50.熱と子守歌
「···すまなかった」
「い、いえ、そんなに謝らないで下さい。もう痛くありませんから」
「だが···」
「手当もしていただきましたし。本当にもう大丈夫ですよ」
「······」
相当落ち込んでいるのか、デルフィランズ様が下を向いたまま動かなくなってしまった。先ほどぶつかった瞬間に見えていたよく分からない星も無くなったし、もう痛みも無く額の色も元に戻っている。ルードルフ様に手を治してもらい、デルフィランズ様には額を治してもらい。今日はよくポーションを使ってもらう日だな、と苦笑してしまった。
「君には痛い思いをさせてばかりだな。本当にすまない」
「そんなことないですよ。扉の目の前にいた私も悪いのですから、お互い様ということにしましょう」
「···分かった」
未だに納得していなさそうな雰囲気を感じるが、いつまでも謝り合っていても、起こってしまったことは変わらないのだから仕方がない。少しばかり痛い再開になってしまったわけだが、それよりも久しぶりにこうして彼と会えたことが素直に嬉しかった。
(···でも、)
なんだか、彼の顔色が悪い気がする。それに、普段なら気配に聡いであろう人がそんなミスをするだろうか?
「すまない、普通は外に誰かがいる時は分かるんだが···今日は少し気が抜けていたみたいだ」
その言葉を聞いて、なんだか感じた違和感を見逃してはいけないような予感がした。
「···デルフィランズ様。立ち眩み、もしくは頭痛や吐き気はありませんか?」
「え?」
その質問に、彼が虚をつかれたような顔をしてこちらを見た。
「急にどうしたんだ?」
「顔色が悪いのです。正直に答えて下さい」
強めにそう言うと、少し言いにくそうに彼が呟く。
「···まぁ、たまにあるが」
「最後に寝たのはいつですか?」
「仮眠は昨日取った」
「仮眠ではなく、睡眠です」
「···まともに寝たのは···確か3日前、だな」
(3日前?)
デルフィランズ様はいつも、こんなことを繰り返しているのだろうか。具合が悪くなって倒れたという話は聞かないけれど、デルフィランズ様だって人間なのだから具合が悪い日だってあるはずなのに。具合が悪くならないのではなく、例え体調が悪くても休まずに動いているから分からないのだとしたら?
(他の人でも出来る仕事は、他の人に回すといったのに)
あの話をしてからまだ1週間しか立っていないのはわかっているが、実際にどんな生活をしているのかを聞けばどうして、という思いが強くなる。まともに睡眠も食事もとらず、身を削って魔物と命がけで戦うなんて。どうしてデルフィランズ様は、こんなにたくさんの人に心配されているのにも関わらず、その心配を受け入れないのだろう。
ーーーもしかして彼が自分自身、いつ死んでも構わないと思っているのでないか。
だが、この人にその問いかけをして『そうだ』と言われてしまったら、私はどうしたらいいのだろう。急に怖くなって、私はその考えを振り払う。
「···失礼します」
「っ!?」
背伸びをして、彼の額に触れると驚くほどに熱かった。こんな状態で睡眠不足も重なっているなら、いつ倒れてもおかしくないはずなのに。
「デルフィランズ様。熱があります。···このままでは倒れてしまいますから、お休み下さい」
「···俺も休みたいとは思うが。あの女がいるこの状態で、まともに寝れると思うか?」
寝ている間に何をされるか分かったもんじゃない、と彼が溜息をつく。確かに彼女なら何をするか分からないと私も身を持って知った所だ。だったらせめて、少しでも身体を休める場所を提供したかった。
「なら、私の部屋を使って下さい」
「君の?」
「あの部屋なら彼女は分からないでしょうし、なによりそこにデルフィランズ様がいるとは思わないはずですから」
「いやまあ、確かにそうかもしれないが···休むために女性の部屋に入るのは少し気が引けるな」
彼の性格上、なんとなくそう言われる気はしていた。だがこちらも簡単に譲るわけにはいかなかった。
ーーーだってここでそうですか、と言ったらきっと彼は休まないから。
「···か、ら」
「?」
「お願い、ですから。ご自分の体をもっと大切にして下さい···」
声が、震えた。
怖さなんて振り払ったはずなのに、断られるかも知れないと思うと酷く怖くて。彼が、いつ死んでも構わないと思っているようで。
どうか、と願ったそれが通じたのか、やがてデルフィランズ様からは折れたような気配がした。
「······分かった。少しだけ部屋を借りてもいいか?」
「は、はい!勿論です」
「俺なんかのことで心配させてすまないな。玄関から入ると見つかる可能性があるから、見張り塔の方から入ろう」
「わかりました」
見張り塔から3階へと続くのは見張り塔から伸びている塀の上にある通路だ。出口は前に案内してもらった、魔物の侵入を防ぐ扉の所。通路は所々壊れており、戦闘の傷跡があちこちに見て取れた。ふと視線を上げれば見えるのは、魔物達が住む暗い森。20年前までは、時折魔物が出てくる程度で人への被害はなかったのだと言う。変わってしまったのは、現王がこの危険な森を焼き払えと命じてここに火を放ってから。
ーーーどうして20年前、国王はこの森を焼き払おうとしたのだろうか。
ざわり、と風が吹いて黒い森が揺れる。答えが返ってくるわけでもなく、ただただ森はそこに佇んでいた。
「今扉を開けるから、少し待っていてくれ」
「は、はい」
声をかけられ、物思いから帰ってきた私は開かれた扉の中へと入った。思わず私は例の彼女がいないかどうかを探してしまう。部屋に入る所を見られたらここまで見つからないように来た意味が無いからだ。
だがどうやら杞憂だったようで、誰ともすれ違うこともないまま私達は自室の前へと辿り着いた。
「どうぞ、お入り下さい」
中へと入り、暖炉の前で手を叩いて火をつける。彼をベッドへと誘導して、強制的に布団をかけた。
「分かった、そこまでしなくてもちゃんと寝るから」
「···本当ですか?」
「ここまでしてもらったんだ。ありがたく使わせてもらうよ」
「はい。何かあれば呼んでくださいね」
「何か···」
そこまで言うと、なぜか彼は少しだけ悩むような様子を見せる。どうかしましたか?とこちらが問いかける前に向こうから反応があった。
「···ヴェリア嬢」
「はい?」
「子守歌は得意か?」
「子守歌、ですか?得意、と言うほどではありませんが···もし良ければ歌いましょうか」
「···頼んでもいいか?」
「構いませんよ。うるさかったら止めますので、教えてくださいね」
まさか子守歌を頼まれるとは思わず、少し驚きながらも子守歌を歌うために椅子に腰掛けて姿勢を正した。
(歌うのなんて、いつぶりかしら。上手に歌えるといいけれど)
すぅ、と息を吸って思いを込めて歌を歌う。どうか、デルフィランズ様が少しでも休めるようにと。あまりうるさくならないようにと控えめな声で歌われた子守歌は、彼にどう聞こえただろうか。
(···改めて考えてみると、とても気恥ずかしいことをしてしまったわ)
自分のベッドに、デルフィランズ様が寝ているなんて。ただの心配からきた考えだったのだが、思ったよりも大胆なことをしてしまった気がする。
(···歌に集中しよう)
よほどくたびれていたのか、歌い始めてからすぐに彼の穏やかな寝息が聞こえてきた。
「お休みなさい、デルフィランズ様」
どうか、良い夢を。




