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奪われた冠  作者: 彩雅
96/98

96.赤い事実、黒い幻想

剣を引き抜いた傷口からは、ドロリとした粘性の高い黒い血液のようなものが溢れ出てくる。死者に赤い血は存在しないということだろうか。

(死者が蘇るなんて、お伽噺だと思っていたが)

首のない女はよろりと大きく揺れ動いたものの、未だにその足で地面に立っている。アンデットなど、そもそも伝承でしか聞いたことがない。おそらくこれが初の事例になるのだろう。

この女はできれば生きている間にこの手で断罪してやりたかったが、不可能に近いことだった。


(だが、今ならーーー)


既に死んでいるはずの者をどうしたらもう一度亡き者にできるのかなんてわからないが、どちらにせよもう既に死んだ存在なのだ。今さらこの女に何をしようが誰にも咎められることはないだろう。


「あなたもドウセ、アリスが欲しいんでしょう」


手で持たれたままの首から聞こえるその声には耳を貸さず、無防備な足を切る。膝を真っ二つに両断したはずの剣先を止める事無く、胴までもを二つに引き裂いた。

グニャリ、とどう考えても肉ではなくまるで綿を詰めた縫いぐるみでも斬っているような奇妙な手応えに、思わず顔を顰める。


(···なんだ、この気持ち悪いほどの手応えの無さは?)


切っているはずなのに、切っている感覚も手応えも無い。

足を落とされたことにより立っていられなくなった女がぐしゃり、とそのまま仰向けに倒れた。それなのにも関わらず、声が止むことはない。


「日記は読んダ?」


日記。きっと先ほど見た、マリアナの日記のことを言っているのだろう。たまたま開いたのがルーカスのページだったのだが、そこに書かれていた文を読んだ瞬間、無意識に日記のページを破り捨ててしまいそうになるほど明確な殺意が湧いた。


ーーー彼女の目玉をくり抜き、一生を盲目で過ごさせた上に監禁して人ですら無くただの人形のように扱うなど、到底許されることではない。 


「他の人がドウしたか教えてあげル。シリルは、アリスの足を切り落としタ」

「黙れ」  


今度は手に持ったままの頭に向かって真っ直ぐに落とされた剣先が、避けもしないその頭に向かって飛ぶ。まるで骨など入っていないかのように簡単に頭は割れ、隙間からはぼたぼたと黒い血液が流れ落ちた。既に身につけていた鎧は、返り血のようなもので真っ黒に染まっている。


「ルークは声が枯れるまで悲鳴を上げさせテ、ルーカス様はアリスの目玉をくり抜いタノ」


ケタケタと嗤う声が不愉快だ。地面に転がり落ちた頭を踏みつけ、舌と口を切り裂いた。なのに、そのへばりつくように聞こえる嗤った声は止まることは無くて。


「ねぇ、テオ。あなたはアリスから何を奪ったとオモウ?」


(アリス様から、何かを奪うだと···?)

散々虐げられてきた彼女から、俺が何かを奪う?何があっても必ず守ると誓ったあの方から、自分が一体何を奪うというのか。

気がつけば彼女は自分の手をすり抜けて、どこにいったかすらもわからなくなってしまったと言うのに。


「ふざけるな···!俺はアリス様から何も奪ってない!彼女から何もかもを奪ったのはお前だ···!!」


「ふ、フフ。アハハハハハハッッ!!」


一瞬黙り込んだそのひしゃげたままの首は、突然狂ったように嗤い出した。怒りのままに胴を引き裂いてやろうと剣を振り上げた瞬間。


「テオはアリスの自由を奪っタ。自分無しではどこにも行けないようにして···自分がアリスに依存している以上に、自分がいないと行きていけないぐらいに依存して欲しかったんデショウ?」


その言葉に、手が止まった。


アリス様は、いつも1人だった。

病気になり、理不尽に殿下の婚約者の座を追われた後ですら泣き言の1つも漏らすことなく、誰にも縋ることも、泣くことすらせずに1人で立ち続けた彼女。

自分はどうしてもそんな彼女の支えになりたくて、騎士団を止めて彼女を追いかけた。

実家へと帰省していた彼女に会ったときは、酷く驚いた顔で。嬉しさよりも、戸惑いが勝っているような表情をしていた。


『···テオ?どうして、ここに?』


側にいたいと本心を告げるも、彼女は困ったように笑うだけ。


『···テオは、素敵な人だもの。私なんかのために、人生を使う必要なんて無いわ』

『アリス様。お言葉ですがーーー俺の大切な方を、侮辱することは許しません。それが例えアリス様本人であっても、です』

『···テオ。貴方が私を大切に思ってくれているように、私も貴方が大切なのよ?』

『それは光栄ですね』

『···もう、テオってば!大切にしてくれているなら、私のお願いも聞いてくれたって良いじゃない!』

『嫌です。何を言われようと、もうアリス様の側を離れる気はありませんので』


そう言って無理矢理側にいたけれど。自分がどれだけ彼女の力に慣れたかは分からなかった。心の中ではどれだけ傷つき、苦しかっただろう。病気は治ること無く進行し続けた結果、彼女は実家を離れ、王都ではない遠くの空気の綺麗な領地で療養するようになった。


『···そんな顔しないで、テオ?』


辛い、苦しい、助けてーーー何か一つでも彼女からそんな言葉を聞いていれば、そこまで思い悩む事はなかったのかもしれない。

そんな状態になっても泣き言も言わず、常に笑顔を絶やすことも忘れないアリス様は、王宮にいた頃と何も変わっていなかった。


『テオがいてくれて良かった』


そう言っては穏やかに微笑む彼女は、手を伸ばせば触れられるほど近い場所にいるのに、どこまでも遠く感じる。

あの頃と何も変わってはいないのだと、思い知らされた。ただ、場所が変わっただけ。あの頃と同じように、彼女が気を許すことのできる存在にすらなれない自分は相変わらず、どこまでも無力だった。

その時にはもう、咳き込めば血を吐くほどに病気は進行しており、相当な痛みがあったはずなのにも関わらず、だ。


(···なん、だ。俺はこんな記憶、知らない)


力になりたいのに、頼ってほしいのに。彼女が何一つとして自分を頼ってくれないことが、酷く悔しくて。


『···っ、うっ···』


そんな中、夜に彼女の部屋から聞こえてきた押し殺したような泣き声に、毎晩悪夢にうなされていた事を知った。そんなに苦しんでいるのにも関わらず、なぜ自分は頼ってもらうすらできないのかと気が狂いそうになって。


ーーーもっと、頼ってほしいと。


ありえないことだと分かっていたが、悪夢に魘される彼女を放っておくことなどできるはずがなかった。


『···やめっ、もう、』

『アリス様!!』

『···テ、オ?』

『どうして1人で泣くのですか。どうして貴女は俺を頼ってくれないんだ。···お願いだから、もう1人で抱え込まないでくれ···』


今にも消えてしまいそうな彼女にそう言えば、初めて彼女は俺の前で涙を流した。そんな彼女を見て、どこまでも甘やかして、優しくしたいと。


頼ってもらえたことの酷く甘美な心地良さは、いつまでも忘れることができなかった。


それから少しずつでも、頼るようになってきてくれた彼女だがーーーもう、そんなものでは足りないと飢えたような自分勝手な感情に気がついたのは、いつからだっただろう。

欲深いその感情は留まることを知らずに、膨れ上がった。どこまでも際限なく膨れるその感情は、夜にまた1人で泣いている彼女を見たときに、全て弾け飛ぶことになる。


ミシミシ。


ミシミシと音がする。


『···っ、う、』


アリス様の押し殺したような声を聞きながら、何かが壊れたような気がした。

そんなに自分は頼りないのか、と。なら、彼女が何をするにも自分を頼らざるを得ない環境を作ればいい。そうすれば、彼女は自分に依存するはずだ。自分が彼女に依存しているのと、同じ様になれば良い。

そうすればきっと、この飢えに似たどうしようもない欲も収まるだろう。


ーーー彼女が一人で歩けなくなれば、自分が必ず運ばなければいけなくなるはずだ。


(···今、俺は何を、)


彼女に傷をつけたくない。

なのに、その1度思いついた悪魔のような囁きを、忘れることができなかった。


『アリス様。俺の目の届かない場所へ、行かないで欲しいのです。でも、貴女はすぐどこかへ行ってしまうから···お叱りは受けます。どうか主を傷付けた俺をずっと、許さないで下さい』


「っ···!?」


『欲に負けた俺を、どうか許さないで。憎んでも構いません。目の前から消えろ、死ねという貴女から離れるような命令だけは聞けませんがーーーそれ以外なら、なんでも聞きます。たとえそれが、俺への恨み言でも喜んで聞きましょう』


剣を振り上げている自分。


『麻酔は効いているはずですが···痛かったら申し訳ありません』


目の前にいるものが、アリス様にダブって見えた。


「テオ···?」


彼女の鈴を転がすようないつもの美しい声で、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。


今、自分が切ろうとしているものはなんだ。


目の前にいる彼女の真っ白な足は、真っ二つに両断され、辺りも自分も赤く染まっていた。


「···なん、で···?テオ、痛い、痛いの、」


彼女が、震える手をこちらに伸ばす。


「足が、動かないの」


誰のせいで?

その答えは、自分についた返り血が全てを表しているじゃないか。


(違う。アリス様の声は、こんな声じゃない)


「テオ」


酷く痩せ細った顔。

血色の悪い、白い肌。

そんな状態になっても、泣き言の1つも言わない彼女。


希望を捨てること無く精一杯生きていたそんなアリス様に、俺は何を考えた?


見せられた記憶の中の自分自身に吐き気がした。頼られたいが為に、彼女に不自由を強いるだと?


(アリス様はいつだって我慢してきた。それを知っている自分が、なんでそんな頭の狂ったような事を考えるんだ)


「お願い、もう止めテ」


声が、違う。

これは彼女の声ではない。目の前にいるのは、アリス様ではない。


自分の前にいるのは、アリス様を消し去った女だ。


「テオ!!!」


シリルの悲鳴のような自分を呼ぶ声に、先ほどまでの幻想が全て消え失せる。


「死んでまでもアリス様を侮辱しやがって···!いい加減にしろ!!」


地面に倒れていたはずの体はいつの間にか起き上がっており、どこにそんな物を隠し持っていたのか短剣のようなものをこちらに突き刺そうとしている。

そんなことには構わず、目の前の胴体を首から下へと向かって力任せに叩き斬った。先ほどまでのぬいぐるみを斬っているかのような感触は消え失せ、確実に肉を切り裂いたような手応えを感じる。

手から転がり落ちた頭を目で追うと、地面に落ちる前にどこからか飛んできたボウガンの矢が突き刺さり派手な血飛沫をあげる。 


その血は先ほどまでと違って、気味が悪いほどに赤い。


「テオ、そのまま横に飛べ!!」


その声に地面を蹴り、その場を離れた瞬間。


「そろそろ死んでくれる?その声、ものすごく耳障りなんだ」


圧縮された光ーーーありえないほど威力が込められた魔法の塊が、女の真っ二つに割れた体に向かって放たれた。


「あぁぁああぁぁぁっっ!?!!」


眩い閃光に、思わず目を閉じる。

やがて光が消え、その目を開けたときには、先ほどまでそこにあったはずのマリアナの体は、何の跡形もなく消え失せていた。

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