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花の咲く頃に

作者: 如月アトリ
掲載日:2026/06/30

 小ヤコブは昔から、誰それに似ているとよく言われた。


 親類の誰か、近所の誰か、昔見かけた誰か。そう言う者たちにはたいてい悪気もなく、むしろ親しみを込めている場合のほうが多かったが、言われるたびに、自分とはその程度の顔なのだろうと思った。

 どこにでもいて、誰かに重ねられ、印象に残りにくい顔。若いころには多少面白くなく思ったこともあったが、やがては諦めた。誰にでも見える顔なのなら、きっとそうなのだろう、と。


 その性質に、イエスは思いのほか早く気づいていたらしい。

 人の集まりすぎた往来や、熱気の高まった群衆のただ中で、イエスはときどき小ヤコブを近くに置いた。

 肩を組むでもなく、名を呼ぶでもなく、ただすぐそばに来させるだけだった。そうすると群衆の視線は、ふしぎとわずかに滑る。


 目を引く者ならほかにいくらでもいる。声の大きい者、身振りの激しい者、怒っている者、泣いている者。

 小ヤコブはそういう目立ち方とは縁がなく、少し下を向いて歩いていれば、たちまち人混みに溶けた。イエスはその曖昧さを、黙って使っていた。


 小ヤコブがそれに気づいたのは、三度目くらいのことだった。

 一度目は偶然だと思った。二度目は気のせいかもしれないと思った。だが三度目になると、さすがにわかった。

 ああ、この人は、自分のこういう顔を知っているのだ、と。


 誰にでも見える顔。誰の記憶にも強くは残らない顔。目立たないことで、かえって人のあいだをすり抜けられる顔。

 そう気づいたとき、小ヤコブはわずかに情けない心地にもなったが、不思議と傷つきはしなかった。

 イエスはそれを、欠けたもののようには扱わなかったからだ。

 ただ、必要な場で、ごく自然に手元へ置いていただけだった。


 その次に人だかりができたとき、小ヤコブは言われる前に、自分からそっとイエスのそばへ寄った。

 それはたぶん、半ば癖のような気遣いであり、半ばは、見抜かれていることへの奇妙な応答でもあった。

 どうせ自分はそういう顔なのだ。ならば、それがこの人の役に立つなら、そのほうがましだった。


 群衆のざわめきが高まり、誰かが大声を上げ、熱気が一方に傾きかけた、そのとき、イエスはさりげなく布をかぶった。

 日除けにも、ただの身じろぎにも見える何気ない仕草だったが、布の端を指に引っかけたまま、ほんの一瞬だけこちらを見た。

 その顔が、ひどく悪戯な子どものようだった。


 小ヤコブは、その一瞬の表情を忘れられなかった。

 そのとき、自分の顔が誰にでも見えることを、初めてそれほど悪くないと思った。


 それから、小ヤコブはときどき、イエスがひとりで考えごとをしているときの顔を眺めるようになった。

 意識が外へ向いていないときの顔には、たしかに妙な親しみがあった。なるほど、こういうときだけは似ているのだと思う。

 特徴らしい特徴はない。ただ、表情の抜けた顔が、どこか自分と地続きに見える。


 けれど、それもほんの一瞬のことだった。イエスの顔は、表情が乗った途端に、たちまち別のものになる。

 あの少し悪戯な子どものような微笑み。こちらの胸のうちまで見えていながら、それを刃物のようには使わない静かな目。

 そういうものが現れると、顔立ちが似ているということなど、すぐに消えてしまった。


 イエスのそばに呼ばれるたび、小ヤコブは嬉しいより先に困った。

 こんなに近くで同じ空気を吸っていてよいのだろうか、と半ば本気で考えたし、返事をするときには、自分の呼気でその静けさを乱さないよう、わずかに間を置いた。

 人から見れば、よく考えてから答える男に見えたかもしれない。実際には、できるだけ少ない息で、失礼にならないよう返事をする方法を探していただけだった。

 それでも小ヤコブは、イエスの表情に浮かぶかすかな揺れ、声の低さ、言葉の置き方、沈黙のやわらかさを、誰より静かに受け取っていた。


 あるとき、歩いている途中で、イエスは花を見ながら、来年も咲いているだろうかと口にした。

 深い意味を持たせたようには聞こえなかった。ただ、そのときの風や光と同じように、そこへふと置かれた言葉だった。

 小ヤコブはいつものように一瞬だけ間を置き、咲くでしょう、と答えた。


 その後、小ヤコブは同じ季節の同じ頃合いになるたび、その散策の記憶を何度も受け取り直すことになる。

 光の角度、風の匂い、花のそばで立ち止まった気配、あのときの声の低さ、そして群衆の中で布をかぶりながらこちらを見た、あの悪戯っぽい顔。

 そのときは受け止めるので精いっぱいだったものが、後になってひとつずつ戻ってくる。


 だから彼はエルサレムに留まり続けた。

 ほかのどこかへ行くより、この場所にいるほうが、あの人の記憶が薄れずに済む気がしたからだった。


 そうして気づけば、小ヤコブは、幾度も花の咲く季節を一人で迎えた。

 咲くものも、実るものも、時には散るものも、ただ黙って見守った。

 誰にでも見える顔をした、群衆の中ではすぐ埋もれてしまう男は、移り変わるものをひとつずつ見届けながら、そこに留まり続けた。

 昔、花のそばで交わした短い言葉のとおりに。

※本作はカクヨムにも掲載しています。

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