偽りの聖女と黒い神官
メリッサとダークがリベリオン帝国の中央部を見回り、教会に戻ってくる頃にはほとんどの人間がいなくなっていた。おのおのが教会の地下の部屋に戻ったのだ。
教会の奥で、ボスコとリトスが胸に片手を当てて、祈りを捧げていた。メリッサとダークの足音を聞くと、リトスが元気よく駆け寄ってくる。
「おかえり! 二人とも疲れていそうだね!」
「そうですね……とても多くの方からお話をされました」
メリッサが曖昧に頷く。
ダークは憔悴していた。
「記憶を失ったと言ったら、順番とか関係なく一斉に長話をされたからな。いちいち本当か確かめるのが億劫だったぜ」
「そうかぁ、そりゃ大変だ」
リトスが同情すると、ダークは苦笑した。
「疲れたが、悪い気はしなかったな」
「ダークって意外とドMだよね」
「ぶっ殺されてぇのか?」
ダークのこめかみが怒張する。
ボスコが微笑む。
「リトスさんは、あなたの心の広さに敬意を表しているのですよ」
「敬意なんて微塵も感じませんよ」
「それはリトスさんの人徳です」
ボスコがクスクス笑う。
ダークは溜め息を吐いた。
「リトスに人徳なんてあったんですね。反論する気力もありません」
「いちいち腹立つなぁ。もっとあたしを敬ってもいいのに」
リトスは唇を尖らせた。
ダークは舌打ちをした。
「敬うに値する人間になったらな。ストレス解消をする。メリッサ、わりぃが少しの間離れてくれ」
「は、はい」
メリッサはダークから距離を取る。
リトスも慌てて離れる。
ダークは両袖からナイフを取り出し、小さく息を吸った。
次の瞬間に、ナイフで空気が裂かれていた。今は空気だけを切っているが、人がいたら切り刻まれていただろう。ダークの切れ長の瞳に殺意が宿り、全身で仮想の敵を攻撃しているようだ。
メリッサの胸は痛んだ。
記憶を失っても、ダークの憎しみは消えていないのだろう。仲間を殺された恨みは魂に刻まれているのだろう。
やがてダークは足を止める。深く息を吐いて、天井を仰いだ。
「……軍部に戻るのはまだ先だな」
「教会の自警団なら務まると思いますよ」
ボスコが穏やかに提案すると、ダークは首を横に振った。
「黒い神官服を作ってもらった意義を失うわけにはいきません。俺は魔王として、闇の眷属のために戦う責務があります」
「あなたが戦場で傷つく事は、必ずしも闇の眷属の利益にならないと思います。メリッサさんが説得した方がよい場合もあるでしょう」
ボスコがメリッサに微笑み掛ける。
メリッサは戸惑った。
「私にできる事があればやらせていただきたいのですが……」
何ができるのでしょうか?
メリッサは胸の内で問いかける。リベリオン帝国の中央部担当者の補佐として、何をやるべきか考えていかなければならないだろう。
「メリッサは偽りの聖女だったからね。世界を平和にして、本物の聖女になるといいよ」
リトスは自分の言葉に頷きながら、両目を輝かせた。
「世界が平和になれば、ヘタレのダークだって告白できるよ」
「おい、てめぇこれ以上しゃべるな」
「ほ、本気で睨む事ないだろ!?」
ダークの殺気を察して、リトスはのけぞった。
ダークはナイフを袖にしまい、オルガンの傍まで歩く。
「徐々に思い出す必要があるな」
ダークは椅子に腰かけ、オルガンに両手を置く。
物悲しい和音が教会に響く。いつしかのお祈りの時間に、ダークが演奏したものだ。罪人が許しを請うような、胸を締め付けられる音だ。
メリッサの両目に涙が浮かぶ。仲間のために戦い、傷ついた黒い神官が、どれほどの痛みを背負っているのか想像もつかない。
やがてほんの少し明るい曲調になる。わずかな希望を残して、終曲となる。メリッサの祖国サンライト王国はダークたちの手で壊滅に追いやられたが、復興してほしいと願う。
ふと、ダークが歌を口ずさむ。人の心にどこまでも届きそうな、伸びやかな歌声だ。メリッサが司祭から教わり、バイオレットに喜ばれた歌だ。メリッサが好きな歌だ。穏やかな曲調に、明日への祈りが込められる。
メリッサも自然と歌い出す。相変わらず高音を外すが、ダークの伴奏と歌声がカバーしてくれる。
美しいハーモニーに、ボスコとリトスが聴き入っていた。
最後の長音は綺麗に重なり、終曲となる。
メリッサは思わず拍手をした。ボスコとリトスも拍手をする。
ダークは立ち上がって、頭をぽりぽりとかいた。
「勝手に歌って伴奏を付けたが、良かったか?」
ダークの両頬がわずかに赤らんでいる。何を言われても仕方ないと思っている反面で、メリッサの反応を期待しているのだろう。
メリッサは迷わずに頷いた。
「素晴らしかったです。別の曲も一緒に歌いたいです」
「俺に弾ける曲があればいいが……練習するしかねぇな」
「そうですね。ナイフを振り回す時間を削って、オルガンを練習しても良いかもしれませんね」
ダークは複雑な表情を浮かべた。
「俺のせいで傷ついた人間も、俺がいて救われた人間もいるんだ。簡単に捨てられるもんじゃねぇよ。ナイフもオルガンも、俺にとって大事なもんだ」
「そうでしたね……やはり私はまだ聖女から遠いようです」
メリッサはダークに歩み寄り、ダークの両手をそっと手にとった。
「私はあなたの心を救う聖女になりたいです。その日まで遠いと思いますが、頑張らせてください。黒い神官様のために、一生を捧げさせてください」
「それならてめぇの役割は終わっているぜ。俺の心はもう救われているからな」
ダークが口の端を上げる。
「てめぇはてめぇのままでいてくれ。それが一番安心するぜ」
「私のままで……」
「意味が分からないなら、それでもいいぜ。さて、遅くなったし、そろそろ寝るか」
「分かりました。また明日」
メリッサは笑顔を浮かべて、ダークの両手から手を離す。
偽りの聖女と黒い神官が、ほんの一瞬見つめ合う。互いに確信しているものがあった。
それは他人には見えないもの。絆とも愛とも、一言では表せないものだった。
メリッサにとって、本当に幸せな瞬間だった。




