63.閉じられた洞窟
ひんやりとした空気が、頬を撫でた。閉ざしたままの瞼の裏はやけに暗く、今が夜なのかと錯覚してしまいそうになる。
「っ······!?」
慌てて目を覚ますと、私は洞窟のような場所にいた。光はどこからも入らず、そのせいで薄暗かったのかと納得する。
「うっ、ここは、どこ···?」
体に力を入れると、ズキリと右足が痛むことに気がついた。何か怪我をしたのかと足を見るが、暗くてよく見えない。だが痛むあたりに触ってみると、ぬるりとした何かに触れた。
何かに掠ったのか、それとも噛み傷か。暗い為判断がつかないが、怪我をしているのは間違いない。だが、歩けないほど痛むわけでもなかった。
「そうだわ。ポーションを持ってきていたはず···」
ポケットを探ると、ポケットの中身が濡れている事に気がつく。ポケットの中には2本の瓶が入っていたのだが、新品のポーションが1本割れてしまったようだ。もう1本は無事なようで、使いかけだったポーションが出てくる。
「2本入れておいて良かった···。でも、ポケットにこのまま破片を入れておいたら危ないわよね」
瓶がどう割れてしまっているのかは分からないが、歩いている内にポケットの中で破片が動いて足に刺さってしまったら危険だ。そっとポケットを引き出し、砕けたガラスの欠片を捨てる。何度か欠片を払うためにパタパタと振り、ポーションで濡れているポケットをできるだけ絞った後、元に戻した。
「これで良し、と。後は傷口にもポーションをかけておかないと···」
無事だった方のポーションを開けて傷口にかけようとして、ふと思い直した。ここでかけたら、暗すぎて傷口にかかるかどうか分からない。痛む場所にかけておけば間違いはないかもしれないが、ポーションが1本もない今はできるだけ節約しておきかった。これから外に出て、怪我をしないとも限らないのだから。
それに今が何時か分からないが、少なくとも外ならここよりは光があるはずだ。今使うよりも後で使った方がいいと判断し、ポーションを再びポケットへしまいこむ。
「···恥ずかしい話ね」
戦うなんて言っておいて、何もできなかった自分に腹が立つ。だが、それでももしかしたら寝た後に何かされるかもしれない、と寝ている間もウラムケープを羽織り、靴の中敷きにもカロの実のスパイスを使用しておいたのは正解だったようだ。私はもう片方の大きなポケットを探ると、厚い手袋と雪避けのフードを引っ張り出した。手袋とフードを被り、髪が凍りつかないようにそのまま長い髪の毛を1つに纏め、雪よけのフードの中へと隠す。
(念の為だったけど、この服にしておいて良かったわ)
フィンが作ってくれた、分かりにくいけれどあちこちに大きなポケットがついており、かなりの量を仕舞うことができるこの少し変わった服。しまうものによっては重たくなってしまい動きにくいのが難点だとフィンが嘆いていたが、今は有り難かった。正直結構な量の荷物を入れていたので確かに重たいは重たいが、前に着ていたドレスとさほど変わらない気がする。中もかなり温かく、分かりづらいのだがズボンになっているためドレスよりもずっと歩きやすい。
(そう言ったら、フィンが驚いていたっけ。ドレスは流行の色や時期によっては生地が厚くなることもあるし、使っている生地の量もとても多いからと言ったら納得していたけど。装飾品も含めれば慣れないと歩くのも大変な重さの時もあったし、それで踊ったこともある。なんだか懐かしいわ)
こちらに来てからは装飾品も簡易的なドレスしか着ておらず、昔に着ていたものからすれば遥かに軽い。久しく感じていなかった重さに足をとられないよう注意しながら、他のポケットも探ると、幸いにも他のポケットに入れていた食料やカロの実のスパイスは無事なようだった。私は小さな水筒を取り出し、辺りにある雪を中に詰め込む。
「これでとりあえずの飲み水は大丈夫ね」
これは中に雪を入れると自然と溶け、水になるという便利な魔法具だ。何かあった時用にと自分が思いつく限りのものは全て入れておいたのだが、本当に役に立ってしまうなんて。ある意味、当たってほしくない方の予想が当たってしまったとも言える。
しかし食料だって、いつまで持つか分からない。少しずつ食べれば2、3日は持つだろうが、そもそもここがどこか分からない為、砦に戻るまで何日かかるのかも不明だ。
(グロリアーナが何をしてくるか分からないとは思っていたわ。でも、まさか違う人が来るとは思わなかった)
手段を選ばないとは知っていたが、部屋にいた見たことのない女性は誰だったのだろう。グロリアーナではないことは確かだが、頼まれた、仲間だった、脅されていた、はたまた私に恨みがあったのか。真相は分からず、どこからどこまでがグロリアーナの仕組んだことだったのかもわからない。
魔物に拐われたこともたまたまだったのか、それともそのまま八つ裂きにされてしまえば良いと思われていたのか。明確な殺意に今更ながらに寒気がする。
ーーーでもあの時、また体が動かなかった。
「···決められたイベント、なんて」
そんなわけがない。
そう思いたいのに、足がまったく動かなかったことを思い出して本当にそうなのではないかという不安が心を支配していく。こんなことを考えている場合ではないのに、思考が止まらない。
怖いと恐怖し、怯える事は当たり前の感情なのだと今なら分かる。だからこそ誰かに縋りたくなる気持ちも、誰かに助けてほしいと思う気持ち当たり前のことなのだと。そして、『助けてほしい』と言ってもいいのだと。
ーーーそれと、なにかあれば俺を頼れ。君は危なっかしくて見ていられない。
少し前にデルフィランズ様にそんな言葉をかけてもらったことを思い出す。いつだったかマリアナは、この世界を『ゲーム』だと言っていた。もしもここが本当にゲームなのだとしたら、一つ一つの展開が何もかも都合よく作り上げられているはず。例えば今、私が助けてほしいと言えばすぐにデルフィランズ様が助けてくれるのだろうか?
(···ううん、そんなに上手く行くわけがない。だって私自身ここがどこか検討もつかないのに、私が動きもしないでどうやって見つけ出すと言うの?)
決まった言葉を言うだけで、願うだけで何もかもが上手くいく世界なんて聞いたことがない。現実はゲームなどではなく、自分がしたことには必ず責任が付きまとう。だってここは現実なのだから。無意識に左手首を握り締めると、一瞬甘い匂いが鼻を擽った。
「···香水」
かけられた時から時間がたっているためもうほとんど消えかかっているが、確かに残り香のように匂い立ったのは甘い匂い。まだ、服の何処かに残っていたのだろうか。
ーーー時に匂いという形のない物は、記憶を呼び起こす事があるという。
「そうだわ。確かこの香水は、毒の一種だったはず···」
あの時起こった、輪郭が少しぼやけたままの出来事をとつとつと思い出していく。確かフィンが助けに来てくれて、『伏せて!』と言われてようやく自分の体が動くようになったことも。
この香水は『相手の思考を上書きして乗っ取るような毒』であり、『思考を上書きされたら、よほどの精神的な安心を得られない限りは戻れない』と。確か、そう聞いたはずだ。
「相手の思考を上書きして、乗っ取るような毒···どうやって思考を上書きするんだろう。乗っ取るまでの過程が思い出せない···」
『貴女は逃げられない』
「···そういえば。最初に彼女がそんなことを言っていたような···?」
もしかして、その言葉が引き金になるのだろうか。ここから逃げられない、と私の思考を上書きした?
「なら、私の体が動かなかったのは···イベントのせいではなく、思考を乗っ取られていたから?だとしたら、フィンを見て安心したから毒が解けたということ?だとすれば私が単に毒に侵されていただけなのかしら···」
ーーーそして珍しい効果として魔物寄せの効果を持つ、と言う事を唐突に思い出した。
「魔物寄せ···っ、そうだ、魔物は···!?」
自分以外の気配を感じず、今までその存在を忘れていた。私は確かに魔物に連れ去られてここまできたはずなのに。だが見渡してみても辺りは静寂だけが支配しており、魔物どころか他の生き物の気配すら感じられなかった。その事に少しホッとしながらも、これからはもっと気を引き締めないといけないと改めて気を持ち直す。
「ここから続いている道は何本あるのかしら···」
ようやく目が慣れてきたのか、ぼんやりと辺りの様子が見えるようになってくる。辺りを見渡してみると、ここはどうやら洞窟のような場所だと分かった。ここの場所は行き止まりになっているらしく、続いている道は1本しか無い。
魔物がなぜ私をここに運んだかは分からないが、外から来たのは確かなのだから、必ず外に出られる道があるはずと自分に言い聞かせるように深呼吸をする。肺に吸い込んだ空気は、体を芯から凍らせるように酷く冷たい。
ーーー本当に砦に辿り着けるの?
もしも魔物に出会ってしまったら?遭難してしまったら?雪崩に巻き込まれたら?そんな見えない恐怖が、不安が重たくのしかかってくる。だが歩き出さなければ何も始まらない。立ち上がり、私はようやく1歩目を踏み出した。
(大丈夫。きっと戻れるわ)
傷が深いのか、右足がズキズキと痛む。早くポーションをかけるためにも、とにかく灯りが必要だ。残り少ないポーションを迂闊に使えばもっと大きな怪我をした時に使用できず、死に至る可能性もある。
「こういう時のことも考えて、灯りを持ってくるべきだったわ···」
食料や水、ポーションや防寒対策などはすぐに思い浮かんだが、灯りの事は思いつかなかった。今更悔やんでもどうにもならないことはさておき、足を岩などにとられないように
ゆっくりと歩みを進める。右足が痛むが、歩けないことは無い。きっとゆっくり歩けば大丈夫だと自分に言い聞かせてさらに歩く。
(まずは灯りを確保して、ポーションを足にかけることを目標にしよう)
ここがどこか分からないし、どのくらいの間気を失っていたのかも分からない。でも、それでも諦める訳にはいかなかった。
「なんとか、戻らないと···」
きっと皆が心配している。
そう素直に思った自分に少し、驚いた。きっと来たばかりの頃の私だったら、下手に動くよりはとこのままここに留まっていたかもしれない。
そしてそのまま低体温になり、眠り込んでしまい凍死していた可能性が高い気がした。
ーーーそう考えると、私は少しでも変われたのだろうか?
左腕につけたブレスレットをなぞるように握りしめた。少しひんやりとしたプレートが、なんとなく思考をクリアにしてくれる気がする。私はとにかく目の前の目標に向かってまた一歩、足を踏み出した。




