忘れ去られた赤と白の老人
「ブランコ楽しかったね!」
すっかり冬の空気になった寒空の下を二人の親子が楽しく会話をしながら歩いていた。
「そうだね。帰ったらすぐ手を洗うんだよ」
母親が優しく娘に笑いかけて言うと、娘も嬉しそうに「はーい!」と答えた。
「ねえ、お母さん、あの人……」
家まであと十分程になったとき、娘が、建物の壁にもたれかかり地面に敷いた段ボールに座り込んだ老人を指差してそう言った。
「ダメよ、あの人は疲れてるから話しかけちゃ」
娘の手前そう言いながら、母親は内心不信感のこもった目線を向けていた。
「……?」
母親が何となくちらりと老人を見ると、その黄ばんだ服が元は赤と白であったことに気づいた。
「あの人どこかで……」
どうしても気になってしまい離れたところから見つめていると、その老人が何かをぼそぼそと呟いているのが分かった。
近づいて耳をすます訳にも行かないので、気にしていない振りをしながら老人の目の前を通りすがる。
「メリークリスマス……」
何とその老人は誰かが通る旅に掠れた声で「メリークリスマス」と挨拶をしていたのだ。しかし誰も気づくことはなく、気づいても距離を離すだけで返事をしようとはしていなかった。
「………」
どことなく不憫に思った母親はその老人のもとに、娘を背中で守りながら駆け寄った。
「メリークリスマス」
「……どうしたんですか? こんなところで。風邪引きますよ」
出来るだけ優しい声色で話し掛けると、その老人が驚いたように顔を上げてこちらを凝視した。
「君は……」
「その格好、サンタクロースですか?」
「覚えてくれていたのかい?。そう、私はサンタだよ。」
老人は笑顔になるが、笑うのが久しぶりなのかごほごほと咳き込んでしまう。
「本物……?」
「そう、と言いたいけれど、昔の私はもう死んでしまったのかもしれない」
老人の言葉が理解できず母親は押し黙ってしまう。
「子供たちがクリスマスを忘れてしまったから、私はもう必要ないんだ。」
世界からクリスマスが消えてからどれくらいがたっただろうか。科学技術は昔とは比べ物にならない程発展し、様々な迷信は信じられなくなり忘れられていった。それはサンタグロースとて例外ではなかった。
「そんなこと……言わないでください……」
母親がどうしようもない無力感に襲われ、その頬を一滴の涙が伝う。
「悲しまないでおくれ。君が、その娘さんが幸せなら、私も幸せなんだ」
そのとき母親は子供の頃、祖母が読み聞かせてくれた絵本を思い出していた。
(確か題名は『クリスマスの夜』だったかな)
絵本に出てくるサンタさんは、クリスマスの夜にみんなの家にやってきてプレゼントをくれる優しい笑顔をしていた。そしてその笑顔は、今目の前にあった。
「娘さん、名前は何て言うんだい?」
母親が娘の肩をそっと叩くと、前に出て恥ずかしそうにしながら口を開く。
「……ゆきです」
「ゆき、良い名前だね。風邪を引かないように暖かくするんだよ」
老人が震える手でそっとゆきの頭を撫でながらそう言う。
「さあ、もう行くんだ。こんな老人と話していたら周りの人に不思議がられてしまうから。」
老人に笑顔でそう告げられふと周りを見ると、何人かの通行人がこちらに好奇の目を向けていた。
「さようなら」
母親の言葉に続いて娘が小さな声で「またね」と名残惜しそうに呟く。
「君のお婆さんに贈ったくまのぬいぐるみ、大切にしてくれてありがとう!」
そそくさと歩いていく親子の背に優しい声が響くと、娘の鞄にくくりつけられたくまのぬいぐるみがゆらゆらと揺れる。
その言葉を聞いて母親はあふれでる想いを抑えることが出来なかった。
クリスマスプレゼントは貰いましたか?
貰ったのならどうか大切に。そして、誰かにその幸せを分けてあげてください。
「メリークリスマス」