少年少女よ、自由であれ
「さて、今日が待ちに待ったオーディション当日って訳だけど、どう? 体調の方はさ。変に緊張してない?」
「うーん。もちろん緊張はしてるけど心地いい感じだ。つまり……」
「ベストコンディションだと。うん。それだけ言えれば上等だよっ」
「あはは、ありがとう」
さて、あれからあっという間に日が過ぎて、オーディションの日がやってきた。調子は最高、とまでは言えないけど、悪くはない。いつもの力を発揮する分には十分だ。
そして、それは彼女も同じみたいだ。緊張しつつも、いつもと同じような雰囲気でいる。
「よしっ、君の調子も確認できたところだし軽く準備しとこっか。マネージャーも後5分くらいで着くって連絡あったし」
「OK。指を動かす分には丁度いい時間だね。んじゃ始めようか」
「よしっ。着いたらインターホン鳴らすって言ってたから、それまでだよ」
「わかってますって」
そう言うとお互いに別々の音を鳴らし始める。俺は家から持ってきたソルフェージュの本をなぞり、彼女は……なんか適当に叩いてる風だけど、多分彼女なりのイメージがあって叩いているのだろう。
暫く、無言で。お互いに自分の世界に没入しつつ音を奏でる。その間に緊張感が、いい意味で高まっていく。
――――こんな公の場で、人に見せて評価してもらうために弾くのは初めてだ。だから、少し不安なのも事実。
でも、同時にきっと大丈夫だ、とも思っている。だって今回は俺だけじゃない。彼女……恋歌さんも一緒に音を合わせてくれるんだから。
何度も、上手く音を合わせられずに苦労した。でも、今は2人の音をうまく溶け合わせられるようになった……、と思ってる。
「大丈夫。今までみたいに1人じゃない。それに……、彼女とあんなに音を合わせたんだから」
自分を鼓舞するようにそう呟く。恋歌さんには聞こえないように、音に紛れるほど小さな声で。
大丈夫だ。この気持ちが不安も、恐れさえも、心地のいい緊張感へと変換してくれる。俺の演奏を、より良いものへと昇華させてくれるような気がした。
そんな気持ちのまま気分よく演奏していると、チャイム音が聞こえた。
「はいはーい! ちょっと待っててくださいよ……っと!」
恋歌さんはその音に答え、ぴょんとドラムセットから飛び降りて玄関へと向かう。
来たみたいだな。そうおもって俺も演奏を中断する。
外で何やら話し声が聞こえた後、恋歌さんがスタジオへと戻ってくる。
そしてそれに続いて、スーツ姿の男性が入ってきた。
「初めまして。私は新田さん……、NIKKAのマネージャーをやってる太田と申します。君が新田さんの言ってた即興ピアニスト、ですね?」
「……はい。古川凛と申します。今日は宜しくお願いします」
お互いにそう挨拶をして、お辞儀。太田さんはずれたメガネを治すためにくい、と鼻緒に指をかけた。
見た目通り真面目そうな人だな、なんて関係のないことを考えた。
太田さんはそんな俺を見て微笑む。そして恋歌さんの方へと向き直った。
「……さて、それじゃあ早速、貴方たちがどれだけ合わせられるのかを見せてもらいましょうか。今すぐ演奏できますか?」
「はいっ、勿論ですよ。よし、じゃあ古川君、始めるよ。準備はいい?」
恋歌さんは太田さんに促されると小走りでドラムセットまで向かい、座る。
「うん、いつでも大丈夫。適当に始めちゃってよ」
そして俺はそんな彼女の言葉に対して、
そう、不敵に笑って返した。
「お、言うねぇ。じゃあ最初っからトバしていくよっ!!」
そう言うと、彼女は思いっきりクラッシュシンバルをぶっ叩き、激しいフィルインを入れる。
その瞬間、俺のス《・》イッチが、かちりと入った気がした。
そしてその音につられるように俺も、激しく鍵盤を叩いて旋律を奏でる。
お互いに思い思いに、自由に奔放にリズムを、音を奏でる。これでうまく音が合わさるなんて、誰も思わないだろう。
でも、俺と彼女はそんな形でも音をピッタリ合わせられるようにこの1週間試行錯誤を重ねてきた。だから、
今、この瞬間、今までの中で最高の音が、このスタジオを埋め尽くす。
彼女の激しく爽やかなドラムに、俺がそれに合うようにスピーディーな旋律を奏でていく。
あぁ、楽しいなぁこれ。
とんでもなく、自由だ。気ままに野原を駆け回っている気分。それなのに恋歌さんと心が一つになっているような、そんな気分になる。
そう思って彼女の方を見る。
あぁ、彼女もやっぱり。
すごく楽しそうに笑って、ドラムを叩いていた。
彼女も、きっとそうなのだろう。こうして自由に叩きつつも、音が綺麗に合うことが嬉しい。だから、こんなに楽しそうにしてくれているんじゃないかな。
そして、それはきっと奏者以外の人達にも伝わっている。そばで聞いてる太田さんも、体を前に乗り出して聞いてくれているのだから。
興奮がピークに達したまま、演奏を思い切り盛り上げて、締める。シンバルの音と終止の和音がピッタリ同時に鳴り響いた。
暫くその余韻に浸るように静寂が俺達を包む。そして、手を叩く音が聞こえた。
「ありがとう、ございます。いいものを見せてもらいましたよ」
穏やかな調子は崩さず、でもどこか興奮したように、太田さんはそう呟いた。
「まず、自由即興というジャンルでここまでピッタリ合わせられることに驚きました。それに……、古川くんのコード進行の斬新さ、メロディの発想。驚きましたよ」
太田さんはそう、称賛の言葉を俺にくれた。
すごく、嬉しい。演奏した後の興奮も手伝ってか、飛び上がりたいくらいだ。
「ふふっ、ですよねっ。私も一緒に演ってて、ここまでノれる人は彼だけなんです。だから――――」
「ええ。彼女が、NIKKAがここまでアグレッシブに叩くのも、それにここまでついて来れる人を見るのも初めてです」
そう言うと太田さんは朗らかに笑う。
まるで、彼自身も、何かを楽しみにしているような、そんな笑顔だ。
そして、すう、と息を吸って、こう続けた。
「合格です。古川君、私からも是非、NIKKAと組んで音を合わせていただきたいです」
『―――っっしゃあああっ!!!』
思わず2人でそう叫び、思いっきりハイタッチ。
多分、人生で1番喜んだだろうな。なんて、
柄にもなくそう思った。