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カル

 陣が目覚めた時、そこはあの名も知らぬ島の砂浜だった。

 時刻は回って既に朝、荘厳な朝日が砂浜を白く照らし出す。

 本来ならば晴れやかなその光景も、ラハブに負けた事、そしてカルの事を思えば楽しむ気にもなれない。


 普段はおくびにも出さないことではあるのだが、陣もまた20歳の若造。武術を極める上での『勝負を楽しむ』気概はあるにしろ負けん気もそれなりに強く、ある種のケアレスミスで敗北してしまった事を悔しいと思う感受性も持ち合わせていた。


 それに付け加えて、確かにカルは自身の恨みを晴らした。それ自体は喜んでもいいはずなのだが、何故か陣はもやもやとした形のない後悔を抱いていたのだ。

 それは『恨みを晴らす』という人が闇へ向かう行動への根源的な忌避感であり、陣の心が一歩成長した証でもあった。

 だが『仇討ち』という事そのものを認めている陣にとってこの結果は本懐を遂げたと思うべき事柄であり、いまいち晴れやらぬもやもやの理由に思い至ることはなかったのだ。


 さてと、陣は気持ちを切り替え立ち上がる。

 未だ『海域』(ラグーン)に戻れていないということは、このクエストは終わっていないのだろうか。

 何故か手元に『ラジエルの書』は残ったままであるし、クエストクリアのメッセージも無い。

 貰ったボートでの脱出をいよいよ検討すべきかと考え始めた頃、陣を呼ぶ声が背後から聞こえた。


『ジン殿、ここにおられたか。

 儂等の代わりにラハブを倒してくれたようじゃな。

 手間をかけさせた、礼を言う』


「俺は何にもしてねえよ、礼を言うならカルに言ってや……れ?……あんた、誰だ……?」


 声に振り返った陣が見たのは、『頗る付きの美女』と呼んでも過言では無い女性だった。

 頬傷のある整った面差しに、獅子のように跳ねた金髪。涼やかな瞳はある種の引力を持ち、目を惹きつける。ややもすると身嗜みに気を使っていないだけに見える風貌も頬傷と相まり野性的な美しさに昇華され、どこか男性的な雰囲気もその魅力を高める一助になっていた。

 下品にならない程度に露出した胸元と引き締まった体を見れば、美しいだけの女性ではないことが容易に見て取れる。


 美しさの方向性が違うので一概に比べられないのだが、陣の周囲にいる女性で見れば尾道礼子やミオソティスに比肩すると言っていいほど。

 だが、これだけの美女だ。一度見れば決して忘れないであろう筈なのに、陣は彼女と会った記憶が無かった。


『誰とは寂しいことを言うのう……。

 ゴドフリーの船長じゃよ儂』


「は?あの頭蓋骨渡そうとしたスチャラカ船長?

 てかあんた女だったのかよ!?」


 唖然とする陣に、女だと気がついてすら貰えていなかった事が発覚して落ち込む船長。

 どんよりとした目で陣を睨め上げるのだが、そんな有り様でも彼女の美しさは損なわれない。

 とことん美人は得だと陣は思うが、磨かないから光らない容貌を持つ自業自得気味な彼には地味にその感想を持つ資格はない。


『そこは骨盤の形とか骨の美しさとかで気がついて欲しかったのう……。

 カルシウム塗りこんだり真珠パウダー使ったりで骨肌には気を使っていたのじゃよ?

 というかアレか?スケルトンジョークの突っ込みがやたら厳しかったのは儂を男だと思ってたからか?

 それはそれで微妙に腹が立つんじゃが……』


「いや、さすがにあれは俺には理解不能だ。男も女も無い」


 唐突に真顔になった陣の冷たい返答に『渾身のスケルトンジョークがぁぁぁ』と号泣し砂浜に突っ伏す美女。

 既にして発想が海賊ではない、完全に芸人のそれである。


「なんつうか、スケルトンじゃなくなってもネタから入るんだなあんたは……。

 それで、それが生前の姿なのか?呪いはどうなった」


 すちゃっと立ち上がり、背後に控えていた船員を呼び寄せて頭を下げる船長。

 船員たちも生前の姿に戻り、自らの意識を取り戻しているようだ。


『うむ、改めて礼を言うがラハブの呪いからは解き放たれたわ。

 今の儂等は言わば霊体のようなものでの。後はゴドフリーに乗り、ようやく死出の旅路よ』


 陣は船員たちを見、その中にカルの存在が無いことに気付く。

 その様子から察した船長は、悲しそうな声音で陣に言う。


『カルはな。あ奴は儂等と共には行けん。

 ラハブの呪いは解けたが、恨みが行き過ぎて別の存在に成り代わってしもうておる。

 カルから儂等がどう見えているか分からぬが、最早儂等はカルを認識出来んのじゃよ。

 儂に出来ることは、あ奴の恨みが晴れ、儂等と同じ場所に行ける日が来ることを祈るだけじゃ……』


 そうかと呟き、陣はそっと目を閉じる。

 変貌しラハブと共に沈んだカルは、確かに尋常な魂では無かった。船長はぼかして話したが、彼は最早モンスターとなってしまったと考えられたし、船長にしろ陣にしろ彼を救う手は無いと思われたからだ。

 船長たちの背後に呪いが解かれ立派な帆船となったゴドフリーが現れ、別れの時が訪れる。


「このラジエルの書はどうする?結局手元に残ったままなんだが」


『こちらで与ろう。欠片とは言え、それも神の書じゃからな。

 現世にあっても碌な事にならんじゃろ、儂等と共に常世に行くのが良かろうて』


 陣は船長にラジエルの書を手渡し、彼女らは粛々とゴドフリーに乗り込む。

 船上から陣に大きく手を振りながら、ゴドフリーはゆっくりと沖合へと進む。その姿が水平線に消え、それを見送った陣はゆっくりと隣を見た。


「それでカルよ。船長たちは逝っちまったぞ。

 ラハブも既にいない、お前はどうしたいんだ?」


 そこには、その身に闇色の炎を纏った一体のスケルトンが佇んでいた。



※---※---※---※

※---※---※

※---※


 アンデッドと呼ばれるモンスターには、その元となった素体に応じて厳然たるヒエラルキーが存在する。

 例えばスケルトンという一種を見てもそうだ。

 一般市民がスケルトン化すれば、底辺であるスケルトンになる。戦士の場合はソルジャー・スケルトン、魔法使いの場合はウィザード・スケルトン。ボーンドラゴン等の一部の例外を除いて、生前の強さが反映された種類のモンスターになるのだ。


 そして、今のカルが至ってしまったモノは、その一部の例外に当たる。


 陣の前に佇む彼は既にスケルトンではない、その種名は『ナムタル』。

 十字教由来のモンスターでありながらバビロニア神話の側面も持つラハブに対抗するためか、バビロニア神話に於ける疫病を司る死の神へと成り代わってしまったのだ。だが、それは『人が成る』ものではあり得ないし、それでラハブを倒せるとも思えない。


 そのカルがラハブを討伐せしめた理由。それはラハブがバビロニア神話の神としての属性を持ちながら、『ラジエルの書を探す存在』としての十字教的な側面が強く出ていた事に起因する。そこにはDr.ミカミがシステムに仕込んだ『毒』が存在するのだが、この場に於いてはそれを知る者は居ない。


 ラハブの排除により多少は正気を取り戻したのか、『ナムタル』と化したカルは聞き取りにくいかすれ声で陣に懇願する。


『もう、僕の願いは叶わないからね……。

 このまま心までモンスターに変わってしまえば人としての矜持も何も無い。ただ生者を恨み襲うだけのモノに成り下がってしまうのだろうさ。

 一人現世を彷徨い続けるくらいなら……。いっそ、キミの手で僕を送ってくれないかな?』


 陣はカルを見やるが、残念ながら狂気に侵されている様子はもう見受けられない。

 どこまでも正気に、自分を殺せとカルは言っているのだ。


 その気持は決して分からないものではない。

 大切な誰かに寄り添うも事も出来ず、追いかけることも出来ない。その悲しみは如何ばかりであろうか。

 だが嘆くばかりではなく、誰かの悪になる前に滅しろと言える。

 カルは強い男なのだなと、今更ながらに陣は感じた。


 陣はカルを見つめ、微かに頷いた。

 カルは申し訳無さそうに、それでも嬉しそうに陣を見ていた。



※---※---※---※

※---※---※

※---※


 南国の太陽を照り返し輝く真っ白な砂浜。

 静かに寄せて返す波の音、時折吹き抜ける風の音。

 カルは静かに笑い、自らの終わりの時を待つ。


 陣は自分のMPが全快しているのを確認し、逆手に持ったネイリングを目の高さに構える。

 目を瞑り、求める形をイメージする。

 望むのは一振りの刀。

 鍔も要らない、飾りも要らない、刃紋も要らない。

 極限にまで『斬る』という現象そのものを追い求めた、そんな刀が今は欲しい。


「万機」


 スキル名を呟き、求める刀を具象化する。

 漆黒の刀を腰に据え、腰を据えた居合の構え。


 陣が発する剣気は物理的な圧力に達し、緩やかに周囲に渦を巻く。

 暫しすると音も消え、剣気すらも消え、痛いほどの静寂が訪れる。


 陣は心を深く沈め、自らも一振りの刀であるように無心へと至る。

 心に小波も立たぬ、その境地は剣の道に於ける理想型。『明鏡止水』の領域に近づいて行く。


 これだけの時間を掛けなければ至れないことを陣は常々未熟と感じている。だが剣の道を志す殆どの剣士が、どんなに時間を掛けようがそこに至ることは少ない。その一点に於いても、陣が類まれな才を持っている証明なのだ。


 その時が訪れたと感じたカルは、抱擁を求めるように両手を広げ陣を待つ。

 陣は目を開き、カルと顔を見合わせ、お互いに少し笑ったような気がした。


 陣は自然な動作でゆらと動き、カルが気がついた時には背後に通り抜けていた。

 そう、既にして死神と呼ばれるような存在になってしまったカルをして、何時陣が通り抜けたのか見えなかったのだ。

 陣の手元から遅れてチンと涼やかな鞘走りの音が聞こえ、左に薙がれたカルは崩れ落ちる。


 音が戻り、辺りを波の音が優しく包み込んだ。


 陣が放った技、それは単純に言ってしまえばなんの衒いのない居合の抜き打ちである。

 何万、何十万、何百万と繰り返される居合の飽くなき修練、それを繰り返す内に体の動きが徐々に最適化されていく。ただ、どこまで最適化されようとそれは人の事。何処かに僅かな乱れや無駄が存在してしまう。例えそれが髪の毛一本ほどの物であったとしても、それはやはり『技を濁』す物なのだ。

 明鏡止水の領域に至る達者からの一振りは、その乱れも無駄も無い。動き出しから終わりまで、今の陣であれば何度それを放っても全く同じ一太刀を放つことが出来るだろう。その動きの自然さ、まるでその一太刀がある事が自然界の『当然』であるかのように。

 あまりにも自然で有りすぎて、斬られた者は『何時斬られたのか、そもそも何時動いたのか』を認識できない。

 それが『相馬流抜刀術・極之肆:睡蓮ノ一刀』である。


 そして、相馬流に於いて抜刀術は水行に当たる。

 EAOの水属性は回復や浄化の属性も併せ持つ。

 聖属性のそれよりは一枚落ちるが、その属性が意図せずに技に乗り、封魔の技として成立させたのだ。


 これに木行、歩法の技が組み合わさるとまた凄まじい変貌を遂げるのだが、それはまた別のお話。


 高レベルモンスターと化したカルを討伐したことで、幾度もレベルアップのメッセージが流れる。

 だが、明鏡止水に至った余韻で心が薄くなっている陣は何の感慨も沸かない。

 もし仮にそうでなかったとしても、やり切れなさを感じこそすれ喜ぶことはなかったであろうが。


 残心の間にいつの間にかMPが尽きて剣銃形態に戻るネイリングを納刀。

 カルの墓を作るべく骨を集めていると、彼が持っていた鼈甲で飾られた懐中時計を見つけた。



『System Message:海賊の願い(水)を入手しました』


 カルが船長に貰った、彼が一人前になった証。いや、彼が彼女らと共に航海し、魔物になってまで守りたかった絆の証明だ。

 本来であればむくろと共に葬ってやるべきものなのだが、所有権が陣に移ってしまっておりどうやっても離れない。


「形見分け、って奴かな……。

 貰っておくよ、カル」


 海がよく見える崖の上に墓を作り、手を合わせる。

 いつか天に帰るとき、海がよく見えれば海賊連中も見つけやすいだろうと。


 陣は一人砂浜に戻り、貰ったボートを漕ぎ出し島を後にする。


 結局のところ、手助けこそすれカル達の問題を解決したのは彼ら自身の力の結果だ。最後のカルの決断に至っても陣の役割は介錯しただけと言っていい。せいぜいが顛末を見届け、カルを葬った事しかしていない。

 彼ら自身の問題だというスタンスで接していた事もあるし、ラハブの強さを考えればこれ以上の結果を望むのは欲張りすぎだろう。

 だが、防衛戦の時のキーを守れなかった事もそうだが、今回に関しても自身の未熟が過ぎると後悔を抱えながら小さくなる島を見つめる。


 遠く微かに見える名も無き島の海岸で、一人の若い海賊が頭を下げたような気がした。



『System Message:クエスト「神話への挑戦」が終了しました。

 幽霊船の成仏とラハブの封印が確認された事により、クエストクリアとなります。

 クエストクリアにより一般フィールドに戻ります』


 陣が乗ったボートは潮に乗り、『海域』(ラグーン)の一般フィールドに向けて滑りだす。

 その陣をの事を、レアクエスト攻略の一部始終を見る視線に、最後まで彼が気付くことはなかった。

ようやく二章を通したレアクエストの決着が付きました。


バビロニア神話の死神は他にも『ネルガル』『エレシュキガル』が存在します。

ネルガルは太陽神の相も持ち、ちょっとイメージと違うかなと選択せず、エレシュキガルは女性神なのでそもそも性別が違うと選択しませんでした。

一部のゲームではナムタルは『疫病の死神』というイメージからゾンビのような描かれ方をしておりますが、神話や伝承での死神のイメージは『人骨の怪物』という描写が多いため、そのイメージを使わせていただきました。


明日は、二章開始時に延期されてしまったBBQパーティーです。

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