8.回る車輪が行き着く先は
ーカラカラカラカラ。
もう何日の間、馬車に揺られていただろう。夜になれば小さな町に泊まっては休み、また馬車に揺られるという事を何度も繰り返していた。
目指すのは、北部の国境。中央にある王都からは、遠く離れた場所だった。
私は馬車の車輪が転がる音を聞きながら、ふと窓に目をやった。
鬱蒼とした森に、どこまでも続く灰色の曇り空。だんだんと冷え込んでいく気温に、国境に近づいてきたのがわかる。
北の国境には、魔物が住む森がある。昔は時折魔物が出てくる程度で、人々への被害は無かったのだという。
二十年前、そんな危険な森は燃やしてしまえばいいと王が命じて全焼させようとしたことがあるのだが、怒り狂った魔物は森を燃やした人間を皆殺しにしてしまった。そのまま森は全焼してしまうはずだったと言われているくらいだから放たれた火は相当な炎だったはずだが、なぜか何事もなかったかのように少しばかりの焦げ跡を残して火は消えてしまったらしい。
火が消えた後も魔物の勢いは留まることを知らず、王都にまで突き進み城門をも突破した魔物は、城の中にいた王の目の前にまで現れた。
その時にたまたま王に謁見していた一人の男性の活躍で、ギリギリで食い留めることはできたものの、それ以上の魔物の報復を恐れた王は森と国の間に国境を作り、砦を立て、そこに務める者を立てた。
もちろんそこに当てられた人物は、その王に謁見していた男性ーー辺境侯爵グレン・デルフィランズ様だ。
その時のデルフィランズ様は、まだ20歳になったばかりだったという。
その後国境を守り続けて既に20年以上も立っているが、一度足りとて魔物から国民や街への被害は報告されていない。
そんなデルフィランズ様につけられた二つ名は、【死神】。
彼がいなければ我々もただではすまないだろうに、社交の場では勝手に死神などと呼び、何をしても死なない、相手の寿命を吸い取って生きている、傷だらけで化け物のような見た目をしているらしい、と彼を面白おかしくあざ笑う声ばかりを聞いた。何一つ本当の事など分からないのに、無責任な噂だけはあちこちに散らばっていて。
どうしてそんな無責任な事が言えるのだろう。デルフィランズ様は王を守り、現在も国境を、すべての民を、国を魔物から守って下さっているのに。
そうつぶやくと、殿下は『それは当たり前だ。彼は仕事をしているだけなのだから何も感謝することはない。むしろあの死神は父上を守った事も、国も守っていることも誇りに思うべきだとは思うが』と苦々しく話していたのをふと思い出す。
当たり前の仕事をしている人に対して感謝は必要ないが、仕事は誇りに思うべきだ。
本当にそうなのだろうか。確かに彼の納めた功績は素晴らしい事だろう。
その当たり前の事をしてくれている人がいるおかげで、私達の生活は成り立っている。当たり前のようにそれを受け入れるだけで感謝は必要ないというのは違うのではないだろうか。
誇りに思うべきかどうかは本人が決めることであって、他人が決めることではないのではないだろうか。
その時からまるで透明な水に1滴の黒いインクを落としたように、殿下に対して何かが引っかかっていた。
ーカラカラカラカラ。
車輪が回る。
ガタガタとした振動につられて考えに耽っていたと知り、顔を上げる。いつの間にか曇天の空からは何か白いものがいくつも降ってきていた。
「雪…」
辺りを窓から見渡すと、辺り一面は雪に囲まれていたことに気がついた。そして白い雪が舞う中、遠くにうっすらと見えるのは黒い壁のような砦と、その後ろに立つ広大な森。
私の旦那様になる方がいる、デルフィランズ様が守る北の国境に着くまであと少しだ。
ーカラカラカラカラ。
馬車はアリスを乗せて、止まることなく進んでいく。