92.イベントを壊す者
ルードルフ編になります。
開かれた扉の先は奇妙なほどに、何の音もせず静まり返っていた。さらり、と2人の男の間から見えた艶やかな銀髪が揺れる。
ーーーまるでゲームの1枚絵のようなその光景に一瞬、目を奪われた。
だがすぐに気を取り直し、アリシアと名前を呼ぼうとして気がつく。
声が出せないのだ。
(···はっ、これがゲームイベントってやつ?マジで声が出なくなるんだな)
驚いたことに、足まで動かせなくなっている。先ほどは体が勝手に動いていたのにも関わらず、だ。まるで呪いのようだと苦笑することすらも許されない。
だが、ここで1つ疑問が残る。
そもそもイベントが起きる場合と、起きない場合があるのはなぜなのか。
(グレンとアリスの出会いもそうだ。イベント通りなら、グレンは彼女に一目惚れするはずなのに)
一目惚れどころか殺そうとしていてーーーだとすればきっと、『イベントが起こるか起こらないのか』については何かしらの条件があるのだろう。
そしてそれは、変えられるものなのか。
それについてはまったくの未知数だ。だが、なんとかして壊さなければならないだろう。
(今はそんな事考えてる場合じゃねーな)
部屋の中央には、アリシアが佇んでいる。自分達の手前にいるのがおそらくテオとシリルあたりだろうか。
そして1番奥にいるのがおそらくあの男ーーーこのゲームの主人公であるアリスをあんな目に合わせた張本人のルーカスだろう。
その少し後ろに立っている金髪に赤い目をした男がおそらく殿下の弟のルーク。そして床にはありえない方向に首がねじ曲がった女が1人、転がっていた。
一目見ただけで、すでに事切れているとわかる。
(···あれが、王妃か)
王の死体が転がっていないところを見ると、既に逃げ出したのか、はたまた既に捕らえられているのか。
「っ、こんな時に来るなんて、誰だか知らないけど随分な命知らずもいたものだね···!」
わずかに焦りが感じられるそのルークの声を跳ね除けるように、その声は響いた。
「······ルーカス」
「···アリ、シア?本当にアリシアなのかい?あぁっ···やっぱり君は生きていたんだっ···!!」
アリシアは向こうを向いているため、こちらから顔を見ることはできない。だが、後ろを向いたままのその小さな肩は微かに震えていた。
「別れの、」
「え?」
「···別れの挨拶を、しにきたの」
「っ···!!!!」
足が、動かない。
前の2人も、何も発さず、動く素振りも見せなかった。いや、違う。おそらく、この場にいる誰もが話すことも動くこともできないのだ。
強制的に、このままイベントが進もうとしている。あの時かけられた呪いの通り、アリシアを殺そうとしているのだ。
「貴方は助けてくれなかった」
本来のゲームシナリオではどういう経緯でこの呪いがアリシアに降りかかるのかは分からないが、おそらく同じような場面がゲームイベントとして存在しているのだろう。
だから余計なことが起こらないように、ここにいる誰もが動けなくなっているのだ。
(ふざけるな···っ!俺は、アリシアを見殺しにするためにここに来たわけじゃない!!)
「ちがう、僕は、君のことを、」
「···私は、死んでなんかいなかったのに」
アリシアが、いつの間にか短剣を握りしめていた。あんなにも死を望んでいた彼女は今、自らを殺そうとしている。
「···いい、」
後ろから聞こえた、小さな声。
「邪魔な奴等は、皆、皆消えればいいのよ···」
(なんでこの女は話せる···!?)
『そもそもの台詞』なのか、それとも何か別の理由があるのか。
(だとしたらそれは何だ!?)
助けようと声を出そうとすると、出せない。もしもそれが、ここで助ける声を上げることでシナリオが壊れてしまうために決められている、イベントを滞りなく進めるための演出なのであれば。
だとすれば、守るのではなく、反対に彼女を罵るような言葉であればーーー?
「さよなら、ルーカス」
そう言って自らの首に短剣を当て、そのまま。
「···っ、なにしてんだ、このバカ!!!」
口を動かし、思い切り唇を噛んだ。口の中に、鉄錆のような味が広がると同時に、ようやく動けるようになった体で俺は形振り構わず彼女に向かって走った。自らの首の皮膚を切り裂いていたナイフを、刃ごと握り潰す。
ポタポタと滴り落ちる血と痛みで、ようやく普通に声が出せるようになったことに気がついた。
これがイベントを壊したことになるのかは分からない。そもそも、このイベント自体がどう進むのが正解なのかも分からないのだから。
先ほど叫んだ言葉だって、取り様によっては罵るというよりは助けようとした言葉にもとれるだろうに。
(···判定が甘くて助かった)
このシビアなゲームにしては珍しい、と思わず口元に苦笑が浮かんだ。
「···ほんっと、アリシアは死にたがりだな」
体の行動権が、ようやく自分へと帰ってくる。その時ようやく彼女の顔を正面から見て、気が付いた。そのどこか虚ろな目をした桜色の瞳からは、涙が溢れかえっていることに。
「···ルードルフ、さん?」
「アリシアを、」
「···ルーカス」
それでもなお、あの男の元へと行こうとするアリシアを無理矢理引き止める。握った彼女よの細い手首が、ドクドクと脈を打っていた。
「アリシアを離せ」
「なんでお前みたいなクズにアリシアを渡さなきゃいけねーんだよ。会いたかった女が目の前で自殺しようってのに、止めもしない奴が」
「っ!!!」
ルーカスの目が、真っ赤に染まる。縦長の瞳孔が見開かれたその目は、よく見知った物だった。
「···魔物、」
(あぁ、そうか。止めなかったんじゃない。止められなかったのか)
ふと、理解した。それはこのゲームに出てくる魔物についての情報を思い出したから。
どうしてこんなよくわからない設定があるのかと思っていたが、今ようやく腑に落ちた。
魔物は人を襲い、殺す。
元から戦っていた相手であれば、死にかければ追い打ちをかけてでも必ず息の根を止めようとしてくるのだ。
だが、反対に始めから戦うのではなく、魔物の目の前で自殺しようとすれば、不思議なことが起こる。
(···昔、新兵が恐怖に駆られて自ら命を絶った事があった。その時、魔物はーーー目の前で行われているそれを攻撃することもなく、ただそれを見ていた。)
つまり、魔物であるこの男は。
「あぁ、そうか。ならアリシアを止めることはできないだろうな。本能的に魔物は人を殺したくなるものだから、それが誰であれ勝手に死のうとした人間を止められる訳がない」
「だ、まれ、」
「それに、お前が冠を乗せる相手に選んだのはアリスでもアリシアでもなくこの女だろうが!この女は返品する!北部はお前の父親のせいでこんなん相手にするほど暇じゃねぇんだ、2度と寄越すんじゃねえ!」
「黙れぇえええっ!!!」
魔物の咆哮と遜色ないそれは、発せられた瞬間に窓ガラスが全て吹き飛んだ。咄嗟にアリシアを腕に抱え込み、彼女が持っていた短剣をルーカスに向かって投げる。簡単に弾き飛ばされたそれに、一筋縄ではいかなさそうだと舌打ちが飛び出す。
ここに来ていたのがグレンならやりあえたかもしれないが、残念ながら自分は後方支援型ーーーそんなことを考えている時、耳が奇妙な音を拾った。
バキリ、と鈍い音。
まるで卵の殻を突き破ったようなその気味の悪い音に、本能的に危険を悟った俺は、アリシアを抱え込んだまま身を守るように土壁を生成する。
それとほぼ同時に、ルーカスが突然、ルークに向かってその手を伸ばした。瞬時にルークが魔力の塊のようなものを放ち、爆発を起こす。
ーーーその凄まじい衝撃に、残っていた窓枠が全て吹き飛んだ。




