94.騎士と右腕
慌ただしい室内が、悲鳴で埋まる。これだけの城を支えているのは、当然だが王族なんてものよりも、圧倒的に多いのが家臣や従者達、騎士達だ。幸いにもイベントで上層部が全員集まっていたおかげで、まとめて全員一斉の避難を呼びかけることができたのは不幸中の幸いだったのだろう。
現在は城のあちこちから火の手が上がっているところを見る限り、あのクソ殿下は火を吐く魔物にでも成り下がったのかもしれない。あのまま逃げてきた為、どんな姿になったのかは分からないが。
(魔物の王、なんて大層な名前がついてるところを見ると人間の形をあくまでも残しているのか、はたまたキメラのようなバケモノにでもなるのか。完全に魔物の形をしていた方が倒しやすそうだが)
だがこのゲームはあくまでも乙女ゲーム、しかも美麗イラストを描くことで有名な絵師を起用している。それを踏まえて考えると、元の人間が誰だか分からなくなるまでの変貌はなさそうだ、とため息をついた。だとすればきっと、この城の兵士達は戸惑い、本来の力を発揮することは難しいだろう。
さらり、と白く銀色に輝く髪が目の前で揺れた。アリシアには申し訳ないが、あの呪いのことを考えると気絶してもらった方が確実だと考え、今は気を失っている。
彼女を抱えたままあちこちに避難命令を出しながら、最終的に外へと移動していく。
その時、向こうからテオが走ってくるのが見えた。その手には、何やら分厚い本のようなものを抱えていてーーーどこか、顔色が悪い。
(···テオ、か。呪いのこともあるし、できればシリルの方に会いたかったんだが)
無視できるような雰囲気でもないが、そもそも勝手にこちらが知っているだけであり関わりはなかった。だが、あまりにも様子がおかしいのを見て、気がつけば俺はテオに声をかけていた。
「おい、どうかしたのか。酷い顔色してるぞ」
「···貴方は···」
「んな警戒すんなって。外に出るならどこから行くと早い?」
「···こちらです」
「そうか、ありがとな。で、お前のその様子じゃ、その本が原因か?」
「今はとにかく、外へ出る事を優先しましょう」
「テオ」
「···あなたにそう呼ばれる筋合いは無いはずですが?」
金色の瞳が、どこか苛ついたようにこちらを睨む。炎のような赤い髪も相まって、どこかグレンと対照的に見えた。
「未だにヴェリア嬢を探しているのか?」
「···何、を、」
「彼女はこちらで無事に過ごしている。どこでどう過ごしているかも教えるから、少しは信用してくれないか?」
「···その話が本当だという証拠は、」
「そんなに疑うなら、北の国境に来るといい。彼女はそこにいる」
「北の国境···」
「彼女もあんたをみたら喜ぶだろうよ。自分のせいで酷い目にあっていたら、と心配していたからな」
「···か、」
「ん?」
「···本当に、アリス様は生きているのか?」
震えたような声に、生きているとだけ告げて前を向き走るスピードを上げようとした時、何かが横から飛んできた。
「っ!?」
本だ。
先程までテオが抱えていたもの。あの顔色の悪さから察するに中身をみて、随分とよろしくないことが書いてあったに違いないが、そもそもこれはなんなのだろうか。
「···これ、本じゃねえよな?一体何なんだ?」
「あの女の日記だ」
「マリアナの日記だと?」
「···俺達の個人情報がやたらと細かく書かれている。誰かから聞いたというよりも、まるで何かで直接俺とアリス様との記憶を読んだかのように書かれていた。···『最悪の結末』についても」
「最悪の結末だと?」
つまるところ、歪み度が上がった結果のバッドエンドが全て書かれているということになる。
(···俺達の個人情報、ということは全員分書いてあった、ってことだよな。もしかして、全部読んじまったのか?···自分のも含めて、他の奴らの歪みエンドも読んだとなると···テオの性格上、やばいんじゃ)
嫌な汗が背中を伝う。
他の奴らの歪みの足音を聞いたあとの所謂歪みエンドがどんなものか知らないが、碌なものじゃないに決まっている。
「···まさか、全部読んだのか?」
「?いや、時間が無かったから全ては読んでいない。読めたのは自分の個人情報と、あの殿下の最悪の結末だけだ」
「ルーカスの?」
「···話したくもない。思い出すだけで胸糞悪いんだよ···アリス様を侮辱し続けたあの男だけは、何があっても絶対に許さない」
さぁ、と辺りの温度が一気に凍りついたかのように下がる。ルーカスの歪みエンドはどうやら、テオの逆鱗に触れるような終わり方だったらしい。
(···俺の歪みエンドも酷いものだからな。人のことは言えねぇ)
ーーーグレン様。
グレンが死んで立ち直れなくなった彼女を、こちらのことを気にかけていながらも死を引きずり続ける彼女にいつからか酷く苛立ちーーー死んだ人間にはどうしたって勝てやしないのだと歪み落ちた俺は、嫉妬のあまり彼女の最後の糸を断ち切った。
「いつまでも死んだ人間のことを思うな」
そう言った瞬間、彼女はまるで人形のように無表情になってーーーその日以来、彼女はグレンという名前も、思い出も一切口に出さなくなった。
自分はなんてことを言ったのかという後悔と共に、押し寄せてきたのは『これでもう彼女は自分のものだ』というどこまでも自分本意で、吐き気がするような喜びだった。
「アリス」
そう呼べば、いつだって壊れた笑顔で振り返る美しい彼女。毎日のようにあいしてる、と譫言のように呟く彼女は誰のものなのだろう。
愛が欲しいのに、答えが欲しいのに、彼女からはもう、何1つとして返ってくることはない。
「何か、悲しいことがあったのですか?」
「···悲しいことなんて、」
「でも、泣いています」
俺を見ながらそう言って手を伸ばす彼女。俺のことを見ているはずの瞳は、俺のことを見ていなかった。
「泣かないでください。悲しいなら、私がずっとお側にいますから」
「···なんで、」
「え?」
「なんで、そんな事が言えるんだよ」
ーーーあなたをあいしているからです。
きっとまた、いつも通り何の意味も持たない空虚なその言葉が響くのだろう。
そう、思ったのに。
「···グレン様が悲しむのは見たくないから」
彼女が呼んでいるのは、間違いなく俺の名前のはずなのに。
その裏に隠された、グレンの名前にーーーあぁ
、アリスを壊したのは、俺なのだ、と。
きっと彼女には、もう俺のことなんて見えていない。どこまでもグレンのことしか覚えておらず、アリスのそのアクアマリンのような美しい瞳に映るのはこの先もずっとアイツしかいないのだろう。
それなのに、彼女は俺に囚われたまま。
「あいしています、グレン様ーーー」
そう言って毒のように甘く微笑んだアリスに、手を伸ばさずにはいられなかった。
目の前にいるのに何も届かない。
いくら唇を重ねたところで、何も響かない。
彼女の心は、もうここにはないのだから。
酷い罪悪感と、生涯消えることのない後悔とーーー溢れ落ちるほどのアリスへの愛。
俺は自分自分のハッピーエンドを思い出すことは未だにできていない。だから自分が知る彼女との結末はこれだけ。
このありもしない記憶はきっと、生涯頭の片隅にこびりついて消えることはないのだろう。
だが、壊れてしまったアリスに、死んだグレンの振りをして永遠に届かない愛を注ぎ続ける結末なんて、何があっても見たくないことだけは確かだ。
(あの2人が幸せになるなら、俺はどうなっても構わない。けどーーー俺はグレンにはなれないから)
「···信じてもらえるかは分からんが。俺は、心から彼女の幸せを願ってる」
ぽつりと漏れた声を拾ったのか、金の瞳がこちらを睨むように射抜いた。
「ルードルフ・イバリア」
「···なんだ」
先を走る赤い髪が揺れる先には、既に出口が見えていた。
「もしも先ほどの言葉が嘘なら、地の果てまで追いかけて殺してやるから、覚悟しておけ」
「···はっ、上等だ」
どうやら一応、テオの信頼は得られたようだったーーー随分と物騒な言葉と共に。




