88.狩りを制すは、
ハーピーの咆哮に思わず耳を塞ぐも、ビリビリとした甲高い奇声が塞いだ手を貫通して耳を劈く。辺りを震わせるようなその声に、再び室内が振動するかのように揺れた。
ーーーミシリ。
「···!!」
天井の亀裂が、また大きくなった。先程一部が崩落した事も相まって、おそらく天井自体が脆くなっているのだろう。
きっとここに来たばかりの私なら、魔物に対する対抗手段など持たない私は死ぬしか無いとすぐに諦めてしまっていたかもしれない。だが、私はもうあの時の私ではないのだ。
過呼吸になりそうな息を呑みこみ、大きく息を吸って自分に落ち着けと何度も言い聞かせる。
(考えるの。あの魔物を倒さないと、私はここで死ぬわ)
だが、どうやって倒すのか。武器もない。身を守る盾すらもない。そんな状況で、何をしたら勝機があるというのか。考えている最中にも、ハーピーがその翼を大きく広げ、一瞬だけ停止したかと思うとーーー横に薙ぐように翼をしならせ、こちらへ向かって羽を飛ばしてきた。
「っ···!!」
咄嗟に床に転がるようにして倒れ込むが、何本かの羽が避けきれず、肩や腕に掠った。かろうじて刺さらなかったものの、ナイフのように硬く鋭い羽はそのまま服を貫通し、破れた箇所からは肌が覗く。肌からじわりと滲んだ赤に、引きつるような痛みが走る。手も床に手をついた時に擦れたのか、ズキズキとした痛みがあった。
もしもあの羽を直に食らったらまともに動けなくなることは目に見えていたが、今回のように何度も避けられるとは思えない。
だが不幸中の幸いというべきか、すぐに仕留めるのではなく、まるで遊んでいるかのように羽を飛ばすハーピーの動きを見る限り、戦闘をするつもりはなさそうだ。きっと、じわじわと獲物を弱らせて狩りを楽しんでいるのだろう。
ドン、とまた大きな揺れが足に伝わってくる。この衝撃が一体何の衝撃なのかはわからないが、視線を天井に向けると先ほど崩落した天井付近の亀裂がさらに大きくなっていることに気が付いた。
このままここに立っていたら、再び崩れてきた天井に巻き込まれて押しつぶされてしまうかもしれない。
(···天井が、崩れる?)
ふと、先ほどの一瞬で瓦礫の山が積み上がった光景を思い出す。凄まじい衝撃だった。
巻き込まれれば、きっと、無事では済まない。でもその対象は、人だけに限らないのではないだろうか?
ーーーもしも先ほどのような落石を、このハーピーに当てられたら。
おそらく、ここはしばらくしたら天井が再び崩れるはずだ。だが、崩れるだけではなく、ハーピーを巻き込まなければいけない。
崩落させるための衝撃がいつくるかは分からない為、移動させた上でここに留まってもらうか、もしくは崩落と同時にこの場所へ誘導するかの2択になるだろう。
(何か、興味を引くようなものがあれば···)
そんな事を考えていた矢先、再び嘲笑うかのように羽が飛んでくる。
避ける為にまた横へと転がるように飛んだものの、判断が遅かったらしい。想像よりもずっと早く動いたハーピーの羽は、私の肩へと突き刺さった。
「いっ···!!」
鋭い痛みに、思わず顔を顰めた。痛みが恐怖を産み、判断や思考を鈍らせる。
ハーピーがまた少しずつこちらへと近づいて来ているのが分かった。
(ここに来たとき、ハーピーは私が視界に入ったはずなのに、興味を示さなかった。彼女が、魔物寄せの香水をつけていたから。だとしたら、香水の方がハーピーは引かれるということ)
あれから彼女は床に倒れたままピクリとも動かないものの、まだ息はあるのか、かすかに背中が動いているのが見えた。痛みを堪えて肩に刺さった羽を抜き、ポーションをかける。すると、今度はハーピーがバサリと羽ばたいて足を宙に浮かせるのが見えた。
それを見て嫌な予感がした私は、すぐに対応できるようにできる限りの速さで立ち上がるとほぼ同時に、ハーピーが翼を大きくしならせる。
そしてそのまま、こちらへ向かって一気に距離を詰めてきた。その場からとにかく走って、倒れたままの彼女の方ーーー先程のハーピーがいた場所まで一直線に駆け込む。
「ギィッ···!?」
私が自分が元いた方向へ走って避けるとは思っていなかったのか、はたまたそのまま押し潰そうとしていたのかはわからないが、飛んだ勢いのまま壁へとぶつかったらしい音がして、室内が大きく揺れた。
「え···!?」
どういうことだろう。魔物がこんな風に、わざと壁にぶつかるなんてことがあり得るのだろうか。普通なら壁にぶつかる前に回避するか、もしくはある程度最初から加減して飛ぶものではないのか?
魔物だって、知恵が無いわけではないはずなのに。もしも普段の戦闘と違う事が原因だとしたら、それは。
(···ここがいつものように屋外ではなく、室内だから?)
砦の内部で魔物との抗争が起こった話は1度も聞いたことがない。だとしたらそもそも魔物は、外でしか戦ったことがないのかもしれないという答えに行き着いた。もしこの室内の大きさが把握できておらず、いつものような力が出せないのであれば、そこに倒せる余地があるかも知れない。しかしいつ体制を立て直してこの場に順応してしまうかは分からずーーー明らかに時間が無いのは明白だった。
駆け込んだ先で倒れている彼女に、大声で声を掛ける。
「生きているなら返事をして下さい!!」
ようやく駆け込んだ先には先程の女性が床に倒れたままピクリとも動かなかったが、私が叫んだ言葉に反応したのか、わずかに目を開けた。
「······あ、あぁ、」
彼女の右手は手首から先が無くなっており、未だに血が流れ続けている。齧り取られた為か、断面はズタズタになっていた。
「っ···!」
込み上げてきそうになるものを抑え込み、手首の先にハンカチをかけ、無くなった先を見えなくしてからポーションをかける。
人間はあまりに悲惨な怪我をした場合、それを認識した瞬間にショック死してしまう事があると聞いたことがあるから。真っ白なハンカチは血を吸い込み、一瞬で真っ赤に染まったが、それ以上溢れてくる様子はない。被せただけのハンカチが取れてしまわないようにと、端同士を摘んで縛る。
「わ、私のう、で、どうなって、」
彼女は呆然としたまま譫言のようにそう呟く。
「止血はしたから大丈夫よ」
体中に突き刺さる羽が、酷く痛々しい。私は急いで突き刺さっている羽を抜き始めた。
抜くたびに痛みが走るのだろう、彼女の背中がびくりと大きく跳ねる。
「ごめんなさい。少しだけ我慢してて」
「···な、にを、しているの。私は、あなたを、」
その行為に驚いたのか、彼女が顔を上げる。彼女の瞳は黄緑色をしていたのだと、そこで初めて知った。
「殺せと命令されたのでしょう?」
「っ、わかってるなら、なんで、」
彼女の目から、涙が溢れた。
「···だからといって、目の前で大怪我をしている人を放置するなんて、できません。貴方は操られていただけなのですから」
彼女の使用した香水のせいで、危険な目にあった。グレン様にも、他の人にもたくさん迷惑をかけた。
でも、だからといってーーー彼女をここで見殺しにすることが正しいとは思えなかった。
(この判断が甘い事はわかってる。だから、こうすることで何があったとしても自分で責任を取らないと)
それがたとえどんな判断であれ、結果は必ずつきまとうものだから。
彼女に刺さっていた、最後の羽に手をかける。
特に深く突き刺さっていたそれは生半可な力では抜けず、両手で握りしめて一気に引き抜いた。ようやく全ての羽を抜き終えたことを確認すると、もう1本のポーションの蓋に手を掛ける。瓶の中で、薄緑の液体が揺れた。その音を目で追った彼女が、涙声で声をあげる。
「···なんで?なんで、よぉ···私は、何もしてないアリス様を、殺そうとしたのにっ···」
その言葉に、私は目を瞠る。彼女の鮮やかな黄緑色をした目には、もう何の濁りも見られなかった。
「ギィィイイイ!!」
「っ···!」
その咆哮と共に、再び室内が揺れる。今まで反応がなかったのを見るに、もしかしたら少しだけ気絶していたのかもしれない。
今ハーピーがいる場所の少しズレた場所の真上には、穴が開いている。天井に開いた穴からはいくつもの亀裂が伸びており、いまにも崩れ落ちそうになっていた。
このままもう少しだけあの場所に留まらせることができれば、崩れ落ちる天井で押しつぶすことができるかもしれない。
もう一度あの揺れがくれば崩れるかもしれないが、次の揺れが来るまでどれくらいかかるかもわからないのでは、あそこにハーピーが留まっている確率は0に等しいだろう。
どうにかして、気を引くことが出来ないか。
先ほどの行動を見る限り、おそらくあの魔物は輝くものに興味を示すのだろう。ハーピーが輝く物を好むなど聞いたこともないが、半分は鳥が混ざった魔物だ。もしかしたら鳥の習性で、輝くものに興味を示したりすることもあるのかもしれない。
(香水の匂いがついたさらに輝くものなら、気を引けるかも知れないわ)
ーーーそう思ったとき、彼女の胸元で輝く物が目に入った。
「···!そのネックレスを私にいただけませんか」
「これ、ですか···?構いませんが、こんなもの、何に使うんです···?」
私がそのネックレスを貰うとほぼ同時に、ハーピーが再び翼を大きくしならせる。
(また突撃する気ね。それなら···!!)
自分自身も、ハーピーに向かって走り出す。
「アリス様!!」
悲鳴と同時に、先ほどまでとは比べ物にならないぐらいの揺れが足元を襲った。まっすぐ立っていられないほどの揺れに、亀裂が一気に大きくなる。
「届いてっ···!!」
私は、光が差す場所へ向かってネックレスを精一杯の力を込め投げる。
ハーピーは私が何かしらの攻撃をしたと思ったのだろう、その投げられたものを反射的に目で追った。
天井に開いた穴から差し込む光に、香水の匂いがついたネックレスの宝石が反射する。
香水の匂いに釣られたのか、はたまた宝石の輝きに釣られたのかーーーハーピーは向きを変え、自ら今まさに崩れ落ちてくる天井の中へと突っ込んでいった。
「ギィイイイイイッッッ!!?」
ハーピーの姿は大量の瓦礫に飲まれ、断末魔と共に消え失せる。雪と煙が入り混じり、思わず目を覆った。
ドクドクとした、心音が響く。
ゆっくりと目を開けると、瓦礫の下からブクブクと泡立って消えていくのが見えた。
(···倒、した)
足から、全ての力が抜ける。
だが、床に座り込んだ瞬間、後ろから聞こえてきた声は。
「みぃつけた」
彼女をけしかけた本人ーーーグロリアーナの物だった。




