幕間~彼女の道筋に~
※今回のエピソードは、メリッサがいない場所の話です。
メリッサと修道士や修道女が鍋や器などを洗いに行っている頃に、ボスコは隠し階段を降りていた。
隠し階段の先は教会と同様に、光る蔦が辺りを静かに照らしている。大人が充分に通れる廊下をしばらく歩いて、一つの部屋に向かう。
部屋のドアは閉まっていた。ボスコが三回ノックをすると、ぶっきらぼうな返事がする。
「入っていいですよ」
「やはり寝ていませんでしたか。僕がここに来るのを予想していたのですね」
ボスコは静かにドアを開けて、部屋に入る。
本棚がギッシリと詰められた部屋だ。本棚には大小様々な本が詰められている。床にも背表紙のついた分厚い本が並べられている。
ボスコはドアを閉めて、本に触れないように慎重に奥へと歩く。
部屋の奥には、ふかふかのマットに寝そべって天井を見上げるダークがいた。現在は白いガウンを着ている。左胸の辺りに黒い薔薇のブローチを付けている。
マットの傍に木の机と椅子が置いてある。机の上にも本が並べられ、インクと数本の羽ペンが置かれている。
椅子の背もたれに、黒い神官服が掛けられている。
ボスコは苦笑した。
「相変わらず勉強熱心ですね。珍しく寝間着に着替えていますけど」
「これが勉強している体に見えますか? まだまだですよ」
ダークはあくびをした。
ボスコは朗らかに笑った。
「あなたの真面目さは筋金入りですね」
「俺より真面目な人間なんていくらでもいますよ」
「真面目な人間……メリッサさんですね」
メリッサ。
ボスコがこの名前を口にした時に、ダークは壁を向くように寝返りをうった。
「帰ってください」
「マザーと約束しましたよね。あなたが軍部を兼任したいなら、僕とあなたの間で隠し事をしないようにと」
珍しくボスコの口調が険しい。
マザーとは、前神官長である。本名はグレイスという。ダークの育ての親でもある。安易に逆らう事はできない。
ダークは溜め息を吐いた。
「本来なら神官をやめるべきだと思いますけどね」
「神官を安易にやめるのはいただけませんね。マザーをはじめ、多くの人の期待を背負っていますのに」
「軍部をやりたいのなら神官を兼任するように言われましたね。マザーは本当にきつい事を言いますよね。天国へ行って文句を言いたいです」
ダークは舌打ちをした。
「俺はどうあがいても地獄行きですけどね」
「みんなを安らぎへ導くべき神官がなんて事を言うのですか?」
「事実でしょう。俺は多くの人を地獄に叩き落してきました。世界的に許されるものではないでしょう」
ダークが投げやりな口調で言うと、ボスコは表情を和らげた。
「懺悔なら聞きますよ」
「今はやりません。戦場が楽しくて悔いるつもりがありませんので」
「本当に良いのですか? メリッサさんが悲しみますよ」
ダークの肩がビクッと震える。
沈黙がよぎる。
ボスコはダークの背中を見つめていた。
いくらか時間が経つ。
ダークは溜め息を吐いた。
「あの女のせいでムカつく連中を気軽に殺せなくなりましたね」
「メリッサさんに悪いから、ですか?」
ボスコが尋ねると、ダークは露骨な舌打ちをした。
「帰ってください」
「好きなのですよね?」
「帰ってくださいと言っているでしょう!?」
ダークは起き上がってボスコを睨む。
ボスコは真剣な眼差しを返していた。
「マザーとの約束を破り、僕に隠し事をしたいのならそうしてください」
「……今ほどマザーに文句を言いたい時はありませんよ」
ダークは両肩を震わせていた。
ボスコは深々と頷く。
「幾らでも言っても良いと思います。僕が墓前で代わりに謝っておきますので」
「その必要はありませんよ。ただ、俺の気持ちを理解した所で幸せになりませんよ」
「覚悟しております。あなたの口から聞かせてください」
ボスコに促されて、ダークは溜め息を吐いた。
「俺は何があってもメリッサを嫌いになれないでしょう。しかし、断言しますが、俺はメリッサを幸せにできません。敵が多すぎます」
「彼女を不幸にするのが怖いのですね」
「怖いというより、受け入れられないのです。メリッサが幸せになる道筋の中に、俺がいるべきではありません。彼女が俺と共に地獄に落ちる理由なんてありません」
ダークの切れ長の瞳が微かに揺れる。
ボスコは全身を震わせて、口元をむずむずさせている。目元が綻んでいる。
必死に笑いをこらえているようだ。
ダークは眉を寄せる。
「俺は何かおかしな事を言いましたか?」
「いえ、可愛いと思いまして」
ボスコはついに笑いをこらえきれなくなり、吹き出した。
ダークは口の端を引くつかせる。
「俺が可愛いなんて、てめぇの目は節穴ですね。念入りに取り除かないといけませんね」
「いやいや、落ち着いてください。見た目ではなく心意気の話ですよ」
「誉めてませんね?」
ダークの口調に怒気がこもる。
ボスコはぶんぶんと首を横に振る。
「誉めてますよ。彼女の事は協力しますと言いたいのですが、僕だけでは力不足ですね」
「俺の敵が多すぎるだけです。てめぇの力のせいじゃありません。あと、余計な事はしないでください」
ダークはマットに横たわる。
「今はとにかく寝ます」
「分かりました。おやすみなさい。明日のお祈りの時間はスカイ君の担当ですね、よろしくお願いします」
「分かっています」
ボスコは頷いて、ゆったりとした足取りで部屋を出た。
廊下で溜め息を吐く。
「余計な事をするなと言われましたが……スカイ君の気持ちは、たぶんみんな気づいていると思いますよ」