47.自覚した恋心
「···書類、集めないと」
ぼうっとしていても仕方がないと我に帰って散らばってしまった書類を拾い集めようと床にしゃがみ込むと、ズキズキと身体のあちこちが痛む。先程踏み付けられた手の甲を見ると、血が流れて腫れ上がっていた。痛みに顔をしかめそうになるが、なんとかこらえて書類を拾い上げていく。
(···集めたら、1度ポーションを使いにいかなきゃ。フィンを心配させたらいけないもの)
幸いにもデルフィランズ様はまだ帰ってきていなかったようだ。先程の頭が痛くなるような会話を聞かれていなくてよかったと思いながら床に落ちていた最後の1枚に手を伸ばそうとすると、それはさっと誰かに拾われてしまった。そのままつられるような形で上を見上げた先にいたのは。
「···ルードルフ様?」
「その手の傷···」
「え、これはその···」
「いや、理由はいい。とにかく治療する」
彼は私の持っていた書類を全て持っていくと、1度執務室の中へと入り放り投げる勢いでそれらを机に置いた。いつもデルフィランズ様が座っている椅子に座るよう促され、言われるがままに腰掛ける。
「染みるかもしれないが、我慢してくれ」
そう言って、彼は慎重な手付きでポーションを私の手にかけていくと、ポタリポタリと緑の液体が手を伝い床へと落ちていった。じわじわと這い上がってくるような痛みを堪えていると、少しずつ傷口の痛みが引いていく。
傷が癒えたのを確認した後、ずっと俯いたままだった彼が口を開いた。
「···この傷、あの女だろ?」
「え?」
まさか見られていたのか、と思うがあの場には誰もいなかったように思える。それに彼が来たのは、彼女が去ってから少し時間が立ってからのことだったし、見られていたとは考えにくかった。
「ヴェリア嬢、グロリアーナに会ったんだろ?···守れなくて悪い」
「いえ、ルードルフ様に謝ってもらうことではありません」
私がそういうと、こちらを見た明るいオレンジ色の瞳と目があった。だがいつも明るい彼の瞳は、どこか曇っていて。
「···うまく、いかねぇな」
ぽつりと、まるで独り言のように彼はそう呟くと再び私の手の甲へと視線を落とした。もう痛みも傷もほとんどないのに、まだそこに生々しい傷があるかのような目をして。
「あの女がここに来ることはわかってたんだ。だからできる限り早く来たんだが···遅かった」
「来るのは午後からだと聞いていたので···私も迂闊でした」
「···やっぱり間に合わなかった」
そのどこか悔やむような口調に私は少し違和感を覚えた。
「やっぱり、とはどういうことでしょうか?彼女がここに来ることも分かっていたのですか?」
「まぁ、あの女は毎回ここにしか来ないから。グレンにしか興味がないし、他の奴らの相手もしないし。言い方が悪かったか、別に変な意味じゃないんだ。悪い」
「そうですか」
「何はともあれ、ヴェリア嬢は悪くない。確かに元から午後の予定だったんだ。まぁ、今の時間は午前10時なわけだが」
「どうして早まったのでしょうか?」
「ん?あぁ、おそらくだけどグロリアーナのいつもの我儘じゃないか?あの女、癇癪を起こすとめちゃくちゃ面倒くさいからな。意味わからん方向に考えを広げてそもそも会話にならねー事も多いし」
会話にならない。そう言われて私は先程の会話になっていない話を思い出した。
ーーー婚約者と言ってもどうせ名ばかりでしょう?家名で呼んでるぐらいだものね。
確かに私は彼のことを家名で呼んでいる。本来ならば名前で呼んだっていい立場のはずなのに。
(···多くを望んではいけないと思っていたから)
ーーーどうせまだグレンと寝たことないんでしょうからそっちはアタシに任せると良いわ。プロだから少なくともアナタよりは良い思いをさせてあげられるだろうし。
そこまで思い返して、アナタよりは良い思いをさせてあげられるとは一体なんなのだ。その道のプロなのは分かるが、少なくとも婚約者に向かって堂々と言う言葉ではない。
(どうして、デルフィランズ様があの人とそういうことをすることが前提なの)
そう、そもそもそれがおかしいのだ。もしも彼がそれを望んだとしても、それでも嫌だと感じるのだから。
ーーーアナタが出来ないことをアタシが変わりにしてあげるって言ってるの。こんななにもできない生娘じゃグレンが可哀想だわ。アタシはグレンの為なら愛人でも別に構わないし。
その言葉を思い出せば。
酷く、胸がささくれだった。
「···ヴェリア嬢?」
「···いえ。先程の会話を思い出していたのですが···確かになんだか不思議な解釈をして会話をしていましたね」
不思議な解釈というか、わざわざそれを、それも彼の婚約者の前で言うことではないだろう事を次々と話していたのだ。本来ならば激怒するところなのだろうが、言われたことのない単語ばかりで頭が追いつかず、何も言い返せなかったが。
(愛人でも構わないと言っていたわ)
確かに妃が男児を設けられなかった場合は2番目の妃を求められる場合もあるが、それは王族に限っての話であり、一般の国民にはそんなことは浸透していないはず。
どうにもならないほどにふつふつと、今までに感じたことのない感情が湧き上がってくる。確かに男性に触れられるだけで怯えてしまうこの体では子供など作れるかわからない。
だが、それでも。
(···私がいる前で堂々と彼とそういうことをすると、その上愛人でも良いだなんて)
浮かんできた感情は、怒りだ。
デルフィランズ様を取られたくない。そう思う私はきっともう、彼に惹かれているのだろう。
(この気持ちをデルフィランズ様に受け入れてもらえるかは分からないけれど、婚約者であることを認めてもらえたのだから)
その先も認めてもらえるように、自分がまずは努力しなくてはいけない。
「あいつに何か酷い事を言われなかったか?」
「···いえ。なんだかあまり会話にならなかったので」
「···そうだよな。すまん、アイツとは会話にならないってさっき言ったばかりだったわ」
「···ルードルフ様」
「ん?どうした?」
「私、負けません」
「···え?」
私が言ったその言葉にオレンジ色の瞳が見開かれ、何度か瞬きを繰り返す。
社交界やお茶会は、よく白鳥と似ていると言われていた。表向きは華やかなものだが、水面下ではとても醜い争いやさまざまな努力をしている事。
ーーーそれはまさに、白鳥のようだと。
弱気なままではいけない。この程度の修羅場ならいくらでも潜り抜けてきたはずだ。ここまで露骨なまでに暴力的で、会話が通じない相手は初めてだが、この程度で負けるわけにはいかないのだ。
「···さっきは、圧倒されてしまって情けない態度になってしまいましたが、今度は蹴落とされる事なく渡り合ってみせます」
(私は、彼に見合う人になりたい)
そう思ってしまうのは、デルフィランズ様のことが好きだとーーーきっと、自覚してしまったからなのだろう。




