#10 ゲームには無かった夜
学園生活に戻った最初の夜、私は眠れなかった。
アメリアが用意してくれた部屋は温かかった。柔らかいベッド、清潔なシーツ、窓から差し込む優しい月の光。全てが倉庫とは違う。全てが「正しい」場所のように見える。
でも――胸に、何かがつっかえている感触。
前世の記憶が、頭の中でぐるぐると回っている。
二十歳の大学生だった私。狭いアパートで、バイトと講義の合間に、プレイしていた乙女ゲーム…タイトルは『聖光のリリアと五つの誓約』。王道の乙女ゲーム。聖女として転生した主人公が、五人の攻略対象と恋をして、世界を救う。そういうストーリーだった。
プレイヤー同士の、対戦コンテンツ以外の、ストーリーモードだけならば、課金が要らない優しい設計のゲームだった。それが功を奏して、大ヒットしていた...お金の無かった私は、課金しないで楽しんでした。無料で遊べる範囲で、何周もプレイしていた。王子ルート、騎士ルート、魔術師ルート。全部クリアした。バッドエンドも見た。聖女が心を折ると、瘴気が暴走して、世界が滅ぶ。人口の八割が失われる。その絶望的な結末を、画面越しに見た。
でも――それは、ゲームだった。
画面の中の出来事。
私は、ただのプレイヤー…
しかし、今の私は、その世界の中にいる。
聖女リリアとして。
この世界は、ゲームとは違う。いや、基本的な設定は同じだ。聖女リリア。王子ヴィクトール。騎士カスパー。魔術師クロード。キャラクターも、世界観も、ゲーム通りだ。
でも――細部が、違う。
ゲームの中のリリアは、もっと明るかった。社交的で、笑顔が多くて、誰とでも話せた。
(中身が私だから仕方ないけど…)
それに、選択肢を選べば、攻略対象と自然に会話が始まった。
(中身が私だし…)
好感度が上がり、イベントが進み、ハッピーエンドへ向かった。
(中身以下略)
でも現実の私は――前世から引き継いだコミュ障のまま、この世界に放り込まれ、この惨状…
人前に出ると心臓が跳ねる。視線を浴びると息が詰まる。会話の仕方が分からない。ゲームみたいに「選択肢」など出ない。ただ、生身の現実があるだけだ。
ゲームの中の攻略対象たちは、もっと「完璧」だった。王子は決断力があり、リーダーシップがあり、常に正しい選択をした。騎士は明るく元気で、主人公を守り、笑顔を絶やさない。魔術師は知的で冷静で、的確な助言をして、主人公を導いてくれる。
でも現実の彼らは――
昼間、中庭で見たあの三人。低い声で何かを話し、視線を落とし、悩んでいるように見えた。ゲームの中では、そんな場面はなかった。攻略対象たちは常に「イベント」の中にいた。会話があり、選択肢があり、ストーリーが進んだ。
でも今――彼らは、ただ「そこにいる」だけだった。
(……ゲームと、現実は、やっぱり違う)
それは、もう分かっている。
でも…どこまで違うのか。どこまで「ゲームの知識」が通用するのか。それが、分からない。
私は窓に近づき、外を見た。初夏の夜。温かい風が、薄いカーテンを揺らす。学園の建物が、月明かりの中に浮かんでいる。
昼間は賑やかな場所だ。生徒たちが行き交い、授業があり、笑い声がある。でも今は――静かだ。まるで、別の世界のように。
ふと、前世で読んだ本を思い出した。森の中で、人々が迷い、混乱し、幻を見る物語。でも朝になると、全てが夢のように消える。
役割という木々に囲まれて、みんなが迷っている。「聖女」「王子」「騎士」「魔術師」――。それぞれの役割の中で、本当の自分を見失っているのか。
そして――その「迷い」は、学園だけではない。
街も、王国も、この世界全体が――
私はベッドに横になり、目を閉じた。やはり――眠れなかった。
ゲームの中には、「夜の学園」というイベントはなかった。全ての学内イベントは、昼間に起きた。
食堂でのランチイベント、中庭での会話イベント、図書館での勉強イベント。全部、明るい時間帯だった。
でも今――私はゲームにはなかった「夜」の中にいる。
それは、何を意味するのだろう。ゲームのシナリオにない「夜」で、何が起きるのだろう。
答えは出ないまま、私は浅い眠りに落ちた。
夢の中では、見慣れたゲームの画面が見えた。
選択肢が並んでいる。でも――どれを選んでも、画面は動かなない。
虚しさと共に夜がふけていく。




