86.そうして彼が落ちたのは、
「グレン隊長!!」
「···フィン」
「何勝手に1人で死のうとしているんですか!あれだけは絶対に許しませんからね!!」
「···あぁ。悪かった」
「本当に分かってます!?」
思い切り頭からポーションをかけられ、視界が緑色に染まる。
ただでさえ冷えているのに、さらに冷えた体。砦の内部のため、風があるわけでもなく気温が冷えているわけでもないものの、風邪を引きそうだとぼんやりとした頭で考えながら、足を動かす。
足元がふらついたのを見かねたのか、フィンが肩を貸してくれた。
「まったく。とにかく隊長は救護室へ向かいましょう。とにかく少し休まないと···」
「向こうの状況は、」
「数は多いですが善戦しているようなので重病人はさっさと救護室に行ってください!またポーションかけますよ!!」
「どんな脅しなんだ、それは」
その後は救護室に着くなり、ネッドからまずはその冷えた体を温めろと言われ浴室に放り投げられた。
浴槽に張ってあった湯の色はやたらと濃い緑。おそらくポーション風呂だろうが、どうも今日は緑に縁があるらしいと苦笑する。
(···しかし、なんでこんなに色が濃いんだ?)
ふと不思議に思い、お湯を手で掬ってみる。ポーションそのものは確かに薄い緑色をしているのだが、その原液よりも明らかに濃い色をしていた。
「···後で聞いてみるか」
パシャリ、と手から離れたお湯が水飛沫を上げた。
その後温まってから服を着替えて浴室を出ると、ネッドがこちらを見てこれ見よがしに溜息をつく。
「まったく、ウチの副隊長だけならまだしも隊長まで。人は似てくると言いますが、二人揃ってどんだけ体力オバケなんですか」
「それは褒めているのか?」
「勿論褒め言葉ですよ?グレンさんのことですから、ヴェリアさんを見つけた上で帰ってきているのでしょうし。ちなみに、さきほどの戦いでどこを怪我したんです?」
体のあちこちを触っていたネッドからのその問いに、首を傾げる。普段ならこちらから言わなくても、大体は当てられてしまうのだが、ポーションの効きが良かったのだろうか。
「左腕と左足が折れた。ドラゴンのブレスを避け損ねて受け身が取れなかったんだ」
「···グレンさん、なんでもないように言ってますが、ドラゴンのブレスを受けたんですか?」
「モロに受けたわ。その時に緊急用の魔道具を使ったからあんなに冷えてたのよ。···本当に、心臓に悪いことしないでくださいよ···もしも隊長に何かあったら、アリスちゃんになんて説明したら良いんですか···」
その名前を出されて、思わず体が強張る。シェルターに向かった彼女は、あちらに向かっていた本隊と合流したと報告があったらしい。
(無事で、良かった···)
冷えたプレートの感覚が、幾ばくか冷静さを取り戻してくれる。あの時お守りだと言って渡したものが、まさか本当にお守りになるとは思わなかった。
(···ん?)
先程の戦いで、ブレスレットのプレートが裏返っていたらしい。鈍く光るプレートの裏に、切れ込みのようなものを見つける。これは一体なんだったかーーーそう思い出す前に、声をかけられた。
「そうですよ。いくらグレンさんが体力オバケだとしても、人間である限り限界はあるんです。寝ないと死にますし、食べなくても死にます。人間は思っているよりも脆いんですから、少しは体を労って下さい」
「···そうだな。そういえばネッド。質問があるんだが」
「はい?」
「今日入ったのはポーション風呂か何かか?やたらと色が緑だったが」
「あぁ、あれですか。メルが最近、新しい薬を生み出したらしくてですね。これなんですけども」
「な、なんか青汁みたいなすっごい緑色だけど何これ!?」
フィンが叫ぶのも無理はない。その目の前に差し出された瓶の中身は、どろりと濁ったような真緑の色をしていたからだ。
「メルが前々からポーションの上位互換のような物が作れないかと試行錯誤していたのですが、その試作品といいますか」
(···まさか)
「その試作品がさっきの風呂に入っていたのか?」
「御名答!体力オバケのグレンさんなら少しぐらい副作用があっても寝込むだけかなと思いまして、ちょろっと一本仕込んでみました!でも、試しに舐めてみたら、もうこの世の物とは思えない味がしたので···そこが改善されない限りはまあ、かけるのは良いですけど、飲む事はほぼ浸透しなさそうですね。舐めてからすこぶる調子はいいので、効果は抜群みたいですが」
「···丸々1本使った場合はちょろっとではないだろう···」
「ネッド、何重病人を実験台にしてるの!?そういうのはルードルフ副隊長にしなさいよ!」
「そう言われましても。ルードルフさん、滅多に救護室に来ないので···」
こんな扱いをされてたらいくらルードルフでも来なくなるだろうと溜息をつきつつ、折れたはずの左腕も左足も、痛みは消えていた。先程までの疲労感も不思議なほどに軽減されている。
通常、ポーションを使っても完全に怪我が治りきるという事はない。いつもならネッドが診ればここを怪我したのだろうということは分かるぐらいには。
「ちなみにこのポーションの改良にはヴェリアさんからの助言があったそうです」
「彼女が?」
チャポリ、とネッドが持つポーションの中身が揺れる。
「霜焼けの薬に続いてカロの実での凍傷の解決。ついにはポーションの改良まで。···彼女は本当に、まるで聖女のような···いえ。我々の救いの女神ですね」
ネッドがそう言って、嬉しそうに笑う。
ーーー救いの女神。
その例えを聞いたら、彼女はどんな反応をするのだろうか。
「ちなみにまだ試作品段階ですが、近い内に量産できるようになるかもしれません。名前は我々の女神の名前を捻って、アデレードポーションとかどうですかね?」
「アデレードポーション···綺麗な名前だけど長いわね。どこぞの副隊長さんなら『強い方のポーション』とか、なんだったら分かりやすく『ハイポーション』とかって呼ぶ未来が見える」
「うーん、そういうと私のネーミングセンスがないみたいに聞こえますねぇ。ならいっそそのまま、アリスポーションとか?」
その名前を聞いた時、考えるよりも先に否定の言葉が口をついた。
「それは無い」
「うん、私も無い。センスが皆無になったわ、ネッド···」
「えぇ···皆して酷くないですかね?他には何かあります?」
そのままネッドから差し出されたポーションを受け取る。鈍い緑色をしたそれは、ポーションとは違い少しドロリとしていた。
「うーん···アリスちゃん由来がいいのは確かなんだけど···長すぎると呼び辛いのよね。略して呼んじゃいそうだし、アデレードだと薬品名と言うより人名だし。レードポーションだとなんかしっくりこないわね···だったらそのままハイポーションの方がわかりやすいんだけど」
(彼女の名前由来で、か)
そういえば先程も、考えるよりも先に否定の言葉が出たと思い返した。
「······」
彼女の名前をそのままつけたポーションにつけようとした時、なぜ自分は、否定したのか。
(···あまりにも、そのまま彼女の名前をつけようとしていたから)
だが考えてみれば、名前など誰のものでもない。だからそのまま名前をつけても良いはずだと、冷静になって考えればそう思うのに。
もしも彼女の名前をつけたら、他の皆もこのポーションを呼ぶ度に彼女の名前を呼ぶことになるのだと思うとーーー。
(嫌だ)
そんな子どもじみた言葉しか出てこなくなる自分がいた。
かつての彼女を蔑ろにし、踏み躙った婚約者もそう呼んでいたのかと想像しただけで、2度と彼女の名前を呼ぶ事ができないようにしてしまいたくなる。もしもルードルフではなく自分があちらに行っていたなら、確実に殿下の首を跳ねていただろう。
ーーー彼女の名前を呼ぶのは他の誰でもない、自分だけで良いのだと。
自身が感じているその感情が、何なのか。それに気がついた時、一瞬だけ息が止まった。
(···俺は、何を)
それは、自分に禁じていた筈の事。
しないように、落ちないように。
気を付けていた筈だった。
「隊長?大丈夫ですか?」
「···あ、あぁ。大丈夫だ」
「まぁ、あまりにダイレクトに名前を付けられたらヴェリアさんも嫌かもしれませんねぇ。グレンさんは何かありませんか?」
「···アリスはアーデルハイトとも言い換えられる。彼女の名前から取るなら、『ハイトポーション』でいいだろう」
「ハイトポーション!うん、それならハイポーションと語呂も似てますし、彼女の名前由来もあって良いですね!さすが隊長、ネッドと違ってセンスがあるわ!そう呼びましょ!」
「流れるように私を貶すのは止めてもらえませんかね···?」
「元から天使みたいな子だけど、女神様に昇格ねー!」
「でも確かにハイトポーションって、呼びやすいですね。じゃあメルにもその名前で押して···いえ、決定したと話しておきましょう。ちなみになんですが、さきほど体を見た時、怪我した箇所が分からなかったので。ハイトポーションの効果は上々ーーー」
その時、カンカンカン!と大きな鐘の音が響き渡る。これは、討伐時に鳴らす鐘の音ではない。
(この音は、)
咄嗟に音のした方向へと振り返ると同時に、その声は救護室へと飛び込んできた。
「隊長はいますか!?」
和やかな空気を裂くように、バン!と乱暴に開かれたドア。
自分を探す言葉と共に、酷く息の乱れた隊員が1人、駆け込んできた。
「どうした!」
「そ、それが···!現在別働隊が戦っている魔物の一部が、突然何かに釣られるかのように移動したとの報告が···!!」
「向かった先はどこなの!?」
「監視塔からは、シェルターの方向に向かったとのことです!そして今しがたシェルターの隊員からも、緊急要請がありました!」
(シェルターの方向···!?)
その報告に、ぞくりと背中に寒気が走った。脳裏にいつか見た夢の残骸がちらつく。
真っ赤に燃え盛る炎。
肉が焼け爛れたような臭い。
真っ白な雪の中に赤黒い血飛沫と共にあちこちに転がった『部下だった何か』。
「っ···!シェルターに向かった魔物は!?」
「む、向かった魔物は確認されているものだけでもアイスバードリア、ハーピー、ハンドバッド、セイレン!」
そこで一度言葉を切った部下を見て、あの時の夢ではない、違うのだーーーと自分に言い聞かせようとした時。
「それと、ヴェアーラズのネームドも報告されています!」
なのになぜ、報告の中にヴェアーラズのネームドがいるのか。
「失礼します!隊長、シェルターより追加の報告です!どうやらシェルターの入り口で、魔物寄せの香水が撒かれたようです!どうやらグロリアーナがそれを使用したようだと···!」
「あの女っ···!!何をトチ狂ったことをしてんのよ!!」
フィンの怒号が響く。
だが、その報告を聞き終わるが早いか。
「グレン隊長!!」
焦ったような声が後ろから聞こえてきたが、俺はそれを無視してシェルターの方向へと走り始めていた。
(アリス···!!!)
夢の中で、『殺してほしい』と願った彼女。
あんな彼女は、何があっても見たくない。ましてや本来ならば助けられたはずなのに、助けなかった。自分のせいであんな風になってしまうまで、彼女を追い詰めたのだと。
そう思ったからこそ、彼女に恋をしないようにと思っていた。いや、したら駄目だとわかっていたはずなのに。
ーーー落ちないようにしていた筈なのに、いつの間にか落ちてしまった。
今更悔いた所で、生まれた気持ちが消えることはない。あとはどこまでも、落ちるだけだ。どこまでも真っ白な雪の中を、ひたすらに走り抜ける。一刻も早く、彼女の元へと辿り着かなければならない。
ーーーアリスを愛してしまったら最後、残酷な結末を迎えると知っているから。




