61.開かれた先の色
何か、音が聞こえる。
(···何の、音?)
その音が何の音なのかをぼんやりとした頭で考えていると、段々とその音はこちらへ近付いてきている。何かを踏むような、誰かが走っているようなそんな音だ。
ーーー寒い。
寒さに凍えてしまいそうな体を抱えるように、私は小さく丸まった。
ーーー痛い。
酷く痛む足首に、手を添える。冷え切った喉も、焼け付くように痛かった。吐き出す息は白く、頭はとてもぼんやりとしている。
遠くから、また音が聞こえてきた。
(何の、音···?)
ーーー眠たい。
今度は眠気が襲ってきた。争い難いその眠気に、ようやく開けたばかりの目を閉じる。
ーーー息を吸って、はいて。
ハッキリとした音が今度は、耳元で聞こえた気がしたけれど。
きっと気のせいなのだろう。
「っ、はぁっ、」
冷え切った空気が肺を冷やし、体の熱を下げていく。伝う汗は、きっと止まったら瞬時に凍り付くのだろう。
(あぁくそ、サクリア草までが遠い!)
息はとっくにもう上がっていて、体は休憩を欲していた。だがそんな事には構わずに、とにかく走り続ける。
先を走るグレンの体力も遠に限界だろうに、止まる気配は微塵もない。一心不乱に走り続けて、ようやくサクリア草が咲く場所へと辿り着いた。確かここから北に行った所に小さな洞窟がある。
(どんな状況だったのかもよく覚えていないが、洞窟の中に銀髪の彼女が倒れていたスチルがあったはず)
彼女を見つけ出したのがグレンだったか、俺だったのか記憶はほぼないために断定はできないが、ふと思い出した光景にここまで走ってきたのだ。
「やっと見えた!たぶんあそこだっ···!」
サクリア草の横を通り過ぎ、洞窟がある方へと走る。ようやく洞窟が見えたと思った瞬間、今度は洞窟から魔物が飛び出してきた。
(ヴェアーラズ!?)
花から乗り出すようにして生えた胴体。その背中に蝶の羽根を生やしたその姿は、ここ数年しばらく見ていなかった個体。だが、大きさからしてネームド個体ではなく通常種のようだった。
ヴェアーラズもこちらに気がついたのか、背中の羽根を広げ鱗粉を飛ばそうとしてくる。
だが、その鱗粉は飛ぶ前にグレンの剣によって羽ごと切り落とされた。
「キィィイイイイッ!!!」
甲高い悲鳴を上げて羽根を失ったヴェアーラズが地面へと落下し、溶けていく。さすがのグレンも息が上がっており、肩で呼吸しているのが見えた。
「ヴェアーラズ···厄介な奴がまた出てきたか」
グレンがぽつりと呟きながら、洞窟の中へと入っていく。入口の狭さからは考えられないほどに中は意外と広く、天井が高かった。いくつか横道があるため、もしかすると他にも出口があるのかもしれない。少し広い空間に出た時、それは突然目に飛び込んできた。
「っ······!!」
空間の中央に、長い銀髪の少女が1人倒れている。本当にヴェリア嬢がいたのかと思い、慌てて駆け寄るが、それは酷く異様な光景だった。
白い肌は死んだ者のような血色の悪さをしており、指の先も紫に染まって凍傷寸前のような色をしている。服は汚れたボロボロのフードに、何年も昔の隊の制服を着ていた。フードから覗く足は左の足首だけが異常なほどに細く、気味の悪さを感じる重々しいアンクレットのようなものがつけられている。
「···ヴェリア、嬢?」
いや、どう見ても違う。なのに、どうしてここまで彼女と似ているのだろうか。グレンも同じ事を考えたのか、一瞬だけ立ち止まったが、それよりも今にも眼の前の少女が死んでしまいそうな方に気を取られたのだろう。グレンが駆け寄って倒れていた彼女に声をかけた。
「おい、起きろ!聞こえるか!?」
「···っ、」
ふるり、と体が小さく震えるのが見えた。
「その子、生きてるのか!?」
「···息は、しているようだが。このままだと間違いなく凍死する」
ヴェリア嬢によく似た、だが違う少女。彼女が誰なのか、まったく検討が付かない。だが、このまま放置すれば確実に彼女が死に至ることだけは確かだ。
「······だ、れ···?」
ふいにひび割れて今にも消えてしまいそうな小さな声が、聞こえてきた。口の中に血が溜まっていたのか、頬を伝い口から血が溢れ出る。2人で彼女を覗き込むと、うっすらとその目が開かれた。
焦点の合わない瞳が、何かを探すようにこちらを見た瞬間、思わず俺は息を飲んだ。
それはここでは二度と拝むことはできないであろう、酷く懐かしい色だったから。
雪に覆われれば、直に春が来る。
四季が巡るあの世界で見た、春にしか見られない、こちらの世界には存在しない儚い花の色。
「桜色···」
青色では無いということは、ヴェリア嬢でないことは確かだ。だが、目薬を使った彼女の瞳の色によく似ている。
ーーー彼女は、一体誰だ?
力を使い果たしたのか、それとも人を見て気が抜けたのか、彼女は再びその目を閉じた。
「···ヴェリア嬢ではない。だがよく似ているな。ルードルフ、彼女に見覚えは?」
「···分からない。こんな桜色の目をしている子なんて···」
(2に出てきた···?ここで誰かを見つけた記憶は、この子だったのか?だとしても、彼女は一体誰だ?)
これだけ酷似しているからには、ヴェリア嬢と無関係という訳では無いだろう。だが、姉妹がいたという設定なんて存在していただろうか。
「このままここに放置するわけにもいかない。一旦彼女を連れて帰ろう」
「···いや、グレンはヴェリア嬢を引き続き探してくれ。俺は1度この子を連れて砦まで戻る。その後また合流するよ」
持っていたポーションを手足にかけるとあちこちについていた傷口は治ったものの、皮膚の色は戻らない。だが不思議なほどに色は悪いもののほとんど腫れておらず、指は細いままだ。
彼女の前にしゃがみ込み、床に髪の毛が張り付いていないかと一瞬心配になったがそんなことはないようだった。自分のコートで包んでから寝ている彼女の体を抱き起こすと、驚くほどに軽い。これが本当に、人1人分の重さなのだろうか?そこでふと床に散らばっているものに気がついた。
「これ、サクリア草じゃねぇか。まさかこれ、そのままかじって···?」
「可能性は高いな。痛み止めか食料としてかは分からないが、彼女がこれを口にしたのは確かだろう」
(フードに、サクリア草?)
「···グレン、もしかしてこの子がサクリア草を採りに行ったときに見たって話していた子じゃねえか?」
「!、そういえば、何度かフードを被った人物を見たと証言があったな。やはり本当に人だったのか···」
「まさか、だな。とにかく俺は一回このまま戻るよ。早く温めてやらないと本格的にマズそうだ」
そのまま砦まで歩いていこうとして、グレンに呼び止められた。
「ルードルフ、あのブレスレットはまだ持っているか?」
「へ?なんだよ、藪から棒に。そりゃあるけど···俺もグレンも生きてるんだから、何も発動してないだろ」
「発動、していないんだな?」
念を押すようなその言葉に、少したじろぎながらも返答を返す。
「して、ないけど···」
「···なら、良かった···。そのブレスレット、俺に貸してくれないか」
「これか?別にいいけど、1人で2つ持ってても意味がないだろ」
「いや、俺の分は彼女に渡したんだ」
「えっ、これを!?そうか、だから発動してるか聞いたのか!」
このブレスレットは、20年間1度も発動することはなかった。なぜならそれは、20年間互いに生きていたから。どちらかの持ち主が死ぬと、それが分かるようになっている簡易的な魔道具になっている。
「ヴェリア嬢にはこのプレートの発動条件も伝えてあるんだよな?」
「···いや、伝えていない」
「え?いやいやいや、なんで伝えてないんだよお前は!それにいくらなんでも女性へのプレゼントじゃねーだろ、これ!」
「···自分でもそう思うから、それ以上は言わないでくれ···」
そう言って顔を覆うグレンはよほど気まずいのか、明後日の方向を見ている。
「ったく、帰ってきたらちゃんと言えよ。なんだか分からないままじゃヴェリア嬢も使い方が分からなくて困るだろうが」
「···そうする。それと、彼女を砦に送り届けたらそのまま砦で待機していてくれ」
「はぁ!?なんでだよ!?」
「2人共砦から出ていたら指揮を取る者がいなくなるからだ。魔物の襲撃が無いとも限らないし、またあの女が何かをしでかす可能性もあるからな。悪いがしばらくお前に砦の指揮は任せる。早く戻って彼女を医者に見せてやれ」
「···分かったよ」
俺は抱えている彼女を落とさないように左腕を突き出すと、ブレスレットが見えるように手首を曲げた。
「ブレスレット、取ってくれるか?」
「あぁ」
するり、とブレスレットが解ける。
少しだけ軽くなった腕に違和感を覚えながら、酷く不安気な表情をしているグレンを見て思わず声をかけた。
「グレンならできるよ」
「···何を根拠に言ってるんだ。現に俺は今、何も出来ていないのに」
「探せるに決まってるだろ?なんたってお前はヒーローだからな」
ふざけた口調でそう言うが、グレンは相変わらずの仏頂面を崩さない。
「···英雄、か。その言葉は俺に世界一似合わないな」
「んなことないさ。···必ず見つけ出して帰ってこい」
「あぁ」
貰ったブレスレットを、グレンがきつく握りしめた。これは持っている相手に死が迫れば、プレートは熱を発する仕組みになっている。
冷えたプレートは、まだ彼女が無事であることを示していた。
「いってくる」
そう言ったグレンが、再び遠ざかる。
俺も早足で砦へと向かい歩き始めた。きっと俺では、彼女は見つけることができないだろう。そんな確信が自分にはあった。
でも、グレンなら。
ストーリーはまだ、続いている。
本当にこんなイベントがあったのなら、どうして自分は何も覚えていないのだろう。
(ここが無印の世界線なのは間違いない。···だが、キャラクター自身は2の設定だったりすることなんて、ありえるのか?)
そんな事が本当に起こっているのなら、ストーリーは入り乱れて、あらぬ方向へと話が狂いだしていってしまうのではないのか。
「···くそ、情報が足りない。2のストーリーを今更知るなんて不可能だ。どうすりゃいいんだよ」
悪態をつきながら、段々と足を早めていく。
しかし今はそんなことを考えている場合ではない。とにかく今は、腕の中の少女を助けなければいけないのだから。
「もう少しだからな。死ぬなよ」
目を閉じたままの彼女に、この声は届いているのだろうか。左足の足首に食い込むように巻き付いたアンクレットには、黒い石のようなものがついている。月に反射することもなく、鈍く黒光りするそれは、まるで彼女の生命力を奪っているように見えてーーー酷く、気味が悪かった。




