64.ルードルフの過去
死にたくない、死にたくないと子供のように泣きじゃくるアリシアを見つめながら、呆然とする。
「ひっ、く、わた、しが、私が、悪い子だから、死ねなかったの。怖くて、死ねなくて、ごめん、なさい。ごめんなさい、許して下さい。でも、やだ、まだ死にたくないよ···」
「死にたくないって···」
そう呟くが早いか、突然緊張の糸が切れたかのようにそのまま湯船に沈んでいこうとするアリシアを慌てて引き上げると、彼女はいつの間にか気を失っていた。極度の疲労からか、もしくは緊張からだろうか。とにかく湯船のお湯で溺れないように体制を整え、体の末端や皮膚状態を確認する。
「···だいぶマシにはなったけど、もう少しつからせたほうがいいな。あぁもう、一体どうなってるんだよ!」
なんでそのまま放っておいてくれなかったのか、と先程言われた言葉を思い出す。そしてなぜ彼女から『死にたくない』なんて言葉がでてきたのだろうか。
「···なんでそんなに苦しそうに言うんだよ」
なぜ、自分に許しを請うような言葉が出てくるのだろう。きっと何か意味があるはずなのに、何も分からない。こんな時に、何か使える記憶があればいいのにと悔しくなる。
(俺が本物の転生者だったら、また違った未来があったんだろうか)
アリシアもヴェリア嬢も救えるなんて、そんな未来があったのかもしれない、と。
そんなありえない事を、ぼんやりと考えた。その後、気を失ったままの彼女を風呂から移動しあちこちにある体の傷口に薬を塗る。アリシアにベッドを譲るとなると、必然的に俺はソファーで寝ることになるのだがそれはまぁ良いとして。
「···俺、本当に同じ部屋にいて良いのか?」
特に敵襲があるわけではない。丁度今日は休暇のため自分が部屋にいるのはおかしいことではないのだが、落ち着くわけもなく。だからといって、ここを出ていってもしもグロリアーナが見つけてしまったらどうなるのかなんて考えたくもない。
後々にフィンが来てくれると言っていたから、しばらく待機しているのが無難な所だろうか。
暖炉からパチリ、と焚き火が爆ぜる音がする。
本当にヴェリア嬢は無事だろうか。
怪我はしていないのか。
凍えていないのか。
そして、どこにいるのか。
「本当に···俺が、偽物の転生者じゃなくて、本物の転生者だったら良かったのにな」
何もかも分かっていれば、と。
そんな風に考えてしまう。
ーーー王都で死んだことにされた私を助けて下さったのはルードルフ様です。貴女がいなければ、私は今ここにいられませんでした。だから、そんな風に言わないで下さい。
「そんな事も、言われたっけ」
少しでも役に立てたこともあるのか、と少しだけ気が軽くなる。時計を見るが、まだフィンが来るまで時間があった。
(···ここの所まったく思い出してなかったけど、何か手がかりがあるかもしれない)
頭が痛くなることを覚悟して、改めて机に向かって座りなおすと、久しく見ていなかった何冊もの古いノートを引き出しから取り出した。
俺には、大まかにわけて3つの記憶がある。
1つ目は、今まで生きてきたのルードルフとしての人生。
2つ目は、この世界に来るまでの20年間分の人生と、これがゲームとして存在しているという記憶。
3つ目はルードルフ自身がゲーム内のキャラクターであり、『このゲームが存在する日本で死に、その死んだ時の記憶を引き継いだままゲームの中のキャラクターに転生した人物』という設定があるキャラクターだと自分自身が認識している記憶だ。
つまり2つ目の記憶は転生前の記憶などではなく、全てゲーム側に勝手に作られた記憶であり、自分自身には何ら関係の無い記憶だということになる。
(俺は転生者なんかじゃない。そういう設定があるだけのキャラクターなんだ)
そう理解するまで、自分自身は本当に転生したものだと思い込んでいた。だから転生前の記憶が矛盾だらけでも、対して気にも止めていなかった。
だが色々と考える時間を設けて、改めてぐちゃぐちゃにとっ散らかった記憶を少しずつ整理し始めてーーーようやく自分自身が、『そういう風に作られただけのゲームの中のキャラクターの1人に過ぎない』のだと知った。
だって、前世の記憶だと思われる記憶はどう考えてもおかしいものだったから。家族と共に家で過ごした記憶も、友人と学校でどんな風に過ごしたのかも、どんなふうにしてこのゲームを知ったのかすらも分からない。あまりにも中身がないのだ。
なんとなく家族がいた、なんとなく友人と遊んだ、なんとなく日常を送っていた、なんとなくゲームを知った。覚えていないと言えばそれまでかもしれないが、それにしたってあまりにも違和感がある。
たとえば、どこの学校に通っていたのか。友人や、家族の名前は。どうやってゲームを知ったのか。以前の自分は、どんな性格をしていたのか。そして、なんという名前だったのか。
その問いに、俺は何一つとして答えられない。
覚えていない、思い出せないというよりも、本当に分からないのだ。
(たぶん、その話がゲームの中に出てきていないから分からないんだ)
もしかしたら、ゲームの中ではなく裏設定では決まっているのかもしれない。だが、俺が知っていることはおそらくこのゲームに出てきていることが全てなんだろう。
産まれて、物心ついた時には自分に記憶は1つしかなかった。だが、あれは5歳になったばかりの頃。ある日、唐突に知らないに記憶が次から次へと頭に流れ込んできた。自分の身に覚えがない記憶はただただ恐怖でしかなく、頭がおかしくなりそうなほどの情報量に、理由もわからず両親に話した。苦しいと、頼むから助けてほしいと泣いて懇願した記憶がある。だが両親は、唐突に俺の気が狂ったとでも思ったらしい。
ーーー次の日から、両親や村の人は俺を明らかに気味の悪いモノを見るような目で見るようになった。
「あの子、また前世がどうとかおかしいことを言ってるわ。本当にどうしちゃったのかしら」
「さぁ?気でも狂ったんじゃないのか。気味の悪いガキだ」
「ルードルフが気狂いになったー!気狂いが移るぞー!逃げろー!」
ありもしないことを嘯き、意味がわからない事を話す気味の悪い子供だと。誰も自分に寄り付かず、誰も話を聞いてくれない。
魔物にでも取り憑かれたのではないのか?
そんな風に、嘲笑われたのは1度や2度ではない。誰かに助けを乞うことは出来ないのだと思い知らされ、そこから俺は記憶をひた隠しにして生きるようになった。
俺がそんな話をまったくしなくなったせいか、未だに気味が悪い物を見るような目で見られてはいたものの、なんとか村での生活はできていた。この時点での俺の記憶の整理はこの世界でのルードルフ、つまり俺はどこかのタイミングでグレンに出会い、北の砦へと向かうことは漠然と知っている程度。だがどうしてここに来たのか、つまるところ王都への魔物の敵襲があることまでは思い出せずにいた頃だ。
(あんまり無理に思い出そうとすると、よく熱を出していたっけ。頭痛も酷くて、まるで頭が思い出すことを拒んでいるみたいだった)
だがそんな風によく具合が悪くなる俺を更に煙たがるようになった両親が取った行動は冷たいもので。
「風邪が伝染ると悪いから、アンタは外に行ってなさい」
そう言われて、どれだけ熱があろうと外に放置されるようになったのだ。具合が悪く弱っている姿を見せるのも嫌で、俺はよく家の裏で丸くなって過ごすことが多くなった。熱を出さない為には、記憶を思い出さなければいいのだとズキズキと痛む頭で考えたこともある。だがなぜかこの当時の俺は意地になっていたのか、それとも強迫観念のようなものがあったのかーーもう覚えていないが、とにかく思い出すことを止めることはなかった。
辺りが雪に染まり、冬のある日。俺はいつものように家の裏で丸くなっていて、凍死しそうになったところを村医者に発見された。
「何してんだこんなとこで!!」
最初はこんなところで寝ていた自分を叱った声だと思っていた。だがそれは1年ぶりぐらいにまともに自分を心配して声をかけてくれたのだと知った途端、思わずワンワンと泣いてしまった。その日からも変わらずに体調を崩してばかりだった俺は村で唯一の医者と自然と仲良くなって。まだ幼かった俺は、この医者なら真面目に話を聞いてくれるのではないか、と止せばいいのに日に日に希望を抱いてしまうようになる。
「···あの頃は、ガキだったよなぁ」
そんな突拍子もない話が信じてもらえるはずがないのに、俺はその村医者に話をしてしまった。半信半疑といったところだったが、当時は話を聞いてもらえただけでもとても嬉しくて飛び跳ねて帰った記憶がある。
そして記憶を話した夜に再び熱を出し、ふらふらと村医者の建物へ向かって、開いていた窓から漏れ聞こえてきた言葉は。
「あの子はやっぱり未だにおかしいみたいだな」
その言葉に、頭を金槌で殴られたような衝撃を受けた。なんでも話してくれと言ったのに。この人なら、きっと話を聞いてくれると思ったのに。そう思うと余計に辛くて、苦しくて。信じてもらえないことがこんなに辛いなんて思いもよらなくて。
それから俺は人に言われる『何でも話してくれ』という言葉は所詮建前でしかないのだと知り、それ以降自分の記憶を誰にも話さなくなった。
それからは逆に集中して記憶を整理することを覚えた。だが自分の記憶は酷くこんがらがっていて、1の次は2の記憶が出てくる訳でもなく、1の次に30の記憶が出てくるようなことも多かった。
転生前の記憶、これからの記憶。とにかく思い出したことは全てノートに書き記して、思い出したことはどこの記憶なのかを当てはめるという膨大な時間と労力が必要になる。
ここらへんでようやくわかったのは、これからの記憶。今からはだいぶ先の、ゲームが開始したあとの記憶だった。アリスとグレンのルートがどう進むのか、最悪のバッドエンドはどんなものかーーーそんな内容ばかり思い出して、『ルードルフというキャラクター自体がグレンに出会うまでどう生きていたのか』をまったく思い出すことはなかった。
2年後には村が飢餓や病気に襲われ、おまえのせいだと言われて追い出されるように村を出たのが7歳の頃。村医者の哀れむようなあの視線が、未だに忘れられない。
「っ、あー···、くっそ頭いてぇ。あの医者め···今度会ったら絶っっ対に殴り飛ばす···」
ズキズキと頭が痛むが、無視して記憶を辿っていく。村を追い出されてから自暴自棄になり、特に生きる意味もわからずに生きていたのだが、腹が減ったと思えばどこからか食べ物が落ちてくる。喉が乾いたと思えば、雨が降ってくる。死のうとしても、なぜか様々な偶然が重なり死ぬことができなかった。
(どうして、死ねないんだ?)
生きる意味もないのに。ストーリー通りに生きて、そんな人生に何の意味があるというのか。
何もかも、意味が分からなかった。
どうしたら良いのか、何をしたら良いのか、何も示すものはない。記憶も特に思い出すことは出来ずに過ごしており、頭痛には悩まされていなかった。ゲームの世界にきたのなら、少しは何か便利なアイテムやそれこそインベントリでも出てくれば良いのに、そんなものはなくて。
記憶を思い出す作業も7歳の頃はほぼやっておらず、実際に村が病気に襲われることも、不作で飢饉に陥ることも、村から追い出されることも何もかも知らなかった。これからどう生きていけばいいのだろう。
誰か、教えて欲しい。
行く宛も無く、ふらふらと彷徨う。
優しさが欲しくて、裏切らない人が欲しくて、何を話しても信じてくれる人が欲しくて仕方がなかった。
まだ出合った事もないのに、知っている人物がふと思い出される。
ーーー早くアイツに、グレンに会いたい。
そんな風に思って、ふらふらと道を歩いていた時。
俺は馬に蹴られた。
それは比喩でも何でも無い。俺は道の端を歩いていたような気がするのだが、貴族の乗る暴走した馬車の馬に凄まじい勢いで蹴られたらしい。らしい、というのは唐突な痛みと共に、そこだけ記憶が吹っ飛んでいるからである。いくら貴族と言えど、人を馬車で轢きそのまま道に放っておいて良いという法律があるわけでもなく、俺は蹴られた馬に引かれていた馬車に乗っていた貴族の家で看病されることになって。
その貴族の家と言うのが、ヴェリア家だった。
銀髪に青い目をした領主と、赤みがかったストロベリーブロンドの髪に柔らかな桜色の目をした夫人。
この世界には存在しないために誰に話しても理解はしてもらえない、だが確かに転生前の記憶には存在する桜という花を連想させるその淡く優しい色は、酷く懐かしさを感じるものだった。そのせいかやたらと記憶を刺激されて酷く頭が傷んだのだが、それを馬に蹴られた後遺症だと勘違いされ、当時はかなり丁重に扱われていたのを思い出す。この時夫人は確か暴走した馬車の中に乗っていて、事故の現場を目撃したのだという。
「貴方を轢いてしまって、本当にごめんなさい」
「いや···気にしないでください。馬が暴走したんじゃ仕方がないですし」
「気にするわ。本当に···本当に、ごめんなさい」
馬が暴走したのは彼女のせいではないだろうに、そう言ってしきりに謝っていた夫人。
「···いっ、てぇ」
なぜだか酷く頭が痛む。
まるで、それ以上思い出すなと言わんばかりに。
「もう謝らなくて大丈夫です。それよりも、夫人の身体は大丈夫なんですか」
頭が、割れそうに痛い。
だが痛むときは重要な記憶なのだと、経験上知っていた為に思い出すことを止めなかった
「私は大丈夫よ」
「でも、あれだけの衝撃があったのに···お腹の子は本当に大丈夫なんですか」
「心配してくれてありがとう、ルードルフ。でも私はこれから母になるんですもの、この子を守れるくらいに強くならないといけないから大丈夫よ」
ーーーこれから、母になる?
(···?夫人って、妊娠していたのか?)
ふと、疑問に思う。
ヴェリア嬢の母親である彼女が、俺が7歳の時に妊娠していた?だとしたら、彼女の年齢が合わなくないだろうか。しかし夫人にはヴェリア嬢以外の子供はいなかったはずで。
「何かを忘れているのか?」
何かがおかしい。だが、何がおかしいのかわからない。だがその子供が本当にいるなら、もう27歳になるはずでーーー。
「···駄目だ、分からん。それから夫人の計らいでデルフィランズ家の騎士になってグレンに会えたけど、グレンはそれを知らなくて···」
ふと、眼の前の美しい1人の女性が目に入る。
夫人と同じ、淡い桜色の瞳。
夫人の夫である領主と同じ銀色の髪。
ヴェリア嬢と瓜二つの顔立ち。
ーーーもしもあの時の子供が本当にいるとしたら、このぐらいの年齢ではないのか?
「アリシアはまさかあの時、夫人のお腹にいた子供なのか···?」
俺の問いかけに未だに目覚めぬ少女は何も語らず、ただひたすらに眠り続ける。
お前はヒーローだから、とグレンに言った言葉は嘘じゃない。主人公なら、きっとヒロインを、彼女を見つけ出せると思ったんだ。
「···グレン、アリス。頼むから、頼むから無事に帰ってきてくれ···」
だが、俺のそんな願いも虚しく。
彼女が目を覚ます事も。
グレンとアリスが帰ってくることも。
2日立っても、3日立ってもーーー何一つとして、叶う事はなかったんだ。




