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奪われた冠  作者: 彩雅
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78.ホワイトアウト

咆哮が聞こえる。

こんなに遠くにいるのにも関わらず、頭の中を掻き回されるようなその声に思わず立ち止まりそうになった。怯えて固まりそうになる足を叱咤し、左手に柵を捕まえたまま前を見つめる。薄暗い雪の中に足を取られないよう、一歩ずつ確実に歩いていく。

(必ず、シェルターに辿り着くの。グレン様はきっと大丈夫)

もしも自分が身に着けているブレスレットが熱くなったらと不安が過るが、私があちらに向かったところで何一つとして役に立たない。何も力を持たず、ただ守られるしか無い存在など、むしろあちらの状況を悪化させるだけだ。自分は何もできないからこそ、より安全な場所へと居なければいけないのだから。


「グレン様···」


何も出来ない自分が、歯痒くてたまらない。もしも今、目の前に魔物が出てきたら私は成す術もなく死んでしまうのは火を見るより明らかだった。


ーーー相手が死んでしまうことだってあったのに、貴女は呆然とするばかりで腹が立ったわ。


(···ちがう、)


なのに、どうして。

今さらマリアナの声が蘇るの。


「グレン様は、大丈夫」


絞り出したような声は、震えていた。私は、どうして弱いのだろう。なぜもっと、強くなれないのだろう。

悔しい。

今すぐに砦に向かって欲しいと言ったのは他でも無い自分自身なのだ。なのにどうして。

ずっと止めること無く歩き続けていた足が、いつの間にか止まった。彼女の発した言葉が、自分の中でトラウマになってしまっているとでもいうのか。

(ちがう。これは、グレン様への心配から来る迷いよ)

振り切って、前に進まないと。今度こそ、彼のお荷物になるわけにはいかないのだから。

前を見て、柵に目を凝らしながら一歩一歩、歩いていく。吹き付ける風は冷たく、時折背中の方向から咆哮が聞こえてくる。その声が、きっと今砦の隊員達は総出で戦っているのだと思い知らされ、余計に何も出来ない自分に腹が立った。


ーーーせめて自分の身は自分で守れるぐらいには強くなりたいと、切実に願うほどに。


ざぁ、と吹いた冷たい風がフードからいつの間にかこぼれ落ちていた髪の毛を攫っていく。一歩新雪の中へと踏み込んだ足が、つるりと滑る。

「あっ、」

しまった、と思ったときには夜空、雪、柵、自分の体などがぐるりと一周して柵から手が離れ、雪の中へと飛び込んでしまった。体には、鈍い痛み。どんな風に転んだのかはわからないが、体中がズキズキと痛むところをみると、あちこちを打ち付けたらしい。

このまま蹲ってしまいたいほどの痛みだったが、この降りつける雪の中で佇んでいたら氷の彫刻になってしまうと思い、私はなんとか起き上がろうとした。

(こんなところで立ち止まっている場合じゃない。しっかりしないと)

転ぶと同時に離してしまった柵を支えに立ち上がろうと、柵を探そうとした時。


ぶわり、と唐突に強い風が吹く。


今積もったばかりの新雪が舞い上がり、一瞬視界が真っ白に染まって何も見えなくなった。


(ホワイトアウト···!?)


雪を体に叩きつけられるような感覚に、思わず目を開けていられなくなる。こんなところで、方向感覚を失うわけにはいかないのに。

冷たい。

寒い。

荒れ狂う雪で、目の前は何も見えなくなっていた。顔まで凍りついてしまいそうなその吹雪に、手で顔を覆う。

なんとか瞼が開かなくなる前にと目を開けるも、辺りは一面全て白に染まっていた。どこにも灯りが見えない。ホワイトアウトのせいで平衡感覚が無くなったのか、視界が歪みおかしく見える。

吹き荒れる雪の中、再びドラゴンの咆哮が遠くから聞こえてきた。心音が徐々に早くなり、無意識に手を握りしめる。


怖い。


徐々に見え始めた景色を見渡すも、先程まで掴んでいたはずの柵はどこにも見当たらなかった。


「っ···」


遭難、という言葉が頭を過ぎる。だがここで焦ってもきっと良い結果には結びつかない。

(パニックになっちゃダメ)

グレン様の言葉を思い出す。こういう時に1番大切なのは、パニックにならないことだと。

落ち着いて、と自分に言い聞かせてもう一度注意深く辺りを見渡す。先程までは確かに柵を掴んでいたのだから、そんなに離れているわけではないはずだ。吹き付ける雪のせいで、おそらく柵が雪で埋まってしまったのだろう。

方向を間違えれば、終わり。

そんなじわじわと這い上がってくる恐ろしさを振り払うように、私は吹雪が収まるのを動かずに待ち続けた。


どのくらい立ったのだろう。


時間の感覚もなくなった頃、吹雪がようやく収まって辺りが見えるようになった。凍り付いた手は手袋をつけていても冷たく、本当に腕がついているのかも分からなくなってくる。だが、先程の場所からは動いていない。柵もきっと近くにあるはずだ。

まずは動かずに、右手をゆっくりとまっすぐに伸ばす。左右に動かしても何もぶつからない為、今度は左手を同様に伸ばした。だが、左右に動かしても何も掴むことはできない。

(···落ち着いて。大丈夫よ)

辺りは薄暗く、余計に距離感が狂っている可能性もある。距離感が狂えば実際は大した距離は進めていないのにも関わらず、体力ばかりが削られて倒れてしまう。その状態で下手に歩き回れば、同じところをぐるぐると回り続けてしまうこともあると先程歩いてくる間にグレン様から聞いていた。


「ホワイトアウト、ですか?」

「あぁ。聞いたことはあるか?」

「いえ···初耳です。それはどのような事柄を指すのでしょうか?」

「外にいる状態で、視界1面が真っ白になってしまうことを指すんだ。原因は雪だけじゃなくて霧の場合もある。主に強烈な吹雪とか地吹雪とかで起こる事なんだ」

「そんなことが···」

「視界が1面白に覆われると、人間っていうのは視覚に8割は依存しているから、方向感覚や距離感、平均感覚がなくなる。まっすぐに歩けなくなって、前に進んでいるつもりでも同じところをぐるぐると回り続けていたりするんだ。そうするとどうなると思う?」

「···体力や体温が無くなって、結果的に動けなくなる?」

「そう。だから下手に動くと遭難するリスクがある。視覚が無くなるから、たとえ目の前に誰かがいたとしても見えなくなることすらありえるんだ」

「っ···」

目の前にいるのに、見えなくなるなんて。私はその言葉に、寒気を覚えた。繋がれた手には、その危険性があることも考えられた上での事だったのだろうか。

「もしも止みそうになければ、穴を掘って寒さを凌ぐことも一つの手だ」

「穴を···」

「視界が悪い状態で動こうとすると、道を踏み外して滑落の危険性もある。地図やコンパスが一応有効ではあるが、読めなければ意味をなさないからな」

「穴を掘る余裕がない場合もありますよね。そのような場合は、どうしたらいいのでしょうか」

「ホワイトアウトは、霧や雲が原因ではなく雪の場合はいずれ落ち着く。一度立ち止まって、できれば視界が確保できるまでは動かないほうがいい。雪が止めば、視界は開ける。その後に辺りを確認する事だが、1番大切なのはパニックにならないことだ」

「パニック、ですか」

「あぁ。パニックは最悪死に直結することもある。視界が悪い中で足を踏み外しでもしたら、それこそ終わりだから」

「分かりました」


「···何か、見えないかしら」

心臓が早鐘を打つ。これ以上ここに留まれば、寒さで体力と体温が削られて動けなくなってしまうからだ。動けるうちに穴を掘り体温が下がらないようにする事も有効だと聞いたが、残念ながら穴を掘る為のスコップのような道具は持ち合わせていない。

流行る気持ちを抑えながら、何かが見えるのではないかと私は辺りを見渡した。

「···?灯り···?」

するとぼんやりとしたオレンジ色の光が、こちらへと近づいてきている事に気が付く。

「···い、おーい!」

「声···?」

「誰かいるのか!?」

「い、います!ここです!」

「そこから動かないで下さい!今行きますから!」

ゆらり、ゆらりと揺らめくオレンジ色の光の正体は、相手が持っていたランタンだった。不安だった気持ちが消え失せ、安堵の溜息をつく。


「···って、ヴェリア様!?まさかヴェリア様ですか!?」


「カロル、さん?」

「ど、どうしてこんなところにいるんですか!?と、とにかくここは危険ですのでシェルターに···!」

慌てた様子でこちらへとかけて来る彼の後ろには、よく目を凝らすとちらほらと見えてきたのはオレンジ色の光。砦から避難してきたのだろう、他の隊員や女性達の姿に思わず涙ぐみそうになるのを堪えて、カロルさんの方へと歩み寄る。

「無事で良かったです···!」

「ご心配をおかけして申し訳ありません」

「ヴェリア様が謝ることじゃないですよ!とにかく本体と合流しましょう、こっちです。足元に気をつけて下さい」

「はい」

柵へと誘導してもらい、掴ませてもらうとしばらくしてからオレンジ色の光が1つ近づいてきた。

「おい、カロル!先頭の方は問題ないのか!今のホワイトアウトで、何人かがパニックになって散り散りになったっていうのに、お前までどこに···!」

「せ、先輩!すみません!先頭の方はパニックを起こした人はいませんでした!持ち場を離れたのは、ヴェリア様を見つけて···」

「ヴェリア様!?ど、どうしてこんなところに!?」

「カロルが見つけてくれたのです。すみません、私のせいで皆様にご迷惑を···」

「い、いえいえ!無事で何よりです!今から本隊も合流しますから、我々とシェルターに向かいましょう。避難者も多いので、少し手狭かもしれませんが···」

「いえ、大丈夫です。···あの、差し出がましいようですが、パニックで散り散りになった方は···」

「···あのホワイトアウトでは、正気を保つことのほうが難しいでしょう。自分が凍りついていくのが分かるというのは冷静な判断を奪いますから」

暗く曇った顔で、そう話す隊員に何も言えなくなる。この薄暗い中での捜索は、かなり難航するはずだ。きっとこの雪では、痕跡である足跡すらも消えてしまうから。

「でも、大丈夫だと思います。彼女達には皆、こうなった時用の魔道具を持たせていますので」

「魔道具を?」

「えぇ、簡易的な発信器のようなものです。なのでとにかく今はシェルターへ向かいましょう。散り散りになったものは隊員が必ず見つけ出しますので安心して下さい。ほら、カロルも戻るぞ!」

「は、はい!ヴェリア様もはぐれないように気をつけて下さい!こちらです!」

今度は足を取られないように注意深く一歩踏み出す。その声が指す方へと歩き出した私は、シェルターへの道を辿ったのだった。

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