85.紡がれた子守歌
(···良かった。なんとか、無事にシェルターに辿り着けたわ···)
あの後、私はなんとか隊の方々と雪の中を歩いて雪に隠れるように存在していたシェルターへと辿り着くことができた。
扉を開くと地下へと続く階段があり、階段を降りると中はかなりの人数が隠れることができる場所になっている。
ーーーグレン様は、大丈夫だろうか。
今頃はきっと、突然現れたブラックドラゴンと戦っているはずだ。だが、いまだに討伐されたという連絡もなく、伝令役や連絡鳥が何かしらの情報を持って飛ばされてくることもなく、あちらの戦況は定かではない。
いっその事、砦ではない別の場所へとドラゴンが移動してくれれば、と何度思ったかわからない。だが、もしもその飛んでいった方向が王都であればきっと、何万もの罪のない国民が犠牲になるのだろう。
できるものなら、自分も今すぐグレン様の所へ行きたい。
だが、行ったところで。
己の身を守ることすらできない、戦場に置いてはただの的でしかない者など自ら進んで死に向かうようなものだ。
だからここにいる事は間違いではないのに、それでも、敵と命懸けで戦う彼らの無事をただ祈る事しかできないなんて。
時間はまったく進むこと無く、まるで時が止まってしまったのではないかと錯覚を起こしそうになる。こちらの兵力を砦に向かわせるように連絡もない為、戦いは拮抗しているのか、それとも、もうーーー。
「ヴェリア様、大丈夫ですか?」
「···カロル、さん。すみません、大丈夫です。私のことは気にしないでください」
「あの···きっと、きっと大丈夫ですよ!隊長はとっても強いんです!それに副隊長だっているですから、二人がいればブラックドラゴンなんて一瞬で片がつきますよ!」
「カロルさん···」
「···てな、こと···」
「え?」
明るくそう話すカロルさんを睨みつけるように、近くに蹲っていた女性がこちらを見ていた。
「勝手なこと、言わないでよ!私達は魔物に殺されるためにこんなところに来たんじゃないっ!ドラゴンが出るなんて聞いてないわ!!今すぐ、今すぐ王都に帰しなさいよっ!!」
涙で濡れた頬、噛みつくような悲鳴に近いそれは、彼女達の心からの叫びなのだろう。
しん、と静まり返った室内に不安なのは皆同じなのだと改めて思い知らされる。
「帰して···帰してよ···こんな、こんなところで死にたくない···!」
わぁっと泣き崩れる彼女の涙が伝染するように、あちこちから小さな泣き声が聞こえてきた。その泣き声に混ざって、酷く悔しげな囁き声のようなものも聞こえてくる。
「···くそっ、俺達だって···」
それは唇を噛みしめるような、心の底から出たような声だった。確かにここにいる隊員の方々は護衛を任された人達だが、私とは違って、皆それぞれ魔物と戦う力を持っている。今も戦場にいる仲間を助けられる力があるのにそれを振るえないのは、どれだけ歯痒くーーー悔しい事だろうか。
「···あ、···その···」
そう言って言葉が小さく、尻すぼみになってしまったカロルさんは視線を下に下げると、暗い顔のまま俯いてしまった。
彼らを、そして今も命懸けで戦っている隊員の事を考えれば、私が嘆いている場合ではない。
(私が弱気になってどうするの!)
彼から貰ったブレスレットは、冷たく冷えたままだ。これこそ、彼が無事な証拠なのだからと必死に自分に言い聞かせる。
「大丈夫です、カロルさん。グレン様は無事です」
「そ、そうですよね!すみません、励ましにきたのに···立場が逆になってしまいました。自分の言い方が良くなかった、ですね···」
カロルさんのいつもは快活なはずのその顔には、疲労と焦燥が滲んでいた。悔しげに噛みしめられた唇は白くなっており、その目は今にも泣いてしまいそうなほどに赤い。
「カロルさん、あの···差し出がましいかもしれませんが、どうか少しでも体を休めてください。今にも倒れてしまいそうです」
その言葉に、カロルさんの目が驚いたように開かれる。
「···ありがとうございます。やっぱりヴェリア様は天使のような方ですね!」
「いえ、天使ではなく人間です」
ここの人は、私のことを天人のような扱いすることが多いのはなぜなのだろうかと不思議に思う。
「お言葉に甘えて、少しだけ休んできます。···ヴェリア様も、無理なさらずに」
そう言って、カロルさんが奥へと歩いていく。
先程目立ってしまった私がここにいるのはあまり良くないかもしれない。そう考え、広間のような広い場所から入口へと続く細い通路の方へと向かう。
(でも、あまりこっちの方に近付きすぎても迷惑よね···)
そんな事を思いながら廊下を歩く。曲がりくねった細い道は、魔物が万が一侵入してきた際にすぐに踏み込ませないようにするための手段なのだという。
大きな魔物であれば、入ってくることができないように。ブレスを吐かれても、被害を被るのが1つの通路だけで奥へと届かないように。小さな魔物でも、すぐに追いつかれないようにするための工夫なのだと話を聞いた。
戦えない人や治療を必要とする人を守るために作られたというこのシェルターは、外から見てもまったくといって良いほどに分かりづらく作られていた。私も案内されなければ、分からなかったかもしれない。
(あの時、カロルさんが私を見つけてくれなかったら···)
そう思うと、ゾッとする。あのまま雪に飲まれて死んでいたかもしれないから。
入口へと続く細い通路は、どこまで進んでもほとんど風景が変わらない。よく見るとあちこちに魔物から身を隠すための場所が存在しているのだが、うまく隠されているためパッと見ただけでは分からないようになっていた。
そのため、自分が今どこにいるのか、どのくらい歩いたのかがよくわからなくなる。だがそんな事を考えている内に、広間からそれなりの距離を歩いてきてしまったようだ。
壁に刻まれた深い傷跡を目にして、その事に気がつく。
「これ···入ってすぐに見た物だわ。引き返さないと」
そう思って反対方向に進もうと身を翻した時、入口の方から甘い匂いがする事に気がついた。
(···嘘、まさか)
嗅いでいるだけで気分が悪くなるような、この臭いは。
「あの時使われた香水と同じ···!!」
間違いない。あの時、嫌と言うほど嗅いだ甘い香水の匂いだ。魔物寄せの効果を持つそれが、入口でばら撒かれて外へと流れ出たら、ここがどうなるかなんて考えなくてもわかる。
(今すぐにこのことを伝えないと···!)
だが、入口にも隊員の方が立っていたはずだ。その方達はどうしたのだろう。
最悪の予想が、頭を過ぎる。
もしかするともう、この香水の匂いでーーー。
「···ったく。ようやく寝たかしら」
(この声、グロリアーナ···!?)
「誰かがお姫様をここに連れてきたとか言ってたからね。魔物に連れ去られても死なない、3階から落ちても死なない···あぁ、イライラするッ!!本当に余計な事を···!グレンが来る前にあの女を始末しないと···」
(そんな事のためにここを危険に晒す気···!?)
それに、そんなことをして自分の身の安全はどうする気なのか。そんな事などまるで考えていないーーーただ、どんな手を使っても私を殺そうとしている彼女の行動に、背筋が凍りつく。
声は遠くないが、近くもない。だが、聞こえる範囲の距離にいるのは間違いない。
曲がりくねったこの道では正しい距離感まではわからないものの、入口にいた隊員の方もこの匂いでおかしくなっている可能性が高いだろう。
(···ゆっくり。後ろに下がって···とにかくこの事を知らせないと)
あの二人の会話と辺りに漂う匂いからして、既に香水は撒かれてしまっている。
撒かれる前であれば何か他にも手立てがあったかもしれない。だが、こうなってしまった以上ここが魔物に見つかるのも時間の問題だ。
急いでこの場を離れようとした、その時。『それ』は、突如として熱を発した。
「っ···!!!」
このプレートは相手に死が迫ると熱を帯びるのだと言う。そして、もしもこのプレートが割れたのなら。
死を意味するのだと、教えてもらった。
(う、そ)
熱い、熱い、熱い。
私は息をすることも忘れて、呆然としたままブレスレットを見つめていた。
(グレン様···グレン様、は···!?)
パニックに陥りそうになりながら、ブレスレットが見えるように私は急いで袖を捲る。プレートは今は先程の名残のようにわずかに熱いだけで、割れる事はなく腕に収まっていた。
だが、先ほど彼は確かに死に直結するほどの大怪我をしたはずだ。ポーションで治したのか、先ほどの尋常ではない熱さは感じられないものの、その程度で動揺が収まるはずもない。
(グレン様が、怪我を、)
不安で、押しつぶされそうだった。グレン様がこのまま、私に何も言わずに亡くなってしまうのではないかーーーそんな、不安に。
ふらり、と崩れ落ちそうになった足元になんとか力を入れてその場に留まろうとする。
「あなた達はさっさとこの扉を開けて。早くして!本当に使えない人ばかりねぇ!!」
苛立った声に被せるようにして、突如として響いたのは、とてつもなく大きな衝撃音だった。
「「っ!!?」」
衝撃音の後には、奇声のようなーーーいや、これは奇声ではない。
(魔物の声···!?)
今すぐに、広間へ行かないといけない。そう思った私は全速力で来た道を戻り始めた。
だから、その後に。
まさか誰かが探しに来ているなんて、考えもしなかったのだ。
「···思ったよりも早かったわねぇ。セリンダ。ネズミがいないか、ちょっと見てきてくれる?今の音で確実にこっちに来るだろうから、適当に気を引いておいて。私はあの女を始末してくるから」
「···はい」
虚ろな目をした女は、ふらりと歩き出した。
その後立て続けに聞こえてきた大きな衝撃音が、後ろから追い立ててくる。グネグネと曲がった細い道は、どこまでも同じ光景が続いていた。
(早く···早く!)
気持ちとは裏腹に、疲れ切った体は息が続かず、足が縺れて転びそうになる。だがここで追い付かれたら、情報を伝えることができない。
縋り付くように握りしめたブレスレットは、冷たく冷えている。だからグレン様は大丈夫だと、パニックになるなと何度も自分に言い聞かせた。自分に今出来ることは、この情報を隊の方に伝えることだ。
転びそうになるのをなんとか堪えて、とにかく前へ前へと足を動かす。背中から響く衝撃音は、未だ止まない。どれほどの道を戻ったのか、既に感覚もなくなった頃。
「もう嫌ぁぁああっっ!!」
聞こえてきたのは金切り声のような悲鳴と、落ち着かせるための大声、早く奥への避難を、と呼びかける声。
そして、今にも倒れ込みそうな私の目の前に何人かの隊員が走ってきたのが見えた。
「扉が破られたらまずい···!まずは奥への避難を優先しろ!戦えるものは入口付近に集合!!」
「くそ、見張りの奴らは何をしてたんだよ!なんで何も連絡がない!?」
「今更そんな事言ってもどうにもならん!とにかく入口へーーーって、ヴェリア様!?ここは危険です!とにかく早く奥へ···!」
「聞いてください!先程、入口付近でグロリアーナを見ました!彼女はそこで魔物寄せの香水を使用していて、既に入口には魔物がいると思われます···!」
「なっ···!」
「魔物寄せの香水だと!?あの女、なんだってそんなものを···!!」
私の言葉に、絶句する隊員達。だが、あの香水は他にも能力がある。それも合わせて伝えないといけない。
「その香水は魔物寄せ以外にも人を操るような能力もあり、見張りの方もおそらく、意識が無いかグロリアーナに何かしらの命令をされている可能性が高いです!直接かけられなければ操られるようなことはありませんが、もしもかけられたら心からの安心感を得ないと効果は解けない、厄介な毒です!どうか、どうか気を付けてください···!」
「分かりました!情報、ありがとうございます!ヴェリア様も早く避難してください!」
「砦の方にも連絡を入れろ!」
「あっちだってギリギリだってのに···!」
バタバタと去っていく足音に、改めて広間の様子を見る。避難誘導の声は悲鳴にかき消され、パニックに陥っている者もいるのか辺りは騒然としていた。
走り出す人、悲鳴を上げる人、泣き出す人、呆然としたまま動かない人。皆それぞれが同時に行動し、突然走り出した女性にぶつかられた私は、バランスを取ることができずそのまま尻もちをついた。
痛みで少しだけ正気を取り戻した私は落ち着いて、と自分に言い聞かせるように独り言を呟き、今すべきこと、できることを考える。
混乱するこの場を収めるには、どうすべきか。
戦える方には万が一に備えて扉の方へ。先程の避難誘導を聞く限り、さらに奥に待避する場所があるのだろう。だとしたら女性達は奥の方へと迅速に移動すべきだ。
残された数人の隊員の方が大きな声で誘導をしようとしているが、パニックに陥った彼女達にその声は届いていない。
おそらく入り口の方にかなりの隊員を回したのだろう。そんな中、誘導している見覚えのある隊員の方に話しかける。
「カークさん!」
「ヴェリア様!よ、良かった···!シェルターに来ていたんですね!」
「すみません、避難路はどこにあるのでしょうか」
「避難路はそこの隙間です。狭く見えますが、大柄な男でも通れるぐらいのサイズにはなっています。ヴェリア様も早くこちらへ!」
「いえ、動けない人も多いようですから私も声をかけてきます。皆さんは避難誘導を優先してください」
「なっ、手伝ってもらうわけにはいきません!早く避難を···!」
「···必ず、逃げると約束します。だから、どうか···私にも、皆様の手伝いをさせてください」
「ヴェリア様···」
「···邪魔に、ならない程度にします。無理はしません。ですから···」
不安で、押しつぶされそうだった。こんな我儘を言ったら、皆様の迷惑になると分かっていた。
だが、それでもーーー。
「···分かりました。ただ、危ないと思ったら必ず逃げてください。それと、そんなに手首を強く握ったら痣になってしまいますよ」
「え···」
いつのまにかブレスレットを覆い隠すかのように、握られた手首。指先が白くなるほど握りしめていたのも気がつかなかった。
強張っていた体から力を抜き、ゆっくりと手首から手を離す。
(···割れて、いない)
プレートは冷たいまま、同じようにそこに佇んでいた。その事だけで、安堵の涙が出そうになる。
「本当の事を言うと、誘導係が全然足りていないんですよ。向こうで誘導しなくちゃいけない人員も必要ですし、入り口の方にかなりの人数が向かいましたから。だから、手伝ってもらえるなら助けてもらいたいです」
「···!」
それはもしかしたら、カークさんの優しい嘘なのかもしれない。
だが、それでもそう言ってもらえた事が嬉しくて。
「絶対に無理しちゃ駄目ですよ!ある程度誘導が終わったら、必ず逃げてください!あと、俺の目が届く範囲にいてくださいね!いいですかヴェリア様、これは必ずですよ!」
「分かりました!」
カークさんのお陰で、誘導すべき場所はわかった。
あとは誘導方法だ。
(皆先程の音でパニックになっていて、状況が飲み込めていない人が多い。なら、まずはこちらに意識を向けさせた方が早いわ)
大声で声をかけた所で、聞いてもらえない可能性が高い。現状、隊員がこれだけ声を上げているのに届いていないのだから。
(それならいっその事、こんなところで聞こえるはずのない音の方が全員の気を引けるかもしれない。例えば···)
「···歌、」
音楽というのは時に人の興味を引き、落ち着かせる効果もあるのだという。必ずしも効果的かはわからないが、これだけ大声が出ているのに
それが通っていないのなら、いっそのこと歌で気を引いたほうがいいのではないか。
そう考えた私は思い切り息を吸い込むと、できる限り大きな声で歌を紡いだ。
突如として聞こえてきた歌に、ざわめいていた場が静まり返る。
ーーーいつか、グレン様に歌った子守歌。
私は震えずに、歌えているだろうか。
周りが静かになった事を確認し、歌うのを止め、できる限り落ち着いた、だが聞き取りやすいようにと目を閉じ、再び息を吸い込む。
(国民の方に挨拶をする時をイメージするの)
目を開け、口を大きく開いた。
「皆さん、落ち着いてください。大丈夫です、必ず助かります!この場所の奥に、第二の避難場所があります!他の方を押さないで、慌てないで!誘導の方に従って、一人ずつ避難路へ向かうように!」
グレン様を、他の隊員達を、何か一つでもいい。何でも構わないから、手助けがしたかった。
守ってもらうばかりでは、いつまで立ってもグレン様の隣には立てない。
我に返ったかのような顔をして、何人かの女性が誘導した方へ走ろうとする。
「走らないで!押さないでください!皆さんが避難する時間はあります!隊員の方の指示に従ってください!」
その一心で、私は避難誘導を続けたのだった。




