87.絶たれた退路
グロ描写注意です。
避難誘導が粗方終わった頃、ふとブレスレットが目に入った。あれから熱は感じないものの、灯りに手首を翳すとプレートが裏返っていることに気がつく。
表の名前の刻まれた箇所ばかり見ていてじっくりと裏側をみたことはなかったのだが、プレートの裏に切れ込みのようなものが入っている。そこでふと、これをもらった時のグレン様が話してた事を思い出した。
ーーー対した効力はないが、お守り代わりに使うと良い。
「お守り···」
これはつけている相手の生死が分かるものだと言っていたけれど、その効果だけ見ると一般的に『お守り』と呼ばれる物とはなんとなく違う気がする。
(もしかして、他にも何か効果があるかしら?)
不思議に思い爪で押し込んでみると、プレートの中へと体の中の魔力が引っ張られる感じがした。
「これは···?」
魔力を注ぎ込めば何がか起こるということだろうが、一体何があるのだろう。そんな事を考えた時、私に声がかかった。
「ヴェリア様!あとはもう大丈夫です!あなたも避難をーーー」
最後の一人を向こうへ送ったカークさんが、割れ目から体を覗かせ大声で叫ぶ。その声を顔を上げた、そちらへと走り出そうとした時。
辺りに凄まじい轟音が響いた。
入口へ続く通路の方から石が弾けるような音が断続的に聞こえ、それはどんどんと大きくなる。その場に立っていられないほどの激しい揺れに、思わず私は膝を折った。
1度、2度、3度。
大きな地震が何度となくシェルターを襲う。外にいる魔物の攻撃なのか、それとも本当に地震が起こっているのか。バキバキッ、と何かが軋むような鈍い音が天井から響いてーーー。
「カークさん、避けて!!」
崩落した天井の一部が、割れ目の奥にいたカークさん目掛けて降ってきた。
「っ···!!」
凄まじい衝撃と音に、目を開けていられない。煙が漂う中、目を開けた先には瓦礫の山がうず高く積もっていた。そこに確かに存在していたはずなのに、落ちた天井で割れ目は埋まってしまっていて、もうどこに割れ目があるのかもわからないる。
「カークさん!!」
まさか天井の下敷きになってしまったのではーーーと最悪の予想が頭を過る。揺れも収まらない中なんとか割れ目へと近づこうとするが、再びの強い衝撃に足を取られて床へと転がると、壁に何かが突き刺さったのが見えた。
「え···?」
その、飛んできたものに目を見張る。
「···は、ね、」
背筋が凍りつく。
そこは、今まで自分が立っていた場所。もしも転んでいなかったら、頭か首に直撃していたかもしれない。そしたら、私は、どうなっていたの?
(···死ん、で、)
動物の羽ならば、きっとこんな風に刺さる事はないだろう。だとしたら、考えられる事は一つ。あれは、魔物の羽だということ。だが、ここまでくる通路はかなり狭い作りだ。だから、大きな魔物は入ってこられないはずなのに。
なんで、どうやって?
叫びだしたくなるのを必死に堪える。パニックになったらきっと終わりだと分かっていたから、こういう時ほど冷静になるべきだと恐怖を抑え込み、自分に言い聞かせる。崩落した天井に開いた小さな穴から、月の光が降り注いだ。
手を握りしめ、意を決して後ろを振り返る。
「···ハーピー···」
通路とこの広間をつなぐその場所に、その人間より少し大きな魔物は悠然と浮かんでいた。そしてその前には、ぼんやりとした虚ろな目をして佇む女性が一人。
(あの人···!?)
間違いない。私に香水をかけた女性だ。彼女の後ろに浮いているハーピーは、長い髪を揺らしながらバサリ、とその白い背中から生えている鳥のような翼を羽ばたかせた。
「···さっきの鼠は、お姫様だったの」
ぽつり、と虚ろな目をした女が何事かを呟く。だが、何かがおかしい。よく観察すると、動き方が酷く不自然なことに気が付いた。暗がりに立っているため見えにくいが、足の動き方がおかしいのだとようやく気が浮く。
(足を、引きずってる?)
ずるり、とまるで体を引きずるようにしてこちらへ歩いてくる姿は、まるで怪我でもしているようで。しかし、ふと灯りに照らされたその人を見て、私は息を呑んだ。
顔から流れ落ちる、赤い血。そして彼女の体中に突き刺さっていたのは、無数の羽。
(あれは、ハーピーの羽···!?)
ふわりと、あの胸焼けがするような甘い匂いが漂ってくる。まさか、あの人は自分に香水をかけ、自らに羽が突き刺さるのも厭わず瀕死になりながらも、ここまでハーピーを誘導してきたとでも言うのか。
ハーピーはこちらに目もくれず、再び翼を振り上げ、まるで弱った獲物を弄ぶかのように羽を飛ばした。再び、何本もの羽が彼女の体に突き刺さる。その衝撃で前のめりに倒れた彼女は、その唇から真っ赤な鮮血を吐き出した。
「駄目っ···!!」
これ以上刺さったら、彼女が死んでしまう。反射的に手を伸ばそうとしたとき、再び大きな揺れがシェルターを襲った。ミシリ、と建物全体が軋むような音がして、天井の亀裂がさらに大きくなる。
彼女は床に倒れたまま、動かない。動けないのか、それとも、死んでしまったのか。ここからではどうなっているのか、確認することもできない。
ハーピーは動かなくなった彼女の側へと寄ると、右手を持ち上げた。右手にはブレスレットがついており、光に反射して宝石が輝く。右手だけでハーピーに持ち上げられたような形になった彼女の胸元に、ブレスレットよりも大きな宝石がついたネックレスがついているのが見えた。
そして、その大きく開けた口で。彼女のその細い腕を、簡単に噛みちぎった。
「ぎゃあぁぁああぁぁっっ!!!」
ぶつり、と千切れた右腕。支えを失った体は、スローモーションのように床へと崩れ落ちる。先が無くなった右手からどくどくと床に広がる血は、あまりにも現実感がない。
(そ、んな···)
ハーピーは齧り取られた右手から血塗れのブレスレットを抜き取ると、キラリ、と光を反射してブレスレットについた宝石が輝く。それを興味深そうに眺めると、その輝く宝石を気に入ったのか、ハーピーの口角が上がった。先程まで彼女についていたはずの右手は、床に投げ捨てられている。
ハーピーは先程の声で私に気がついたのか、それとも気が付いていたが害はないと判断していたのか定かではないが、倒れた彼女を放置したままこちらを振り向く。ギョロリとした縦長の瞳孔に赤い目を持つハーピーは、美しい女性の形をしているのにも関わらず、恐怖を煽られるような見た目をしていて。
その目と視線が合い、自身の背中が凍りつくように冷えていくのが分かった。
本能的な恐怖に、体が震える。
私に、もう退路はない。
先ほどまで繋がっていた出口は、落石によって埋もれてしまった。あんなにもカークさんが心配してくれて、逃げるように何度も言ってくれていたのに。
ハーピーは宙を飛ぶのを止め、何度か羽ばたいてから鳥の形をした足を地面につけると、こちらへ向かってその足で歩く。まるで真紅の口紅を引いたかのような赤い唇が、新しい獲物を見つけたと言わんばかりに、ゆっくりと弧を描いてーーー。
「ギシャアアアアァ!!!」
その美しい見た目からは考えられないほどのひび割れたような声で、咆哮を上げた。




