表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/49

第7話 エスカの蘇る記憶

 エスカはなんとか事情を思い出し、嫁入りに来たと説明した。

 ところが、屋敷の主人は魔物退治にいって留守らしい。

 明日戻るというので、エスカは一晩、客分として泊めてもらうことになった。


 メイドに年を聞かれて答えたところ、「合法……」とつぶやかれたのが気になってはいるが。

 それ以外は今のところ、丁寧な応対を受けている。


 メイドはシフティと名乗った。

 やはり、この屋敷で働いて長いのだそうだ。

 彼女はエスカを案内しながら、質問に答えてくれている。


 なお、荷物はどこからか別の使用人がやってきて、ささっと持っていってくれた。

 宝物だと言ったら、その中年の女性はとても穏やかにほほ笑み、台車まで出してきて、丁重に運んで行った。

 エスカのウィンド家に対する好感と信頼が、ぐんと上がった。


 そうしてエスカは今、おそらく客間に向かって歩かされている。


 ウィンド家の屋敷は、ロイズ家よりもっと落ち着いた印象だ。

 調度は少ない代わりに、手入れは行き届いている。

 採光用のガラス窓が多く、よく磨かれていて、床も軋みが少ない。


 無駄に広くもなく……過ごしやすい家、という印象をエスカは抱いた。

 何よりエスカ個人としては、窓が低い位置から始まっている点が好印象だ。

 自分の背丈でも、外がよく見える。そして、どこから見ても……庭が美しい。


 実家ではほとんど花など目にしなかったが、色とりどりの花々がどの窓からも見える。

 窓一つ一つが異なる景色を描いていて、それをゆっくり眺めながら歩くのが楽しい。


 景色を楽しんでいて、ふと。

 エスカは、前をゆくシフティが、わざとゆっくり歩いているのに気がついた。

 メイドは時折、エスカに視線を向けており、その横顔がとても楽しそうだ。


「どこも、とても美しいお庭ですね」


 つい、素直な感想を零した。

 花について語れるほどのものは持たないが、エスカが受けた感銘は決して浅くない。


 シフティが振り返り、満面の笑みを見せた。


「はい。当家主人が自ら整えた、最高の庭でございます」


 その返答に、エスカは思わず足を止めた。

 今一度、左手に見える窓の外に目をやる。

 これまで、廊下を二度曲がっている。間取りを考えるなら、エスカたちは屋敷の最奥あたりにいるはず。


 つまり、半分は庭を見ている。そのすべてで花が咲き乱れていた。

 シフティの回答を合わせ、屋敷を囲む庭すべてを子爵本人が手入れしている……そのように想像できる。

 どれだけ花好きなのだろう。鬼ではなく、妖精か何かではないだろうか。


「もちろん、我々使用人一同も力添えしておりますが」


 頭の中で鬼が花の魔人になるところだったエスカは、その想像を追い払った。


「こちらです、エスカ様」


 エスカが外に気を取られていた隙に、シフティは右手の部屋の扉を開けたようだった。

 大きな両開きの戸の奥は、どうも食堂のようで。

 長めのテーブルに、白い布がかかっているのが、見える。


 その一角に、明らかに食事の用意が。

 時間をかけて案内するうちに、準備したということだろうか。

 至れり尽くせりだ。エスカは自分が、本当に持て成されているのだと感極まった。


「簡単なものですが、ご用意させていただきました」


 エスカの目が輝き……油断していた彼女の腹が、盛大に鳴った。

 エスカは思わず俯く。羞恥に頬が赤く染まっていく。

 だがメイドもさるもの。エスカの様子を気にするそぶりも見せず、言葉をつなげた。


「失礼ながら……その。本当は医者を呼ばなければならないかと、思ったくらいなのですが」


 確かに、エスカの容貌はどう見ても餓死寸前だ。

 まともな人間なら、そう気遣うべきところである。

 そのように考えないのは、エスカ本人と、ロイズ家の人間たちだけだ。


「まずは少しお食事いただき、お休みいただければと」


 エスカは答えに詰まった。もう涙がこみ上げて来そうだ。

 だがそれより食欲が勝った。

 いつ以来かまったくわからない、まともな食事。


 気になるのは、作法を思い出せるかどうか、だ。



 ◇ ◇ ◇



 エスカは激怒した。

 必ずやこの美味なる食事を平らげねばならぬと思った。

 しかしパンを一口食べて飲み込んだだけで、胃が驚いて悲鳴を上げている。すさまじい痛みだ。死にかねない。


 だが負けられない。貧弱なわが身に燃える怒りをぶつけ、自らを叱咤する。餓死寸前で固形物接種は、油断すると死ぬ。気合いを入れなくは。

 エスカは今、食の美味さと痛みと苦しみに、強く生を実感している。

 私は、生きている。死ねない。死にたくはない。もっともっと、良く生きたい。そして食べたい。おいしい。おなかすいた。


 彼女はこの一瞬で、大きく世界が広がったようにすら感じていた。

 ただ当たり前の、人の営み。自然な、人の温かさ。人間としての、当然の交流。

 それが小さな世界で自由と生を諦めていた、エスカに。


 新たな命を、吹き込んだ。


 エスカは姿勢を整えつつ、見事な作法で食事を続けにかかる。

 簡単なものと言われた通り、出された料理は、パンと、スープだけ。


 しかしパンはふかふかで白く柔らかく、明らかに今朝焼いたような代物。

 スープには……なんと具が浮いている。体調を気遣われたのか、さすがに肉類はないが、根菜がいくつも入っている。

 食べやすいよう、細かく切られたそれらは、とても柔らかく煮込まれていて……エスカは料理の「簡単」という定義がわからなくなった。


 しっとりと薄い色合いの汁は、よく見ると黄金のようでもある。

 複雑な香り……嗅いだことのないものばかりだ。

 味も、筆舌に尽くしがたい。エスカの人生にまったくないもので、表現ができなかった。


 そして穴が開いたかのように痛む胃。ゆっくりゆっくりと噛んで、飲み下すも、それでも負荷がかかるようだ。

 脂汗を浮かべながら、エスカは食べ続ける。

 痛い。しかし幸福だ。今死にたい。いや死にたくない。


 そばに控えているシフティの、止めようかどうか非常に迷っている様子が、たまに目に入る。

 エスカとしては申し訳ないところだが、今は食事に集中したいので、放っておいてもらえるとありがたいところだ。

 気を引き締めねば、文字通り死ぬ。全神経に意思を注ぎ込み、内臓を制御せねばならなかった。


 エスカは覚悟を強めた。生きるのだ。私は生きるために食べる。

 この食事を絶命せずにやり遂げることが、美味なるものを供されたことへの、感謝と敬意に繋がる。

 長年動いていなかったエスカの内なる細胞たちが、その強靭な意思と、徐々に注ぎ込まれる良質な栄養に活性化していく。


 急激に活動を始める体を、彼女は必死に御し続けた。


 体感で、幾年にも及んだと思うような時間が過ぎ。

 正味30分の、彼女の食事は終わった。

 完食である。パンくず一つ、野菜くず一つ、汁の一滴も残っていなかった。


 エスカは勝利した。

 大きな悟りに至り、新たな人生のステージに到達したかのような、晴れやかな気持ちになった。


「ごちそうさまでした、シフティ。

 おいしかった……満足です。

 でも――――また、たべたい」


 言い終えるや否や、エスカは気を失った。

 遠く聞こえるシフティの悲鳴に、彼女は心の中で頭を下げ続けた。


 そして。

 沈殿した記憶の底に、彼女は覚えのないものを見た。


 乙女ゲームとは、なんだろう?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろう 勝手にランキング

――――――――――――――――

男娼王子に婚約破棄された皇女ですが、示談金代わりに王国と後宮をいただきます

短編:百合ハーしたい皇女の婚約破棄ざまぁもの
――――――――――――――――

婚約破棄?ではそこの聖女と結婚しますね。

短編:悪役令嬢×聖女百合コメディ ――――――――――――――――

夫の王太子じゃなくて年下義母が毎夜私の寝床に来る

短編:王太子妃×王妃百合
――――――――――――――――

女好き王子に婚約破棄された公爵令嬢、浮気相手を全員寝取って復讐完了。

短編:婚約破棄ざまぁ→百合ハーもの
――――――――――――――――

逆行した幼女と令嬢は車で旅に出る

完結長編:百合冒険もの。たまにSS出します。
――――――――――――――――
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ