第30話 エスカへの忠義【シフティ目線】
執務室に戻ってきて。
でかい主人が、そりゃあもう落ち込んでいる。
シフティは心底めんどくさかった。早くエスカ様のところに戻りたい。
だが今エスカ様は、妹様とのご対面中だ。邪魔をするわけにもいかなかった。
でもちょっと見たい。心温まる様子をぜひ拝見したい。後でメリー様に聞くとしようそうしよう。
納得し、少し気持ちを切り替えたシフティはメイルに向き直る。
項垂れている。執務机に座り、手紙を広げ、がっくりと。
謝りはしたものの、ライラ相手に初対面でやらかしたこと、かなり後悔しているようだ。
シフティは、ライラとエスカの関係性を知っている。
エスカがライラへのドレスを縫うにあたって、当然に布などの相談を受けているからだ。
その折に、十分話を聞いていた。
なぜメイルがこれを知らないかと言うと……エスカがシフティに口止めしたからだ。
彼はロイズをよく思っていないだろうから、自分から説明する、と。エスカはそう言っていた。
なおエスカはそのことを忘れている。彼女は別に、記憶力がいい方ではなかった。
シフティはその点を踏まえ、まずエスカをライラに引き合わせる気だったが。
ライラが先走り、メイルが割り込んで、ご覧の有様だ。
早馬で先触れを出せればよかったのだが、ライラを迎えて落ち着いたところに彼らは帰ってきたので。
なんというかもう、片っ端から間が悪かった。
シフティとしては、エスカとライラの間がうまくまとまりそうだったので、それで良しだ。
メイルについては、割とどうでもよい。そのうち立ち直るだろうと思っている。
このメイドはすっかり、エスカに鞍替えを済ませていた。
「シフティ」
「なんでしょう」
「……僕はエスカに嫌われたかもしれない」
メイルが、手元の紙に視線を落としたまま、ぽつりと呟いた。
彼が見ているのは、エスカとやりとりしている手紙だ。
今開いているのは、たぶん竜退治に出る前のものだろう。
シフティはまず、盛大にため息をつきそうになったのを堪えた。
そして、あんたエスカ様舐めてんの?と詰め寄ろうとし、思いとどまった。
どうせシフティが怒っても聞きゃしないのだ。昔からそうだった。
一方で、何気なく言った一言で自己改善することもある。
メイルの相手は、長い目で見なくてはダメだ。
シフティが思うに、その点エスカはよく扱いを心得ている。
今の最良の対処は何かといえば……放っておけばいいのだ。
ライラ嬢との間の壁も、そのうち思いついてなんとかするに決まってる。
そして、次善としては。
別のことを考えさせればいい。
「では挽回なさればいいでしょう。学園は?」
「人質は相手の足かせになる。可能な限り放置だ」
「様子はうかがわなくても?」
「うちからやる必要はない」
「…………わかりました。執事に報せておきましょう」
グレートエストック商会に手伝わせろ、ということのようだ。
シフティとしては、借金で首が回らなくなりそうだと心配な気持ちもあるが。
今回の場合、エスド子爵家以外から金を出させればいいのだろう。
元より、王都や貴族学園の奪還など、子爵程度に関係がある話ではない。
例えば、メイルの義父たるセンブラ伯爵ならば馳せ参じるところだろうが、そこも怪しい。
……そう。あの方ならば、むしろこういう時は引っ込むのではないだろうか。
シフティが少し、考えをまとめようとしとき。
執務室の扉が叩かれた。
『お客様です。メイル様、シフティ様』
侍従の呼びかけに、シフティは声の出そうになった口元を引き締めた。
案の定だ。領にいると厄介ごとが舞い込むと、引き払って来たのだろう。
いや、だがこれはもしや。
彼女が密かに忠誠を誓う、小さな令嬢の姿が思い浮かぶ。
エスカが伯爵家宛ての手紙も何通か出していたことを、シフティは思い出していた。
「来ているのだろう。お通ししろ」
情けない顔を正したメイルが答えると、はたして開いた扉の向こうには。
メイルより少し背か高く、痩身の男性が立っていた。
メイルとシフティは、居住まいを正して迎える。
「壮健なようだな、メイル」
「はい、義父上」
「固いな。嫁を迎えて、もう少しほぐれるかと思ったが。
お前もそう思うだろう、シフティ」
「お父さまは砕けすぎですが、その点に関してはまったくもってその通りです」
「手厳しいな」
痩躯を震わせ、彼――――センブラ伯爵チャッティ・エントは笑った。
シフティはその実の娘。エント家の人間。
様々な事情あって、エスド子爵の家に出されている身だ。
シフティがエスド子爵家において高い権限を持つのは、このため。
後見が派遣した、監督者を兼ねているからである。
一方、メイルの直の親族というわけではないので、彼の代理等は務められない。
「ともあれ、縁談がまとまって何よりだ。
お前たちが良い仲なのではないかと、未だに問い合わせがあるからな。
これで、うるさい者たちを黙らせられるというものだ」
シフティは別に、メイルの妻にと期待されて遣わされているわけではない。
二人の関係はどちらかというと、実の姉弟に近かった。
もちろん、周りはそうは思っていないわけで。
「で。噂の奥方は紹介してもらえるのかね?」
伯爵に振られ、メイルは……何やら逡巡している。
父の目が自分に流れたため、シフティは答えを用意した。
「エスカ様ならば、是非にご挨拶したいと言われるでしょう」
メイルはいまだに自信がないようだが、エスカは婚姻にとても前向きだ。
シフティは彼女を信じていた。
「ではそのように。しばらく滞在させていただくとしよう。
領に戻ると……騒がしそうでね」
やはり。この譜代と言われる貴族は、王都の問題に対してとぼけた真似をするということだ。
逆に言えば、今回の王権簒奪騒ぎはもう王家側で対処の算段がついていて、余計な真似をするなと言われているのだろう。
シフティにも、それくらいの察しはついた。
「いつまでです?」
メイルが静かに尋ねる。
「二月だ。その用意はある」
……これには二つの意味がある。シフティはそう理解した。
一つは、王家が戻って対処するのにそれだけかかるということ。
もう一つは、それだけ引き延ばすことができる――――すなわち、人質を延命させられるということだ。
食料等の支援の用意は、もう手配を済ませているのだろう。
「ではこちらは一月ほど、時間をいただきましょう」
「何もしなくても良いのだぞ? 息子よ」
「あなたと違って、俺は何もするなとは言われないわけですね?」
伯爵は嬉しそうに口元をゆがめた。
「期待されているということだ。
あの方は、花嫁をたいそうお気に入りであらせられる」
エスカをメイルの妻にと推した、貴人のことだ。
「ならば、期待を上回ってみせましょう」
「ほう。珍しく自信があるのか」
「俺……僕は、彼女を信じているだけだよ」
メイルが、笑顔で応じた。
それはシフティも知らない、彼の新しい顔。
騎士ではなく、魔法使いのメイル。
「僕は小さな魔法で、彼女の助けとなろう。
そうすれば。かの方の推す賢人が、きっと良いようにしてくれる」
父の目が少しだけ鋭くなり、その後柔らかく細まった。
「お前が、人を頼ることを覚えるとはな。
会えるのを、楽しみにしている」
満足げに言い、彼は扉に寄る。
「……良い方に巡り合えたようだな、シフティ」
去り際にそう残し、侍従が開いた扉を潜って、伯爵は去った。
メイルが言い渡すと侍従もまた辞し、滞在受け入れの手配に向かった。
二人残され……シフティは呆然と、父の言葉を反芻する。
直前のメイルの言い様が、頭をよぎる。
自分の原点が、脳裏に浮かぶ。
そうだ、私はようやく巡り合えたのだ。
メイルは彼女に出会って、変わりつつある。
なのに自分は――――何をしているのか。
シフティは背筋を正し、視線を上げた。
「……そうね。私たちは、できることをしましょう。
好かれるか嫌われるのかなんて、その後で考えれば良いのよ」
メイルが少し驚いたような顔で、シフティを見る。
「おや。珍しくやる気だね。義姉さん」
そしてからかうように言った。
……本当に変わった。随分と、穏やかな顔をしている。
強気の仮面を被り、常に怯えるようだった彼が、嘘のようだ。
同じ方に逢っているのに。
自分の方が、先に出会ったのに。
出遅れている。
「私はやっと、忠に足る方を見つけたのよ」
シフティは静かに……覚悟を決めた。
侍従の真似事は、終わりにせねばならない。
メイルは数度、そのはしばみ色の瞳を瞬かせて。
目を細め、笑った。
「不出来な領主で済まないね」
「あの方の夫として合格点なら、私から文句はないわ」
「それだけは何としても、満点を叩きだすとしよう」
シフティもまた少しの笑顔で応え、扉の方を向く。
一月で片を付けるなら、ウィンド家が準備に使える時間はもっと少ない。
シフティは言われるがままに尽くす姿勢をいったん置き、主のためとなるべく頭を回し始めた。
エスカはきっと、学園に向かう。
そのために、自分もできることをしなくては。
……手始めに、錆を落とすとしよう。
シフティは静かに、拳を握り締めた。




