89.死に至る音
グロ表現あり。閲覧注意です。
「···グロリアーナ···」
なぜ、ここに彼女がいるのか。
美しく弧を描くその赤い唇に、ゾクリと背中に寒気が走る。
(あれだけの隊員の人が探しに行ったのに···見つからなかったということ?それとも、)
入口や通路に魔物を引き寄せ、そもそも自分を探させるところではなくしたか。それとほぼ同時に、その考えが正解だと言わんばかりに辺りには酷く甘い匂いが立ち込めた。紫の髪を掻き上げ、こちらを睨みつける金の目が私を射抜く。
「本当に、なんでアンタは何をしても死なないのかしら。ほんっと、人形のクセに目障りで仕方がない···!!」
グロリアーナは苛立ちを隠そうともせず、憎悪をこちらに向けながら近付いてくる。彼女の手から滑り落ちるように、空になった小瓶が1本床に転がり落ちた。おそらくあの香水だろうと直感的に理解したが、一体ここにくるまでどれだけの量を撒いたというのか。さきほどのハーピーのような小型の魔物なら、すり抜けてきてしまうかもしれない。
「さっきは死にたいとか言ってたからわざわざ窓から落としてあげたのに···!人間ですらない、魔物を吐き出すバケモノのくせしてグレンの婚約者を気取ってんじゃないわよ!!」
「···バケ、モノ?」
私が、死にたいと言った。
魔物を吐き出すバケモノ。
その単語がすぐには理解できず、思わずグロリアーナの顔を見返す。
「···何を、言ってるの?」
死にたいなんてそんなことを言った覚えはない。そしてこれから先も、2度とそんな言葉を言うつもりはない。
それなのに、どうして彼女はまるで1度私に会っているかのような反応をするのだろう。そもそもこちらに帰ってきてからここで出会ったのが初めてのはずなのに。
その上、死にたいと言った私を窓から突き落とした?
錯乱しているのか、それとも毒の使いすぎでありもしない記憶を作り出してしまったのだろうか。
それがたとえ本当のことだとしても私はそんなことをされていない。私に似た誰かを見間違えたのだとしても砦に女性はいない。そうなると、自分と共に来た女性の中の誰かと見間違えたことになる。
(そんなことがありえるの?)
「アンタがいなくなれば」
そう呟いたグロリアーナが、足元に落ちていた瓦礫の欠片を手にする。鋭く尖ったその固い石は、十分に凶器と成りえるものだ。あんな物が当たったら、ただでは済まない。
「グロリアーナさん」
その声に、グロリアーナの興味がそちらに向いた。鬱陶しそうに、金の瞳が彼女の側に蹲っていた女性へと移される。
「···あらぁ?セリンダ、あなたまだ生きていたの?」
「···まだ、グロリアーナさんに報告できていなかったので」
「ふぅん?」
いくらポーションをかけたとはいえ、全ての傷口にかけられた訳では無い。まだ痛むであろう全身を引きずるようにして、セリンダと呼ばれた彼女が再び口を開いた。
「さきほどのネズミはあの瓦礫の奥へ逃げ込みました」
「···へぇ、じゃあ取り逃がしたってワケね」
「すみませ···」
(さきほどのネズミ?···もしかして、)
あの行動は、バレていたのか。だから彼女ーーーセリンダは自らの体を犠牲にしながらでも魔物を引き連れ、私を追いかけてきたのだろうか。
「素直なのは良いけれど、使えない手駒はもういらないのよッッ!!」
突如として激昂したグロリアーナは、持っていた石を彼女の頭に向かって振り下ろした。
「危ないっ!!」
「きゃぁぁあああっ!!?」
2人と距離が離れていた私には、何もできないまま。セリンダの悲鳴と共に赤が舞う。痛みで床に崩れ落ちた彼女には目もくれず、石についた血を振り払った。ぼんやりとした明かりとこの距離では、彼女がどうなっているのかまでは分からない。
(でも、頭を···!)
床に倒れたまま動かない彼女は生きているのか。今すぐにでも駆け寄り安否を確かめたいが、たった今セリンダを殴ったばかりのグロリアーナがそんな事を許すはずも無い。
「無能な部下を持つと上司は苦労するわぁ。さぁて、次はお姫様の番ね。今度こそ確実にあの世に送ってあげるから心配しないでねぇ?」
そう言ってこちらへと歩いてくると同時に、また地面が揺れた。それに足を取られたグロリアーナが、体制を崩して床にしゃがみ込む。その拍子に、持っていた石がどこかへ転がっていく。立っていられないほどの揺れが収まりかけた時、私は顔を上げた。
その後ろ、入口へと続く通路から。
何かが、顔を覗かせた。
「っ···!!」
赤い色をした巨大な花に見える体。
その花に生えるかのように、中央に位置する部分にいたのは真っ白な肌をした女性に見える『何か』。何も纏っていないその背中に大きな蝶の様な羽がついているその魔物は、あの時部屋で見た私を連れ去った魔物ーーーヴェアーラズ、だった。
苛立った様子で地面から立ち上がったグロリアーナは、後ろに立つヴェアーラズに気が付いていない。
だがそれは、私も同じ。背後の魔物に気を取られすぎていた私は、いつの間にか取り出されたもう1本の瓶に気が付かなかった。ようやく気が付いたときには、既にその瓶の蓋は開いていて。
「死になさいっ!!!」
投げつけられた言葉と共に、空いていた距離を詰めようと走り出すグロリアーナ。それに釣られるかのように、ゆったりとした動きでヴェアーラズも動き出す。
反射的に手にしたのは、腕につけていたブレスレット。つい先程見つけた切り込みを思い出し、咄嗟にプレートを裏返して切り込みを押し込んだ。魔力が入る以上は何かしらーーーそれが攻撃か防御かは分からないが、何かしらの効果はあるはず。どのぐらいの魔力が必要になるかも分からないが、今はこれにかけるしかなかった。
ブレスレットへ、魔力が流れる感覚。
私に瓶の中身をぶちまけようと、グロリアーナがこちらへ向かって瓶を振りかざす。
「っ!?」
だが、その中身がこちらに届くことはなかった。
「なっ、」
突如として現れた透明な壁のようなものが、ばら撒かれた液体を全てグロリアーナへと弾き返したから。
頭からずぶ濡れになった彼女が、目元を乱雑に拭いながらなおも私に食らいつこうとしたがーーーそれは、突如として彼女の胸元から生えてきた腕によって阻まれた。
「え、っ、?」
ゴボリ、と口から血が溢れかえる。そのまま吐血したグロリアーナは、訳がわからないと言った顔をしながら後ろを振り返った。
「······ヴェアー、ラズ···?」
金の瞳が大きく見開く。
頭から魔物寄せの匂いを被った彼女が魔物の目にどう映るのかなんて、火を見るよりも明らかで。
胴体の赤い花に、自らの手から伝った血が滴り落ちる。それを見たヴェアーラズの口元が、ゆるやかに弧を描いた。
「あ、ぐぅ、」
空気を求めるかのように、グロリアーナの唇が動く。小柄なはずのその魔物が宙に浮くと、そのまま彼女も一緒に宙へと舞い上がった。
「あぁぁあぁぁぁあっっ!!!?」
悲痛な悲鳴が辺りに響き渡る。身に纏っていた濃い紫のドレスが、胸元を中心にさらに濃い色で塗りつぶされていく。
(声が、出ない、)
本当に今目の前で起こっている出来事が現実なのか、実感が湧かない。バサリ、と鈍い音を立てて蝶のような艶やかな羽が宙を舞う。
左腕に比べて、異様なほどに長い右腕。
ヴェアーラズがゆったりと胸元を突き刺したままの右腕を持ち上げると、まるで柔らかいものが突き刺さっていくかのように、グロリアーナの体が肘から肩の方へと沈んでいく。
「ぎぁ、あッ、ご、ぼっ」
口からは血が溢れ返り、もう意味を成す言葉は何一つとして出てこなかった。かろうじて聞こえてくるのは、まるで自らの血で溺れているような声だけ。
その声を聞いたヴェアーラズの口元が歪む。
まるで、その行為を楽しんでいるみたいに。
数分か、いや、もっと短いのか。
時間の感覚が狂い、どのくらいグロリアーナが空中に浮かされていたのか分からない。もう何の反応も無くなった彼女をまるで虫でも払うかのように腕を振るうと、力の抜けた体は固い床へと叩きつけられた。
グロリアーナを突き刺していた腕にべったりとこびりついた血を舐め取ると、ゆっくりと赤い瞳が私の方を向く。
(にげ、ない、と)
このままでは殺される。
そう、頭では分かっているのに。
体が、動かない。
「···な、んで?」
魔力切れだ。
そう分かった時には、もう遅い。
急に魔力切れになった体はしばらく動かすことができないのだと気がつき、背筋が凍り付く。
(グレン、様)
まだ、死にたくない。
そんな私を嘲笑うかのように、ヴェアーラズがゆっくりと大きく息を吸いこんだ音が聞こえる。
それはまるで、自らが死に至る音を耳元で聞かされているようだった。




