79.現れた痣
どこかぼんやりとしながら、青白くく輝く魔法陣を眺める。あれから2時間ほど経過しており、きっと彼女は向こうに着いているだろうと予想がつく。移動距離が長いため、最低でも1時間以上は必要になるはずだからだ。
撃たれた右腕にはすでに処置が施されており、出血も止まっている。処置が終わったあとは別室へと運ばれていたのだが、私の目が覚めるほうが早かったようだった。彼女が戻って来る前にと、ここまで周囲の反対を押し切って戻ってきたのである。
(行かせてしまったのは、私の責任だ。ルーク様の協力のお陰で転移魔法陣も2つ目の目処がついたし、彼女達も全員帰ってくることはできるだろう)
向こうに行ったマリアナが何をするかは分からないし、もしかしたら死人が出るかもしれない。もしもそうなってしまったならと考えたくはないが、考えうる限りの1番最悪な結末は想像しておくべきだろう。
あれから既に2時間も経過してしまっている為、今更追いかけても間に合うとは限らない。
ルーク様の判断であれから直ぐに何人か兵士が渡ったと聞いたが果たしてどうなっているのか、まだ何の連絡もない。
その時、唐突に扉が開いた。
「シリル!!」
「···テオ。無事だったようで何よりだよ」
「それはこっちの台詞だ!撃たれたって聞いたのになんでこんなところにいるんだよ!」
「···彼女が戻ってきたら、すぐにでも対処しなければいけないと思って。それよりもテオは大丈夫だったのかい?ルーク様から簡単に話は聞いているけれど、何があったの?」
「···昨日の23時頃、唐突に殿下から呼び出されたんだ。だが、呼び出された先に向かっても殿下はいなかった」
「失礼します。···殿下?」
扉を開くが、その先には誰もいない。辺りを見渡すと、床に転がった書類に血の跡がついており、よく見ると廊下に続いていることが分かった。
嫌な予感を感じ、その血痕を追う。追った先には、殿下が蹲っていた。
「殿下!?」
「っ、あ、あぁ、」
低く唸っているような声に、酷く乱れた呼吸音。これだけ苦しげに呻いているのにも関わらず何の感情も湧いてこなかったが、形式上見過ごすわけにもいかない。
「テ、オ」
「こんなところで、何があったのです!」
だが俺を見るなり、蹲っていた殿下はいきなり立ち上がった。止まることなくボタボタと流れ続けていたのは鼻血だったようだが、異様なほどに量が多い。流れ続ける鼻血で顔は血まみれになり、どこか正気を失ったような目は焦点が合わず俺を見ているようで、見てはいなかった。見ているだけで狂気を感じるようなその姿に反射的に体を引き離したくなるのを堪えて、その場に立ち止まる。
「テオ、答えろ。お前とマリアナはどういう関係だ。答えによっては只ではすまさない」
「マリアナ様ですか?私は彼女の護衛騎士です。それ以上でもそれ以下でもありません」
「はっ、ただの護衛騎士だと?そんな奴が二人で出かけるわけがない。マリアナは僕を裏切った」
「···殿下が何を誤解されているのか分かりませんが、そんな関係ではありません」
「そんなわけがない。あの女は僕を裏切ったんだ。あんなものじゃ変わりにすらならなかったんだ。彼女は、彼女しかいないのに」
「殿下、落ち着いて下さい。とにかくその出血を止めなければーーー」
「触るなッッッ!!!」
「っ!?」
それは、確かに殿下の声のはずだった。だが耳鳴りのように耳障りなその独特な声は、人間から出たものとはどこか違っていて。
(何だ、今のは)
おかしい、と心臓が警鐘を鳴らすように早鐘を打つ。
何かがおかしい。どう見ても、自分の目の前にいるのは殿下のはずなのに。
なのに、どうして。
(···今俺は、その声を魔物の咆哮のような声だと思ったんだ)
「···殿下、どうか落ち着いて下さい」
「なぜ、なぜ、なぜ!!!」
殿下の声は、決して高いわけではない。だがその声は今、異様なほどに耳障りな何かと化していた。まるで癇癪を起こした子どものように叫び散らすその姿に、いつもの殿下の冷静さはない。
「彼女を思い出した奴は誰だ!!」
(何の話だ?彼女を思い出した、だって?)
聞いただけでは訳の分からないその言葉に、眉を顰める。だがここまで冷静さを欠いた人間に、こちらの言葉が通じるだろうか。
「殿下は誰かを探しているのですか?一体誰を、」
「お前が知る必要はない!!テオ、命令だ!お前はマリアナと共に死ねッッ!!」
「っっ!!?」
唐突になんの前触れもなくめちゃくちゃに振り回されたその剣は、咄嗟に避けた俺の右肩をかすり床へとめりこんだ。
「なっ···」
そう、文字通りめり込んでいる。引き上げた先の刃が潰れているのだから、間違いない。こちらも応戦して剣を抜くが、迂闊に殿下を傷つける訳にもいかない為、どうしてもこちらが不利だ。
ーーーガキンッッ!!
「···っ!!殿、下!私の声が、聞こえていますか!?」
「うるさいうるさい!!黙って僕の命令を聞け、テオ!!護衛騎士の分際で!!」
ギチギチと絡み合った剣は、酷く重たい。向こうは本気のようで、大振りな扱い方をした剣はそのままこちらへと牙を剥く。どれだけ力任せに振り回しているのかわからないが、剣を交えると、こちらが力負けしそうになるぐらいにその力は強かった。
(どうなってる!?)
殿下の剣の実力は、そこまで強いものではない。もちろん一般的な兵士よりはずっと強いだろうが、護衛騎士が守る対象より弱くては話にならないからだ。
そのはずなのに、このありえないぐらいの力は一体なんなのか。
なんとか殿下の剣を受け流すも、このままではおそらく武器が持たない。そう判断して気を失わせる方向へと切り替えようとした時、再び上から剣が降ってきた。
ーーーガキンッッ!!
「彼女を思い出した奴は皆、皆、殺してやる···!あの子は僕の、僕だけのものだ···!!」
「···殿、下?」
おかしい。
殿下の目は、サファイアのような青い色をしていたはずだ。
だが、今の殿下の瞳は赤黒く濁ったような色に変わり、人ではありえない切れ長の瞳孔になっている。
この目は、どう見ても人ではない。
ーーー1つわかるのは、間違いなく今の殿下の目は『魔物の目』をしているという事だけだった。
それに目を取られたのが分かったのだろうか。殿下はすさまじい勢いでこちらへと剣を放とうとしてーーー『横からきた光』に突如としてふっ飛ばされた。
「が、ぁっ、」
飛んできた光をもろに食らい、受け身も取れずに床へと叩きつけられた殿下が呻く。
「大丈夫だった?ランカステル家の次男くん」
そして、飛んできた光の先に立っていたのは。
「ルーク様···」
穏やかに微笑んだまま右手を翳していたのは、殿下の弟のルーク様だった。
「···魔物の、目?」
「···あぁ、間違いない。あれは人の目じゃ無かった。ルーク様が殿下を魔法でぶっ飛ばしてくれたからなんとか気絶させられたけど、あのまま暴れられたらどうなっていたか分からない。気絶させた殿下の首には見たことのない痣があったし···とにかくルーク様が掛け合って部屋に監禁しているが、それもいつまで持つか···」
「······」
「···おい、シリル。どうした?顔色が悪いぞ、やっぱりまだ本調子じゃないんだから休んでいたほうが、」
「テオ。殿下の首には痣があったのか?」
「···あ、あぁ。今まであんなの見たことが無いが···」
「やはり、殿下は···『普通に産まれた』人では無かったのか」
「普通に産まれた人じゃないって···それはどういうことだよ?」
「その痣はおそらく、」
バシュリ、バシュリと聞き慣れない音が連続して耳に届く。この独特の音は誰かがこちらへと移動してくる際にのみ聞こえる音だ。
「···テオ。『誰か』が帰ってくる」
そう呟くと、目の前にいたテオが急いで魔法陣の方へ視線を向けた。
ブゥン、と大きな音が響き渡り魔法陣から誰かが現れる。
だが魔法陣の中から現れた人物に、私もテオも、思わず動きを止めた。
サラリと流れる、長い銀髪。
抜けるような、白い肌。
その女性は酷くぼんやりとしており、まるでマリオネットがゆっくりと操られるかのようにこちらを見た。
「···アリ、ス、様?」
テオが、うわ言のように呟く。
そう言いたくなるのも分かるほどに、現れた女性は彼女ーーーアリス様によく似ていた。
「···違う」
どうして彼女がここにいるのか。
彼女は死んだはずだ。
(···本当に、彼女は亡くなっていたのか?)
彼女は、城で亡くなった。葬儀も遠の昔に済んでいる。
だから、アリシア様が生きているはずがないのだ。
そのはず、なのに。
ふらり、と危うい足取りで彼女が一歩踏み出す。
「アリス様···!?」
「来ないで」
慌てて駆け寄ろうとしていたテオの動きが、その一言で止まる。
「ルーカスはどこ」
忘れもしない、彼女の瞳は透き通るような美しいピンク色をしていたはずなのにーーー今は、どこか仄暗く濁ったようなピンク色の瞳をしていた。




