68.心の呪縛が溶ける時
「ところで、寒くないか?ここから砦に帰るにしても、かなりの距離を歩かなければならない。所々にキャンプがあるから、それを利用しつつ帰ることになるのだが···」
「大丈夫です。少しだけ休ませて貰えればまだ歩けますので」
「まて。最後に寝たのはいつだ?」
その言葉に、ぎくりとする。実をいうと3日も立っているとは思ってもおらず、ほとんど寝ずに動いていたのだ。寒い中眠ると死んでしまうという知識もあったため、1人で眠るのが怖かったというのもあるが。
(いつもと立場が反対だわ)
少し前に、グレン様の寝不足を心配して無理にでも寝てもらったばかりというのに。
「え、ええと···あまり時間の間隔が分からなかったので···それに寒かったからうっかり寝いってしまったら大変だと思って、あまり寝ていないんです」
「まだ時間も早い。今火を起こすから、少し寝てから行こう」
「···はい」
彼が火を起こしている間、風も入らないからとりあえずここで、と言われて壁に背中を預けて床に腰を下ろす。どうやらこの四角い部屋のような物は二部屋繋がりになっているらしく、グレン様が入ってきた扉もそちらの部屋にあるらしい。先程出てきた部屋と同じような物がもう一つあった為、そちらへと移動した。
隣の部屋の真ん中にはさきほど床が崩れて私が出てきた穴が空いているため、寒さもあり何より倒壊の危険があるためそちらは使わないでおこうという話になったのだ。
どうやら部屋に置いてあった大きな何かしらの石像のような物が倒れ、その衝撃で床に穴が空いたらしかった。倒れたものはもはや瓦礫と化しているため、元が何だったかの判別はつかなくなっている。一体、何の石像だったのだろうか。
穴が空いている部屋は少し冷えていたが、灯りがあるせいなのか下にいるときよりも温かく感じた。
(···そういえば、ここはどこなんだろう)
下から見たときは、四角い部屋のような何かに見えた。そう思って辺りを見渡すと、目の前の壁に何かが書かれている事に気がつく。壁に打ち付けられるようにして書かれた文字は、現在使われている言葉ではない。くるりと振り返ると、そこにも同じように文字が刻まれているのが分かった。ぼんやりと照らし出された、その特徴的な文字は。
「···これは、古代語?」
「ん?」
私の言葉に、火をつけていたグレン様がこちらを振り返る。思ったよりも狭いこの空間では、声が響いてしまったようだった。
「い、いえ。壁に何か文字が書いてあるようなので、少し気になって」
「···言われてみればそうだな」
彼は手際良く火をつけると、そのままこちらへと歩いてきて私の隣へとしゃがみこんだ。火が近くにあるせいか、ほわりと体が暖かくなる。しばらく壁を見つめた後、グレン様がこちらを振り返った。
「おそらくヴェリア嬢の言う通り古代語だと思うが···古代文字は習ったことはあるが、苦手だったんだ。だからほとんど読めないな」
「古代文字が苦手だったのですか?」
「まぁ、そもそも体を動かしている方が性にあっていたから」
幼い頃の彼はどんな子供だったのか。少し想像するだけでなんだか可愛らしくて、自然と笑みが浮かぶ。それと同時に、グレン様の幼い頃の話に興味が湧いた。
「ふふ、なんだか想像できるような気がします。グレン様は幼い頃、どんなことをされていたのですか?」
「昔は勉強嫌いな子供だった。ある程度大きくなってからは後継ぎとしてそれなりに勉強をしてはいたが···時々ルードルフと一緒に家庭教師から逃げ出したりしてよく怒られてたよ」
(グレン様が、家庭教師から逃げていたの?)
今の彼からは考えられないほど、自由奔放なところもあったようだ。年齢が離れているため仕方がないとは言え、幼い頃の彼を自分の目で見てみたかったとなんだか少しだけ残念な気持ちになる。
「自分が次男や三男だったら良かったと、どれほど思ったか。残念ながら長男だったわけだが」
「ご兄弟はいらっしゃらないのですか?」
「母親は体が弱かったから、俺を産んだ時点でもしも次の子供を作れば死ぬだろうと宣告を受けたらしい。夫婦仲は悪くなかったから、俺以外に子供を産まなかったんだ」
「そう、なのですか」
「君に姉妹はいないのか?」
「私ですか?いえ、私には兄弟も姉妹もおりませんが···」
「···そうか」
どことなく歯切れが悪い彼に、少し違和感を覚える。それになぜ姉妹という聞き方なのかとも思ったが、自分も尋ねていたのだしそこまで深い意味は無いだろうと結論付けた。
「そういえば、ルードルフ様とは幼い頃から一緒だったのですか?」
「いや、そうでもない。俺が15の時に騎士の見習いで入ってきたんだ。あの時はまだ10歳ぐらいで年下だったんだが、自然と話すようになってな。ルードルフが元から町に慣れていたのもあって、町へ買い食いしに行ったりもしてたよ」
「買い食い···」
確か屋台などで売っている食べ物をそのまま食べ歩きすることであり、見た事はあるが、実際にしたことは無い。テオと街を歩いている時に1度だけ『良かったらしてみますか?』と聞かれたが、確か止めたはずだ。殿下が買い食いなどができる屋台を毛嫌いしていると知っていたから。
「あぁ、貴族は食事は並ばずに座ってする物だと言って毛嫌いする奴が多かったが、きちんと衛生管理も行き届いているし、外で食べるというのはいつもと違う気分になれる。ピクニックなんかもそうだろう?上手い売り方だと思うよ」
「私もそう思います。したことはないのですが···」
「女性だとあまりしたことがある人は少ないかもな。なら、そのうち屋台でも出してみるか。厨房に言ったら喜んで店を出しそうだ」
「や、屋台を出すのですか?」
「あぁ。かなり最近の話になるが、隊の皆への労りで小規模だがパーティーのようなものを開く時があるんだ。全員一気には参加できないから、何組かに分かれての参加になるが」
「そんな取り組みもされていたのですね···」
「ここには魔物と雪しかないからな。···良ければヴェリア嬢も何か屋台を出してみるか?」
「私が、ですか?」
「あぁ。屋台といっても、必ず食べ物でなければいけないわけじゃない。小物なんかでも良いだろうし、何かやってみたいことがあるならやってみるといい」
「そう···ですね。参加してみたいです」
今までなら、参加したいだなんて言葉は出て こなかっただろうと自分で自分に驚いた。
その返事を聞いたグレン様が笑っていることも、自分がそんな風に答えたこともなんだか落ち着かなくて、壁に目を落とす。
「そういえば、なにが書いてあるんだろうな」
それにつられるようにして目線を壁に向けた彼がぽつりとそんな言葉をこぼした。
古いものなのか所々文字が書かれた壁が欠けており、いまいち意味がわからない箇所も多い。
(···儀式?)
「···何かしらの儀式のことが書かれているみたいですが···」
「読めるのか?」
「いえ、そんなに完璧に読めるわけではないです。でもきっとシリル先生なら読めたんだろうな」
「シリル先生?」
「はい。王都にいた頃、魔法学を担当されていた先生です。とても博識な方で、時々私が興味があることを空いた時間で特別授業をしてくださることがあって。その時に少しだけ古代語を習ったのです」
(唯一シリル先生だけは、質問をしても怒らないで聞いてから答えてくれた。他の先生のように示唆するのではなく、ひとまずは自分で考えてほしいという人だったのよね)
「···王都にいた頃、君の話を聞いてくれる人はいたのか?」
「え?」
「いや、今更だが気になって。周りに味方はいたのかと」
「味方、ですか」
話を聞いてくれる人と言って真っ先に思いつくのはテオぐらいだが、授業の中ではシリル先生も心の拠り所になっていたかもしれない。
ーーーもっと、うまくできなければならない。后は王ができないところを全てできるようにならなければならないのだから。
ずっと、そう言われて育ってきた。
人に弱みを見せるな、つけこまれるなと。
「···今考えれば、あまり周りにそういった人はいなかったように思います。いつのまにか私は、王ができないことは全て代わりにすることができる『完璧な后』にならなければならないのだと思いこんでいましたから。」
「それでは人間ではなくもはや機械だろう。人間はできないことはあって当たり前なのだから」
「『できない事』は、当時の私に許されることではなかったのです。諦めることも、妥協することも許されていませんでした。できないならば、出来るようになるまで努力しなければなかったのです」
「···それがここに来た当時、君があんなに自分を過小評価して萎縮していた理由か」
「グレン様やルードルフ様、フィンや皆さんから言われるまで、自分にできることなど何も無いと思っていましたから。お礼を言われて、私は本当に嬉しかったんです」
「どれだけ努力しても功績を上げても、お礼すらも言われないような環境だったのか」
「···えぇ。改めて思い出してみれば、そういう環境でした」
「努力もせず、一方的に相手を利用する···そんな関係なら、いつか破綻するのは目に見えているというのに。俺はどちらかが一方的に頼るのではなく、互いを支え合うような関係のほうが自然だと思う」
「···そう、ですね。今なら当時の考え方がまるで機械のようだと···おかしいことだとわかりますが、あの頃はそうなるべきだと、それが正しいと思っていたのです。それに私は···」
そこまで言って、泣きそうになってしまう。自分がそういう人間なのだと何度も言われてきたというのに、いざ言おうとすると言えなくなってしまうのだから。
「グレン様が言ってくださるような···優しい人間ではないですから」
「君が優しくない?」
「···殿下の婚約者になった時から、自分の感情を見せるなと、努力を怠るなと、言われてきました。何度国民からも周りからも心無いと、役にたたないお飾りの婚約者だと言われてきたでしょうか。優しくないと言われても、優しいと言われたことなど、ただの同情や慰めでしかーーー」
「···ヴェリア嬢」
どこか悲しげな声と瞳に、労りを感じる。そこにあるのは同情でもなく、嘲りでも安易な慰めでもない。
あるのはただ、彼の優しさだけ。
「そんな泣きそうな顔をしないでくれ」
「···泣いて、いません」
「今まで、君のことを知ろうとしなくてすまなかった。辛い時には辛いと言っていい。泣きたい時は泣いて良い。君は1人の人間なんだから」
どうして、グレン様は。
私がずっと欲しかった言葉を、こうも簡単にくれるのだろう。今まであった心の呪縛のようなものが、自然と溶けていくような気がした。
「···今は···そんな事、思っていません」
「···なら良かった。そろそろ少し休むと良い」
「はい」
パチリ、と火が爆ぜる。ユラユラと揺れる火を見ていると、だんだん瞼が重たくなってきた。
昔の事を話したせいか、一気に疲れが襲ってくるような気がする。きっと、自分が思っていたよりも疲れていたのだろう。
「···を使うか?」
「···は、い?」
とろりと意識が溶けてきた時に、グレン様が何かを問いかけてきた。
(···?今、なんて言われたのかしら)
よくわからないが、寄りかかっていいということだろうか。寝ぼけた頭ではまともに思考が働かず、そのまま私はグレン様の方へと倒れ込む。
ポスリと収まったその場所は、どこだったのだのだろう?
「···肩、と言ったのだが。聞こえなかったか」
ふらりと彼女が寄りかかってきた先は、なぜか膝の上だった。
「男の膝枕なんて、固くて寝づらいだろうに」
それでも静かに寝息を立てて眠る彼女を起こさないように気をつけながら火に薪を焚べる。
「彼女に姉妹はいない、か」
だとしたら彼女によく似たあの女性は、一体誰だというのだろう。火に照らされほんのりとオレンジに染まる艷やかな銀髪が、あの時倒れていた女性とよく似ていた。開かれた瞳の奥の桜色に、探していた彼女ではないとすぐに分かったけれど。
(心臓が、止まるかと思った)
穴へ吸い込まれるようにして落ちていく彼女を、無我夢中で手を伸ばして引っ張りあげたあの時。
初めて助けを求められた手に、もしも届かなかったたらと考えるとそれだけで自分を殺してしまいたくなる。あの高さから落下していたら、確実に彼女は死んでいたから。
「···君が無事で良かった」
己の膝の上で眠る彼女の髪に触れようとして、手を引っ込めた。行き場を失った手が、ぐしゃりと自分の髪をかき混ぜ溜息を落とす。
「···何をしてるんだ、俺は」
いくら彼女が自身の婚約者と言う立場の人だとは言え、寝ている女性に触れるなど言語道断なはずなのに。
その時ふと、正面の壁に書かれた古代文字が目についた。なんとなしに目で文字を追ってみると、あちこちの壁が崩れている箇所もあるために読めないところも多いようだが、解読できないほど崩れているわけでもないようだ。
「首に、···を持つ子の、授かり方···儀式···?欠けてしまっているが···これは痣、か?」
首に痣を持つ子。
「···昔、どこかで」
広い、玉座の間。
豪華な装飾品。
そこに現れた、一匹の巨大な黒い鱗を持ったドラゴン。
ーーー王の側にいた幼い少年の服が炎で焼かれて見えたのは、首に巻かれた包帯ではなかったか。
「まさか」
あの時、誰にもーーールードルフにでさえも、言ったことが無かったことが1つだけある。
言ったところで誰にも信じて貰えないと思ったからだ。
ーーーあの時の黒いドラゴンは王を殺し、あの幼い少年をどこかへ連れ去ろうとしている素振りをみせていた、などと。




