父のカメラ
十数年前になるが父が亡くなった。
生前、父は自営で印刷屋を営んでいた。得意先のロゴなどを印刷物にするなどで職業柄、写真をよく使い本人もカメラを使うことを楽しんでいた。
私はそういう父親を間近で見ていたせいか、高校生の頃は時々父の一眼レフをいじっていた。
大学生になって私は自分の一眼レフカメラを買った。
「どういうカメラにしようか」
父と話をしたことがある。そうそう買い換えることもないだろうからできるだけいいものを買った方がいい、ということになり、いわゆるフラッグシップ機を購入した。
余談だが大学生の時はこのカメラを使ってアルバイトをしたので父と話をしてとてもよかったと思っている。
歳を取って父は自営の印刷屋をたたんだ。その後、自分の楽しみのためにコンパクトデジタルカメラを買ってきた。
「なんだ、父さん、俺のカメラ貸してやったのに」
「お前の一眼レフは重いから嫌だ」
小さなカメラを持って、母や旧友たちと出かけていたようだ。なので私は小さなプリンターを買って簡単にデジカメからプリントできるようにしてあげた。父も写真を撮ってはプリントアウトして喜んでいた。
父が亡くなり、葬儀を済ませた。
おじおばが郷里に帰るのを見送って家に帰ってやっと一区切りついたと思った時、母から
「ナオ、これ」
引き出しの中からカメラを持ってきた。私はカメラがスイッチを入れてもレンズが繰り出さず、何かカメラに故障がおきているのだと理解した。
「父さんのだね。動かなくなったんだ。どうする?修理するかい」
「私は使わないから。修理はいいんだけど」
「じゃあ、僕が見てみるよ。カメラ預かるよ」
ということでカメラを私の家に持って帰ることにした。
家に持ち帰ってカメラは時々動かしてみたが動くことはなく完全に故障していた。
「やっぱり動かないな」
分解してみようとも思ったが、子供の時からラジオなど分解しても直せずばらばらになったもの多数……。
このカメラだけはおいそれと分解するのはためらわれた。
その後何度か時間をおいて電池を充電してみたりしたがカメラが動くことはなかった。
そのまま一年が過ぎた。
一周忌の法事をすることになった。母から
「一周忌の法事には田舎からおじさん、おばさんも来るんだって」
東京の親戚だけで簡単に済ませようか、と話していたところ父の郷里のおじおばから連絡があった。
「それと、すぐに帰らないで次の日、横浜に行けないかって言うのよ」
葬儀の際はおじおばも出席したがそれぞれ仕事も持っていたりしたので葬儀の翌日慌ただしくに帰ってしまった。
今回は法事に加えて横浜見物したい、ということだった。東京は何度か自分たちでも来ていたりしたので一度横浜をゆっくり見てみたいということだった。
「いいよ。だって子供の時にはおじさんたちにはよく世話になったんだから」
私はすぐさま承知した。私も父の郷里には夏休みごとに行ってはおじおばにはいろいろ世話してもらった。今度はこちらで恩返しする番だ。
私たちも案内するつもりでどこに連れて行こうか考えながら準備を進めた。
一周忌の法事の前日。
数珠やら持ち物を用意していたらふいに父のカメラを思い出した。
引き出しにしまっていた父のカメラを手に取る。
スイッチを入れると「ジーッ」と音がした。
「えっ?マジかよ。こいつ、動くぞ」
カメラが唐突に動き出した家の中を2,3カット撮影してみて画像を確認しても特に問題ない。
これを法事に持っていこう。そう思った。
私は数珠などと一緒にカメラを用意して布団に入った。
法事は滞りなく無事に終わった。
墓前でみんなで写真を撮ろうということになって父のカメラを取り出した。
「母さん、これ」
「あれ、修理できたのかい?」
「いや、何が悪いかよくわからなかったんだけど、使えるようになった」
「ええ?」
母もあれまあ、というような顔をしてビックリしたようだった。
カメラは途中で止まってしまうかもしれないと思いながら私の予備用カメラを使っていたが問題なく使えた。
翌日はおじおばたちを案内して横浜を見物をした。
持って行ったカメラももちろん父のカメラであった。
昨日は無事動作していたので今日も大丈夫だろうと父のカメラを持ってきたのだ。
中華街で食事や散策、山下公園、大さん橋で大きな船をバックに写真を撮ったりした。
もちろん行く先々で写真をたくさん撮った。おじおばも喜んでくれたが、私はこのカメラで撮影できることで父も一緒に出掛けているようでうれしかった。母も同様に思っているみたいだ。
途中この間まで全く動かなくなってしまったカメラだったのを忘れてしまうくらいだった。
行程は無事にこなしておじおばも郷里へ帰っていった。
おじおばが帰って見送った夜、私も家に帰ってカメラの撮影データをパソコンに移した。
次の日の朝、カメラを動かしてみると葬儀の時に預かった時のようにカメラは動かなくなってしまっていた。なんだか一仕事終えた、というように不思議なタイミングで動き、止まったまま眠ってしまった。
「父さんがこのカメラを動かしてくれたんだなぁ」
そう思わずにいられなかった。
そういえば父は死ぬ直前、郷里に墓前参りに行きたい、と父は、母、私家族を引き連れて郷里に最後の帰郷を果たした。その際にも今までの闘病で辛そうな生活がまるでなかったように元気だった。ほとんど物を食べられなかったのに元気なころのように食べ、飲んだりしたのだ。
その数か月後に父は亡くなったのだ。そんなことを思いだした。
また父のカメラは動き出すのだろうか。そっと父のカメラは私のカメラと同じ保管ケースに入れることにした。