断罪する姿に萌えたので王子様をお持ち帰りしてみた。
他国との会談を終えた帰路、予定にはなかった小国の舞踏会へ顔を出すことになった。
ただ、それだけのことである。
ドルヴェルド帝国の皇太女である私が、この国――エルデラント王国に特別な用事を持っていたわけでもなければ、王家の誰かと個人的な親交があったわけでもない。帝国へ戻る道中にあり、ちょうど今夜王宮で舞踏会が催されているらしいので、せっかくならば一度くらい顔を出してはどうかと随行していた外交官が提案したのだ。
今後、皇帝となれば、こうした小国の王族とも否応なく付き合っていくことになる。ならば顔と名前くらい一致させておくのも悪くない。
その程度の寄り道だった。
だからまさか、その舞踏会で夫を拾うことになるとは思わなかった。
しかも、ほとんど投げ売りのような状態で。
「エレオノーラ・ヴァルシュタイン公爵令嬢!」
舞踏会も半ばを過ぎた頃、広間の中央から若い男の声が響いた。
先ほどまで談笑していた貴族たちの声が少しずつ途切れ、やがて楽団の演奏まで止まる。私はちょうど侍従から葡萄酒を受け取ったところだった。
会場全体を一息で黙らせるほどよく通る、美しいバリトンだった。
普段、儀礼以外ではほとんど職務を放棄している私の表情筋が、ほんの僅かに動く。
「私は今日この場をもって、貴女との婚約を破棄する!」
続いて聞こえた宣言に、一瞬だけ生じた興味がすっと引いていった。
ああ。
また、あれか。
最近、一部の国で流行っているという、人前で婚約者を告発し、その場で婚約を破棄する余興じみた騒動。侍女や外交官から噂として何度か聞いたことはあったが、実際に目にするのは初めてだった。
よりにもよって他国の来賓までいる舞踏会でやるとは、この国ではこうした茶番を外交行事の一部として扱っているのだろうか。
全く面白くない。
とはいえ、この国の王族がどのような人間なのかを直接見られる機会ではある。今後の外交上、何らかの判断材料になる可能性も皆無ではない。
私は小さく息を吐き、杯を手にしたまま声の主へ視線を向けた。
そして。
少し驚いた。
広間の中央に立つ青年は、想像していたよりも遥かに美しかった。
恐らく、あれがこの国の第一王子、レオンハルト・アルヴァ・エルデラント。
十八歳。
確か私より二つ年下だと、事前に外交官から渡された資料にあったはずだ。
高い背に、礼装の上からでも分かる均整の取れた身体。濃い金髪と、意思の強そうな切れ長の目。その中にあるのは、新緑を思わせる明るい黄緑色の瞳だった。
顔立ちそのものは、彫刻家が何年もかけて仕上げた神話の男神のように整っている。天井の燭台から降り注ぐ灯りが作る影すらも美しい。
ただし。
この青年、どうやら表情筋が非常によく働くらしい。
今も自信に満ちた顔で顎を上げ、婚約者である公爵令嬢をそのともすれば肉食獣のような鋭い瞳で真っ直ぐに睨み付けている。
なるほど。これは、なかなか良い。
……いや。
待て。
人間を評価する際、最初に容姿を見るのはよろしくない。今後帝国を継ぐ身として、人を見る基準は能力と人格であるべきだ。
私は一度目を閉じ、小さく咳払いをした。
それから改めて王子を見る。
……やはり。
かなり良かった。
「貴女は王太子の婚約者という身分を利用し、己より身分の低い子女たちへ幾度となく不当な圧力を加えた。それだけではない。王家への背信行為を繰り返し、最終的には国家転覆すら企てていた!」
私がレオンハルト王子の容姿について無駄な再確認を行っている間に、話は婚約破棄どころか国家反逆罪まで発展していた。
国家転覆ときたか。
この小さな王国とはいえ、立派な大罪である。
「証拠もある!」
王子が声高らかに宣言すると、傍らに控えていた文官が即座に書類を差し出した。
それを受け取り、彼はよく通る声で一つずつ内容を読み上げ始める。
少なくとも、その場の感情だけで突然始めたわけではないらしい。事前に告発内容を整理し、書面まで用意していた。
私は認めたくはなかったが、主演の容姿によって俄然興味を惹かれ、先ほどより真面目に耳を傾けた。
……ところが。
聞けば聞くほど、首を傾げることになる。
ある令嬢が、公爵令嬢との会合の後に泣いていた。
別の子爵令嬢が、公爵令嬢から何度も厳しい叱責を受けたと嘆願している。
公爵家の使用人が、王宮周辺で不審な行動を取っていた。
公爵家と関係の深い商会が、外国の武器商と頻繁に取引している。
複数の貴族へ、政治的な圧力を掛けていた疑いがある。
……なるほど。
これは、何とも具体性がない。
抽象的、と言えば多少聞こえはいいが、率直に言えばあやふやだった。これを国家転覆の証拠として提出するには、少々勇気がいる。
帝国の行政官へ持ち込めば、提出した側が「では日時、場所、証言者、金銭の流れ、具体的な指示内容を」と延々問い詰められる程度の内容である。
私はほんの少しだけ、目の前の美しい青年を気の毒に思った。
これは、おそらく。
第二幕で全部ひっくり返される型だ。
しかも本人だけ、それを知らない。
「以上が、貴女の罪だ!」
レオンハルト王子がその薄い唇の端を上げ勝ち誇ったように言い切った。
私は王子から目を逸らさないまま、心の中でそっと十字を切った。
頑張れ。多分、これから大変なことになる。
そして、やはり予想通りだった。
「殿下。わたくしが泣いていたのは、決してエレオノーラ様に虐げられたからではございません。」
最初に進み出たのは、先ほど名前を挙げられていた子爵令嬢本人だった。
会場が俄かにざわめく。
「わたくしは誤って王宮内の立入禁止区画へ入り、警備の方々へご迷惑をお掛けしました。そのことをエレオノーラ様からご指摘いただき、自身の不甲斐なさが情けなくて泣いていたのです。」
レオンハルト王子の美しい眉が、僅かに動いた。
お。まずは眉か。
続いて別の令嬢が進み出る。
「わたくしも、あの時の叱責は当然の内容でございました。むしろ今となっては、エレオノーラ様へこのようなご迷惑をお掛けしたことを深く恥じております。」
整った口元が、ぎゅっと引き結ばれた。
おお。なんと、これもいい。
次は、王宮周辺で怪しい動きをしていたという公爵家の使用人本人が現れた。
「私は宰相閣下から依頼された品を届けていただけにございます。こちらが宰相府から発行された通行許可証です。」
王子の翠玉のような黄緑色の瞳が、少し見開かれる。
これは。驚いた顔も大変絵になる。
もう反証の内容より、私は王子の表情にばかり見入っていた。
さらに外国との商取引についても、公爵家と関係の深い商会が扱っていたのは武器ではなく穀物であり、しかも数年前から王家自身が正式に認可している取引だったことが、その場で証明された。
レオンハルト王子の白い頬が、僅かに赤くなる。
怒りなのか。焦りなのか。戸惑いなのか。
どちらでもいいが、表情が兎に角よく動く。
私は扇を開き、歪みかける口元をそっと隠した。
反証が一つ進むたびに、つい先ほどまで自信に満ちていた顔が目まぐるしく変化していく。怒り、困惑し、何かを言おうとして言葉に詰まり、頬を赤くし、また怒り、焦り、最後には僅かに青ざめる。
なるほど。
これは、かなり、かなり良い。
私は自分の沸き立つ心中を認めざるを得なかった。
今、目の前の青年を見ていて、私は興奮している。こんな楽しいことは生まれてこの方なかったとまで思う程に。
やがて、人垣の中から第二王子ヴィクトルが進み出た。
「兄上。もうお止めください。」
「ヴィクトル?」
レオンハルトが振り向く。
驚いた顔。
これもまた、なんとも可愛い。
ヴィクトルは兄の前まで進むと、懐から封蝋の施された書状を取り出した。
「父上より、王命を預かっております。」
その言葉に、今度こそ会場全体が静まり返った。
「兄上が本日の告発を計画していることについて、父上は事前に把握しておられました。提出された資料には重大な不備があるとして、公の場での告発を禁じるよう直接お命じになったはずです。」
「それは、公爵家を庇うための――」
「違います。」
ヴィクトルは兄の言葉を静かに遮った。
「だからこそ父上は、ご自身で証拠を精査されました。そして、もし王命に反して告発を強行するのであれば、王太子として国を任せ続けることはできないと判断されています。」
レオンハルトの顔が完全に固まった。
ヴィクトルが封を開き、王命を読み上げる。
本日をもって、レオンハルト・アルヴァ・エルデラントを王太子の任から解くこと。
後任として第二王子ヴィクトルを立てること。
レオンハルト自身の王族としての地位は維持されるが、当面、王政上の決定権を持つ役職からは外すこと。
処罰というより、職務上の適性を理由とした解任らしい。
私は思わず身を乗り出しそうになり、寸前で踏み止まった。
本人にとってはまったく良い展開ではない。
分かっている。分かってはいるのだが、今にも何か言いたそうに唇を開き、それでも言葉が出てこないレオンハルトの顔が、どうしようもなく目を引く。
「今後は、私が王太子として父上を支えます。」
ヴィクトルはそう告げると、今度はエレオノーラ公爵令嬢へ向き直った。
「エレオノーラ嬢。まず、王家の者として、兄の行為によって貴女の名誉を傷付けたことを深くお詫びいたします。」
公爵令嬢が静かに礼を返す。
「そして、これは本来、このような場で申し上げる話ではありません。今日ここで返答を求めるつもりもございませんが、王家としてはヴァルシュタイン公爵家との縁を、これからも大切にしたいと考えております。」
そこでヴィクトルは、一瞬だけ躊躇した。
「……もし、貴女と公爵閣下のお許しがいただけるのであれば、後日改めて、私との婚約についてお話をさせていただきたい。」
エレオノーラ嬢は少し目を見開き、それからほんの僅かに頬を染めた。
「……家へ持ち帰り、父と相談の上でお返事させていただきます。」
「もちろんです。」
途端に会場へ歓声と拍手が広がった。
冤罪を晴らした公爵令嬢。新しい王太子。そして、新たな婚約の可能性。
見事な大団円だった。
ただ一人を除いて。
ーーいや、私も含めるなら二人か。
レオンハルト王子は、その場に立ち尽くしていた。
弟を見る。元婚約者を見る。周囲を見る。
けれど、誰も彼の傍には来ない。
騎士も侍従も、今の彼に何と声を掛ければよいのか分からないらしく、遠巻きに様子を見ている。
きっと、頭そのものが悪いわけではないのだろう。
告発の準備も思い付きではなく事前にしていたし、実際に資料を集める行動力もある。ただ、一度「そうに違いない」と思い込むと、そこから先の情報を自分の結論へ合わせて解釈してしまう。そして止められれば止められるほど、自分こそ正しいと確信する。
猪突猛進。
活気盛ん。
人間として嫌いな性質ではないが、王太子としては確かに危険だろう。国の判断としては正しいと言わざるを得ない。
私は新しい王太子の誕生に沸き立つ会場の中で、恐らくただ一人、静かにレオンハルト王子に目を遣り続けていた。
――これは。
先ほどまで胸を張っていた青年の顔が怒りに歪み、次に狼狽え、やがて少しだけ泣きそうに崩れていく。
その表情を見た瞬間。
背筋をぞくりと何かが走った。
何だろう、この感覚は。
可愛い。可哀想。気恥ずかしい。
胸の奥が妙にぎゅっとなる。
そうだ。私は、この感覚を知っている。
前世。
現代日本。
本や漫画を読み、友人と夜遅くまで語り、好きな登場人物の一挙手一投足に一喜一憂していた頃。
その頃の私たちは、この感情を何と呼んでいただろう。
愛おしい?
いや、違う。
もっと俗で。もっと軽くて。なのに、とんでもなく強い言葉。
――萌え。
その瞬間、急に視界が開けたような気がした。
私はただただ声高らかに叫びたかった。
萌え――! と。
もちろん皇太女という立場があるので叫ばない。
偉い。よく耐えた。
私は扇の向こうで静かに息を吐いた。
どれほど仕事のできる大臣にも、敵国の恐ろしい軍師にも、社交界で評判の美男子にも、これまで私の心はほとんど動かなかった。
それが今。
目の前のこの男が、私の心の琴線をものすごい勢いで乱打している。
いや。待て。まずは冷静になろう。
決して、目の前の青年で脳内着せ替え遊びを始めてはならない。我が国の黒い軍服は似合うだろうかとか、白い礼装ならどうだろうとか、和装も絶対に似合うだろうとか、白衣なども大変良いのではないかとか。
考えてはいけない。絶対に。
私は一度深呼吸し、改めてレオンハルトという人物を査定することにした。
十八歳。
本日付で王太子位を失った。
婚約も解消。
性格は直情的で、思い込みが激しい。裏工作には不向き。証拠の精査能力には大いに問題がある。
王太子として相応しかったかと問われれば、正直なところ難しいと言わざるを得ない。
しかし、逆に言えば、素直そうではある。
感情が顔に出る。
隠し事も得意ではなさそうだ。
何より、浮気を上手く隠せるようには全く見えない。
これは非常に重要だった。
私はつい先日まで、帝国内でも指折りの名門公爵家の令息と婚約を進めていた。
有能で、人当たりがよく、周囲からの評判もいい。そして社交も完璧。
おまけに容姿まで整っていた。
だから特に断る理由もなく、周囲が勧めるまま話を進めていた。
そして浮気された。
本人いわく、一度だけの火遊びだったらしい。
魔が差した、とも言っていた気がする。
結果、もちろん半殺しにした。
社会的にも。身体的にも。
なお、私自身が殴ったわけではない。
彼が過去に横領していた金銭の記録と、複数の女性へ送っていた書簡と、賭博で作った借金の証拠を、然るべき人物へ然るべき順番で知らせただけである。
後日、父親に殴られて前歯を二本失ったと聞いたが、それは私の責任ではない。
ともかく、そういう事情で、現在私には婚約者がいない。
そして目の前には、今日婚約者を失ったばかりの王子がいる。
確かに欠点は多い。
しかし、私は自分の代わりに皇帝を務める男を探しているわけではない。
伴侶として共に生活する夫を探しているだけだ。
国政は私がやればいい。というより、私がやる。
ならば夫は、多少単純でも問題ない。
それに。
見た目がいい。非常にいい。
これは大変重要だった。
私自身の容姿について、私はかなり冷静な評価を下している。
軽く波打つ長い焦茶色の髪。同じ色の瞳。顔の造作は整っていると言えば整っているが、社交界に咲き誇る華々しい美女の中へ入れば、確実に埋もれる。背も低く、身体の凹凸も少ない。
総じて、見ていて目がちかちかしない、非常に落ち着いた、暗躍に最適な外見である。
私は前向きにそう考えている。
しかし今後、皇帝として他国の賓客を迎え、外交の席へ立つことを考えれば、やや地味なのは否定できない。
その点、この青年が隣に立てば、それだけで絵になる。
美貌も迫力も申し分ない。
背が高いので、必要であれば壁にもなる。
近くへ置いて眺めて楽しい。
年齢的にも性格的にも、尻に敷くにはちょうどよさそうだ。
壁。観賞用。夫。
三徳包丁ならぬ、三徳王子ではないか。
素晴らしい。
私は早速持ち帰ることにした。
◇
周囲は新しい王太子の誕生と、公爵令嬢との婚約に沸いている。
誰もレオンハルトを見ていない。
本人は僅かに目を潤ませたまま、その場に立ち尽くしていた。騎士も侍従も、今の彼に何と声を掛ければよいのか分からないらしく、遠巻きに様子を見ている。
今なら行ける。
これだけ容姿が優れているのだ。会場には大勢の貴族令嬢がいる。この中に私と同じような性癖の女が絶対にいないとは言い切れない。他に目をつけられる前に、せめて予約くらいはしておいた方がいいだろう。
私は空になった杯を侍従へ返した。
「シェリル殿下?」
傍らにいた護衛騎士が怪訝そうな顔をする。
「少し、行って参ります。」
「どちらへ?」
「欲しいものがありまして。」
「仰っていただければ、私が――」
「いいえ。少々希少なものですので。」
私はレオンハルトへ向かって歩き出した。
近くで見ると、思っていた以上に大きかった。
私が小柄であることを差し引いても、かなり見上げなければならない。
いい。
大変見応えがあるではないか。
とはいえ、いくら心の中で散々な評価をしていようと、これから婚姻を申し込もうとしている相手だ。関係は良好であるに越したことはない。
第一印象は大切である。
私は一度静かに深呼吸し、足取りまで少し柔らかくして青年の傍へ寄った。
そして普段私に仕えている者が聞けば、不吉なものでも見たように震えそうなほど穏やかな声を出した。
「あなた、大丈夫ですか?」
レオンハルトがこちらを向いた。
黄緑色の瞳が近くで見るとさらに美しい。
「誰だ貴様は。許しなく声を掛けるな。消えろ。」
なんと。
これは切れ味も抜群だった。
私は頭の中に作り始めていた性能確認書へ、一項目を書き足した。
口が悪い。
非常によい。
「私はドルヴェルド帝国の皇太女、シェリル・アーデルハイト・ドルヴェルドと申します。」
レオンハルトは大袈裟に眉を顰めた。
一瞬だけ驚いたようだったが、すぐに自嘲混じりの冷笑を浮かべる。
「これは失礼を。して、その皇太女殿下が今さら私に何の御用で?お気遣いも慰めも嘲笑も不要です。どうぞお引き取りください。」
「少しお話したいことがありまして。」
「私にはございません。もう王太子でもありませんし、国の話なら弟へ何なりと。」
「いえ。あなたでなければ意味がないのです。」
レオンハルトが露骨に顔を顰めた。
「随分とご趣味が悪い。敗北した人間をさらに甚振るとは、さすが帝国の皇太女殿下は一味も二味も違いますね。」
投げやりではあるが、言葉自体には筋が通っている。
頭そのものが悪いわけではなさそうだ。
査定に加点。
ただ、段々と話が進まないことに苛々してきた。
このままでは、売れ残っている間に確保できない。
いや。もう少し正直に言えば、早く持って帰って、思う存分萌えたい。
「面倒ですね。」
「……何?」
「折角ですから、ご自分で選んだという形くらいは残して差し上げようと思っていたのですが。」
「何の話だ。」
「もういいです。どうせあなたの国は断れません。」
畳み掛けるように言うと、レオンハルトの顔が困惑の形で固まった。
いい。
そのまま動かないでほしい。
「あなたをお持ち帰りします。」
「…………。」
「あ、袋はいりません。自分で持ちます。」
「……意味が分からん。」
唖然とした表情も、素晴らしい。
私は彼の手を取った。
「では参りましょう。」
「……どこへ。」
「帝国へ。」
「……なぜだ。」
「持ち帰るので。」
「だから何の話をしている!」
私はそのまま手を引いた。
動かない。
もう一度引っ張った。
やはり動かない。
なかなか鍛えているらしい。
ならばと両手で引いたが、それでも動かない。
レオンハルトの額に青筋が浮かんだ。
「何をしている……。」
「持って帰ろうとしています。」
「私は荷物ではない。」
「知っています。」
「なら手を離せ。」
「嫌です。」
「なぜだ!」
「他の方に取られると困ります。」
「貴殿は私を揶揄っているのか?」
貴様が貴殿になった。
これは少し距離が縮まったと判断していいだろうか。
「揶揄っていません。萌えているだけです。」
「も……燃え?」
「萌えです。」
「何だ、それは。」
そうだった。
この世界にはまだ、この大変重要な概念が存在していない。
「説明するのは少々難しいですね。」
「ならするな。帰れ。」
「嫌です。」
「なぜだ!」
「萌えているので。」
レオンハルトは暫く黙った。
そして、何をどう考えたのか、さらに顔を歪ませた。
「私を闘犬か何かにでも使うつもりか。」
自信を失った人間特有の、急激な思考の悪化が見られる。
何だ、闘犬とは。
いくら帝国でも、他国の王子をそのような用途では使わない。
しかし伏せがちになった黄緑の瞳が揺れる様は、非常に良かった。
また背筋にぞくりとしたものが走る。
「いえ。闘わせるくらいなら、観賞用に硝子棚へ入れて大切に眺めます。」
「ますます意味が分からん!」
そこで私は、ようやく重要なことを一つ伝え忘れていたことに気付いた。
これはいけない。
あまりにも久しぶりに萌えたため、結論を急ぎすぎた。
「失礼しました。」
「今度は何だ。」
「肝心なことを申し上げていませんでした。」
本来ならここで片膝をつき、相手の手へ口付けるのが美しいのだろう。
私は実行しかけた。
しかし、私が低くなったことで身長差がさらに酷いことになり、構図としてあまりよろしくなかったので途中でやめた。
無理をするものではない。
私は普通に立ち直り、彼を見上げた。
「私と結婚していただけませんか。」
「…………。」
レオンハルトの口が僅かに開いた。
数秒遅れて、目元が見る見る赤くなっていく。
白い肌なので、非常に分かりやすい。
萌える。これは萌えるしかない。
私はたいへん満足して頷いた。
「今までの何がどうなって、その話になった!?」
「あなたが断罪して、逆に断罪されて、追い詰められていく様子がど真ん中でした。」
「何の話だ!気でも触れたか!」
「久しく忘れていた萌えを思い出しました。」
「だから、その萌えとは何だ!」
「ですので、持ち帰ります。」
「断る!帰れ!」
私は少し考えた。
「ですが、あなたの国は断れないと思います。」
「……何?」
「私はドルヴェルド帝国の皇太女です。」
「知っている。」
「そして現在、婚約者がおりません。」
「だから何だ。」
「あなたもいません。」
「今日いなくなったんだ!」
「丁度いいですね。」
「何一つ丁度よくない!」
周囲の視線が集まり始めている。
まあ、いいだろう。
どうせすぐ正式な話になる。
「あなたは十八歳。私は二十歳。年齢差も問題ありません。」
「聞け!」
「私は皇帝になりますので、夫に高度な政治能力までは求めません。」
「人を無能扱いするな!」
「王太子には向いていないと思いますよ。」
「貴様!」
怒った。
おお。これは、非常に迫力がある。
そしてかなり格好いい。
「ただ、裏表はなさそうです。」
「……。」
「浮気も上手く隠せそうにありません。」
「なぜそこで浮気が出る!」
「重要です。」
「知らん!」
「それに、隣に立てば見栄えがします。」
「…………。」
「背が高いので壁にも使えます。」
「私は何なんだ!」
私は改めて頭から足の先まで眺め、深く頷いた。
「王子ですね。」
「そういう意味ではない!」
「では、萌えであり、推しであり、三徳王子です。」
「……ますます意味が分からん。」
私は彼を見上げた。
眉間には深い皺。耳まで赤い。怒っている。
最高である。
やはり持って帰るしかない。
「心配しないでください。」
「……何をだ。」
「大切にします。」
「だからそういう問題ではない!」
レオンハルトは苛立たしげに私の手を振りほどいた。
そして、初めて少しだけ真面目な顔をした。
「そもそも、私は行くとは言っていない。」
「そうですね。」
「国王である父が何と言おうと、私は物ではない。」
「ええ。その通りです。」
「……そこは認めるのか。」
「当然でしょう。」
レオンハルトが明らかに警戒した。
私は少し考えてから、今度は皇太女として真面目に彼を見る。
「あなたの国がこの婚姻を断れない、というのは事実です。帝国との縁を望むでしょうし、今日王太子位を失ったあなたの処遇としても破格です。」
「……。」
「ですが、それはエルデラント王国の都合です。」
そこで一度言葉を切った。
「あなたが最後まで本気で嫌だと言うなら、無理に婚姻を成立させるつもりはありません。」
レオンハルトが目を瞬いた。
「……では先ほどから何故、私を引っ張っている。」
「できればすぐに連れて帰りたいからです。」
「結局それか!」
「ええ。」
「全く話が通じん!」
「通じていますよ。選択権はあなたにあります。」
「……。」
「ただし。」
私は一歩近づいた。
「私は決して諦めません。」
レオンハルトが黙った。
「あなたが嫌だと言うなら、その理由を一つずつ潰します。帝国へ来ることが不安なら、住居も役職も待遇も用意します。王族としての誇りが問題なら、相応しい身分を保証しましょう。家族と離れるのが嫌なら、帰国の自由も認めます。」
「……。」
「私が嫌だというのであれば。」
そこだけは少し真面目に考えた。
「努力します。」
「何を。」
「好かれる努力を。」
レオンハルトの顔が、また赤くなった。
いい。もっと間近で観察したい。
だが今は我慢する。
「ですから、何も聞かずに断るのは認めません。少なくとも、私の条件を全部聞いてから判断してください。」
「……随分と強引だな。」
「これでも帝国では軍神などと呼ばれることもありますので。」
「何故そんな女が、私を欲しがるんだ……。」
随分と弱い声だった。
私は少しだけ目を細めた。
「あなたの顔が好きだからです。」
「……。」
「それから、感情が全部顔に出るところも堪りません。」
「……。」
「怒った顔も、困った顔も、泣きそうな顔も非常に好みです。」
「もういい。」
「まだあります。」
「聞きたくない!」
レオンハルトは真っ赤な顔で叫んだ。
仕方ないので、とりあえず、この日はそこまでにした。
◇
翌日、王家との正式な協議が始まった。
予想通り、国王夫妻は大賛成だった。
新しい王太子となったヴィクトルも、兄が帝国皇太女の配偶者となるのであれば、今後の地位についてこれ以上ないほど安定すると判断したらしい。
元婚約者であるエレオノーラ嬢からは、
「どうかレオンハルト殿下を、よろしくお願いいたします。」
となぜか深々と頭を下げられた。
そこには憎悪というより、長年手の掛かる相手を見守ってきた人間特有の疲労が滲んでいた。
色々な事情を察してしまった。
優れた観察眼も、回転の速すぎる頭も、こういう時には考えものである。
ただし本人だけは最後まで渋った。
「私は帝国へ行って、何をするんだ。」
正式な話し合いの席で、レオンハルトは不機嫌そうに腕を組んだ。
「私の夫を。」
「それは役職ではない!」
「では皇配。」
「名称の問題ではない!」
私は手元の資料を一枚めくった。
「軍務に興味があるのでしたら、帝国軍の視察から始めても構いません。剣は使えるのでしょう?」
「当然だ。」
「馬や外交儀礼は?」
「……王太子だったんだぞ。」
「では十分動けますね。」
「……観賞用と言っていたのは何だ。」
「もちろん観賞もします。」
「それはやめろ!」
レオンハルトは怒鳴った後暫く黙った。それから、静かに嘆息する。
「それで、国政には口を出すなと?」
「出していただいて構いません。ただし、根拠のない告発は却下します。」
「……。」
美しい眉がぐっと寄る。私は、ああ、と合点がいって頷いた。
「証拠の精査方法は私が教えて差し上げます。」
「今それを言うか!」
「大切なので。」
睨まれた。
いい顔だった。正直、堪らない。
やがて彼は深く息を吐いた。
「……本当に、私が嫌になったらどうする。」
私は腕を組み、暫し考えた。
「その時は仕方ありません。離縁しましょう。」
レオンハルトが意外そうに私を見た。
「あなたを帝国へ連れて行きたいのは確かに私の希望です。しかし、完全に私の所有物にしたいわけではありません。」
「散々『持ち帰る』と言っていたが。」
「それは比喩です。」
「絶対違うだろう。」
「では八割くらい比喩です。」
「……残り二割は何だ。」
「気持ちです。」
また額を押さえられた。
そして、随分長い沈黙の後。
「……分かった。」
レオンハルトは、小さく言った。
「帝国へ行く。」
私は即座に立ち上がった。
「では急ぎ出発準備を! 皆かかれ!」
「早い!」
「あなたの気が変わる前に。」
「そんなにすぐ変わるか!一体貴殿の頭の中で私はどのような扱いになっているのだ。」
「最愛の萌え対象ですが。」
「本当にお前は……!」
真っ赤になって狼狽える青年を前に、私は内心で呟いた。
購入完了。
もちろん口には出さなかった。
◇
帝国へ戻る馬車へ乗り込む直前、私は恐ろしく不機嫌そうな顔で腕を組んでいるレオンハルトを見上げた。
「何だ。」
「いえ、改めて見ても素晴らしい美貌だなと。」
「……見るな。」
「私も目を背けるよう努力しているのですが。」
「嘘を吐け!ずっと見ているだろう!」
今日も実にいい。
予定にはなかった寄り道だった。
まさか舞踏会の片隅で、これほど好みの王子を拾うことになるとは思わなかった。
早く帝国へ持ち帰って、思う存分眺めたい。
肖像画も欲しい。
正装。軍装。怒った顔。困った顔。
笑った顔も、いずれ見てみたい。
小さくして持ち歩ける画集や小物も欲しい。
特定の人物の画集や小物。この世界にはまだ、そういうものはほとんど存在しない。
ならば作ってしまってもいいかもしれない。
幸い、私には金も権力も人脈もある。
「……なぜ黙っている。」
レオンハルトが怪訝そうに眉を寄せた。
「少々、今後の計画を。」
「嫌な予感しかしない。」
「大丈夫です。」
「……何がだ。」
「あなたには悪いようにはしません。」
「その言葉が一番信用ならん!」
私は扇の向こうで口元を緩めた。
本当に良い拾い物をした。
なお、その後、シェリルが自分のためだけに作らせたレオンハルトの画集や小物は、帝国の貴族社会へ思わぬ形で広がり、やがて新たな趣味文化の先駆けとなっていく。
けれど、この時のシェリルが知らなかったことは、それだけではなかった。
今は彼女を見るたび嫌そうな顔をし、何かにつけて「見るな」「近付くな」「黙れ」と騒いでいるこの十八歳の王子が、いつしか立場を逆転させるように彼女を追い回し、
「推しでも萌えでも、ましてや三徳王子でもなく、私を一人の男として見ろ!」
と、本気で迫ってくるようになることを。
この時のシェリルは、まだ知る由もなかった。




