欲しいとの事です。
1時間後に首相による緊急会見が行われる予定です。それまで緊急特番といたしまして、テロ・内戦に詳しい専門家をスタジオにお呼びして……』
「テロに内戦か……。何時の世でも真実は語らんか。語った所でどうなるわけでもないが、方針すら見出だせておらぬのにな」
紀文の語る内容の余りの突拍子のなさに懐疑的だった光彦も、顔面を蒼白に変え叫んだ。
「エネルギー資源の枯渇だと、それも世界中一斉にか!?
下手すれば世の中が中世に逆戻りだ!ミシェルさんは関係各所に連絡して暴動に備えさせて下さい!
私は父さんと話して善後策を練ります!」
ミシェルに告げた光彦は自らのモバイルフォンで父親と連絡を取り始めた。
事ここに至っては止める必要もないのだろう。紀文は取り立てて光彦を咎めることもせず、どこか開き直った様子で佇んでいた。彼は新興財閥の御曹司、この段階からでも何かしら取れる手段はあるだろう。しかし、彼の父親。幸田源治郎は当然この事を知り得る立場にある。動く気があるならば既に動いてはいるだろうが。
「ここまでが四課三伝に告げられた『今の世の崩壊』なのだとすれば、ここから更に『神に秘されし御業』の復活がやってくる。
いや、既に兆候はあったのだ。野生動物の異常な凶暴化、怪物のような奇形な生き物の出現、そして東京を守護する結界すら綻んでおる。これだけの事がここ一ヶ月で起こっておるのだ。
何が起こるかは不明だが、『何かが起こる』のは確定していると見ていいだろう」
紀文は卓上に東京の地図を広げ、いくつかの丸をそこに書き込んでいく。
「印を付けた所が都内の避難所だ。これから政府から避難誘導の発表があれば相当規模の騒乱が予想される。
東京以外は県庁、市区庁が避難場所だ。
既に権江殿に手を回してもらい、相馬関係者の軍・警察にはそこを固めてもらっている。
必ず助けたい者、親族や親しい友人がその近辺にいるなら、まだ辛うじて平穏を保っているうちに連絡して移動の準備をさせなさい。
住所を書いて渡してもらえれば、三善の手の者を向かわせます。
鞠子、時です。準備なさい」
紀文の言に皆は一瞬呆然として、地図に食付き自分の親兄弟、リアルの友人たちに連絡をし始めた。
鞠子は紀文に頷き、ぱたぱたと部屋の外へ。
陣は水穂に金魚、朱雀達への連絡先を光彦から聞いて事情を話して避難させろと指示。権江に関しては既に動いているそうだから大丈夫だろう、いざという時にはあちらには藤堂もいる。
そして、改めて紀文を見る。
「紀文さん、有難うございます。お陰で身内だけは混乱に巻き込ませずに済みそうです。
ですが一つだけ分からない。いくら知らぬ仲ではないとは言っても、俺達や親族に至るまで特別扱いする謂れは無いはずだ。
何を企んでるんですか?」
「ちゃんと理由はあります。まず、陣さん。貴方の三善への心象をこれ以上悪くする必要がなくなったからです。
我々は、我々の分として元の御役目に戻る時が来た。それだけです」
紀文は陣の言に頷き、「暫しお待ちを」と言って黙る。
緊迫した空気の流れる中、一振りの刀を携えた鞠子が部屋に戻り、紀文に何事か耳打ちした。
紀文は陣達に室外へ出るよう手で示し、別邸の中庭に案内される。
そこには、三善家の者がずらりと並び、陣達の到着を待っていた。
お連れ様はここでお待ちをと同行をそこで断られ、陣一人を中庭へ。そして、陣を前に三善家の者達が整列した。
そして、紀文が陣の前に歩み寄り片膝を付き頭を垂れた。
それを皮切りに、全ての者が陣へ頭を垂れる。
その姿は、王に傅く臣下のそれであった。
「今まで不遇を託つ事100余年。我ら『三善派』一同、慙愧の念に堪えませんでした。
世の平安を願い、自らが乱となるを避ける為に表舞台を去られた争魔へと、いよいよ権をお返しすることが叶います。
権江様より、貴方様が今の世の争魔であるとご伝言を賜っております。
世界に乱が兆す今こそ、争魔復活の時にございますれば」
「どういう……事ですか?俺達は相馬、ではないんですか?家の歴史は知っています、大戦時に活躍した武家である事も。
ですが、紀文さん。そういう話では無いんですよね?だったら、貴方が言っていることが、俺には分からない」
そう、宣告式の時の鞠子の発言から可怪しいと感じていたのだ。
陣はこの時はまだ、皆が言う相馬が『争魔』と言っていることを知らなかったのだ。
ビリビリと肌が痛むような静寂、それを切り裂くような悲鳴が駆け巡った。
「ば、化け物です!化け物が出たとの報が!」
三善の者は立ち上がり、対処すべく散る。
紀文は鞠子の手より刀を貰い、恭しく陣へとそれを捧げた。
「権江様が本家の地にて『口伝の儀』の許しを得るべく準備しております。
それが伝えられるまでは分からないでしょうが、ご出陣の時に御座います。
我らを存分に使い、今は人をお助けなさいませ」
陣は不可解な顔をしたまま刀を取り、事態を把握すべく別邸の外へと出た。
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中庭の様子を影から見ていた礼子は、顔に憂いを貼り付けて呟く。
「権江さんが何を考えているのかも分からないけど、紀文さんも随分と強引なこと。
念願だった主の帰還に浸りたい気持ちは分からないでもないけど、あれじゃ陣さんが可哀想」
ふいとその姿が消え、彼女は別邸の屋根に現れ腕を組み佇む。
それは正に、以前に陣が否定した『術の縮地』そのものの様であった。
しっとりと着られていた小袖の振袖は婀娜っぽく着崩され、先程まで放っていた静謐な美は妖艶なものへと変わっていた。
もしここに陣がいれば、『らしい』と納得しただろう。気取った所も何も無くあくまでも自然、これが彼女の本当の姿だと。
「また人の身勝手をあの子の末に押し付ける言うんやね。
それにしても気になるわぁ……。
なんぼ紀文さんが強引言うても、なんで断りもせずに受け入れてはるんやろ?
あの子はあの子で問題ありそやな……」
そう言って、礼子は再び消え去っていった。
ワンポイント陰陽道コーナー
今回陰陽道の占いとして出てきている六壬神課ですが、太乙神数、奇門遁甲(この3つで三式と呼ばれているそうです)と合わせて有名な占術となります。奇門遁甲については『奇門遁甲の陣(結界術、戦術)』として有名すぎ、あまり占術だという一般イメージが無いかなと。太乙神数は中国の占術というイメージが強いという事もあり、今回は六壬神課を選択しました。
また、安倍晴明が編纂した事で有名な(某コミックでも有名な)占事略決ですが、これは六壬神課の解説書として纏められたものです。以上の事からも、陰陽道に於いては六壬神課という占術はかなり重要視されていたと思っています。
礼子の台詞は京言葉をニュアンスで入れてます。出来るだけ調べてはいるのですが、もしかしたら関西弁とごっちゃになってぐだぐだになっている可能性もあります。




