44.白いクリームビチェノ
「テオ」
「···なんでしょうか、マリアナ様。本日のご予定はルーク様のお見舞いでしたが」
「あぁ、あぁ、そうだったわね。後で支度をして行くわ。行かないと···それよりも答えてほしいことがあるの」
「···なんでしょうか」
ーーーマリアナの様子がおかしい。
俺は直感的にそれを感じ取り、なるべく疑われないように女の様子を伺った。いつもの覇気は感じられず、ドロリと濁った虚ろな珊瑚色の瞳は何も映していないように見える。
(突然なんだ。殿下と喧嘩したと言っていたが、ついにおかしくなったのか)
どうやら殿下が他の女の名前を呼んだのだと聞いた。嫉妬か、それとも執着に近い何かか。そんな事を考えていると、虚ろな瞳がこちらを向き、早口にその赤い唇が開いた。
「どこかに腕のいい情報屋はいないのかしら。あぁ、使えるのならハイシャドウがいいけどまだ駄目よね」
「······?」
(ハイシャドウ?)
聞いたことがない言葉だ。だがその言葉は俺に問いかけたというよりも独り言に近いものだったのか、毒々しい紫に染められた爪を噛み切りながら女は目をそらした。
「そうよね···あぁ、侍女を呼んで。ルーク様に会いに行かなきゃ行けないから」
「分かりました」
「赤い花、だったかしら···」
「赤い花ですか?」
「でも御見舞だし、ルーク様には白が似合うわよね···」
どうやらこちらの話は耳に入っていないらしく、赤い花がどうこうとうわ言を呟いている。
それよりもこの女がハイシャドウと口にした、耳慣れない存在。
ーーー調べてみる価値はありそうだ。
俺はそんな事を思いながら、侍女を呼ぶために部屋を後にした。
あの後、かなりの時間をかけいつもの身支度をしたマリアナは少し落ち着きを取り戻しているようだった。
先程までの虚ろな瞳ではなく、毳々しいメイクをされた女はいつも以上に豪華に仕立て上げられている。
だが本来はこの女の横に立っていたはずの殿下の姿はなく、マリアナは一人でルーク様の部屋へと向かっていた。いつもなら殿下にべったりだったマリアナが、今は顔を見たくないと拒否したのだという。
そんな変化に気味の悪さを感じながら、俺は城の奥まった所にある1つの部屋の前に辿り着き足を止めた。
「こちらです」
「案内ありがとう、テオ」
花をもった女が扉の前に立ち、コンコンと軽いノック音が響く。それと同時に女の手の中にある淡いクリーム色のバラや、白い小さな花が混ざった小さな花束がかさりと音を立てた。
「どうぞ」
「失礼します」
扉を開けた先の部屋の中央には、大きなベッドが置いてあった。
金色の髪に、赤い瞳。全体的に線が細く、凛々しいと言うよりは繊細でどこか儚げな顔立ちは王妃に似たのか、殿下にあまり似ていない。
(···アリス様もよく通われていたが、ルーク様はアリス様には心を開いているように見えた。···今はどうだか分からないが)
果たしてルーク様はどちら側の人間なのだろうと気になったが、殿下やこの女側に着くのならばルーク様も敵だと気を改めながら息を殺す。
本来なら主が王族と話す場合は、護衛騎士でもその場に立ち会うことはできないのだが、ルーク様は元から体が弱い為に護衛騎士が同じ部屋にいることを特別に許可されていた。
表向きは何かあったときにルーク様を1人でも守る人が多い方が良いという判断からだが、本当は何かがあった時に見舞客まで狙われて殺されると処理が面倒だからという理由からだ。護衛騎士を入れていれば、巻き込まれて死んだ場合に護衛騎士が守りきれなかったからという言い訳が効くのだろう。
「始めまして。ルーカス様の新しい婚約者となりました、マリアナ・リーディアスと申します」
「うん、始めまして。ルーク・ロスレンブライドです」
「ルーカス様と一緒に来る予定でしたが、お仕事が入ってしまったらしくて私1人でのご挨拶になってしまいましたの。ルーク様、今日の体調はいかがですか?」
「今日の体調は良いみたい。ずっと挨拶したかったんだけど、なかなか会えなくてごめんね」
「いえ、ルーク様の体調が1番ですもの。こちら、お花なのですけれど···綺麗に咲いていたので、ルーク様がお好きかと思って持ってきてみました。赤もあったのですけど、お見舞いですし、何よりルーク様には白が似合うと思って。飾っていただけたら嬉しいですわ」
「ふふっ、クリームビチェノか。素敵な花をありがとう。そういえば、ルーカス兄様と喧嘩をしたと聞いたけれど。仲直りはできたの?」
「あ、あら。お恥ずかしい話を···はい、もう大丈夫です」
「それは良かった。結婚式とか、戴冠式もあるしルーカス兄様もピリピリしていたのかも。ルーカス兄様も気難しいところもあるでしょう?義姉様は何か困ったことはない?」
「!」
「あ···まだ結婚していないんだし、義姉様って呼び方は嫌だったかな?」
「嫌だなんて、そんな。なんだか家族になれたみたいで嬉しいです!私、ルーク様には好かれないだろうと思っていましたから」
その呼び方に気を良くしたのか、マリアナの表情が緩む。
「どうして?」
そう言って心底不思議そうに首を傾げたルークに、それは、と言いにくそうに口を開いた。
「その···ルーク様はアリスと仲が良かったとお話を聞いていたので。命を狙われたとはいえ、彼女の立場を奪ってしまった私では好かれることはないと思っていました」
「彼女は人の命を奪うようなことをしたんでしょう?そんな恐ろしいことをしたなら、残念だけど仕方がないよ」
「···ルーク様···」
「それに、今はもういない人のことよりも義姉様の方が心配だよ。悪い夢は見たりしない?」
「はい。ルーカス様が側にいてくれますから」
「それなら良かった。···お仕事も覚えることがたくさんあって大変でしょう?無理はしないでね」
「えぇ、そうします。ルーカス様の隣に立てるよう、精一杯努力しますわ」
「ふふっ、頑張り屋さんなんだね。じゃあこれからは義姉様って呼ばせてもらうね。何かあったら僕で良ければ相談に乗るから、また来てくれると嬉しいな」
まるでアリス様のことなどすっかり忘れてこの女に擦り寄ろうとしているようにも見える態度に、少し甘えたような柔らかい声色。
「ルーク様···。ありがとうございます」
「こちらこそ。綺麗な花をありがとう」
その時、俺はおそらくルーク様は敵ではないと悟った。にこりと嗤ったその赤い瞳は、アリス様の時には1度も見たことがなかった、明らかに作られたと分かる酷く綺麗な笑みを浮かべていたから。
「お話中すみません、マリアナ様。ルーカス殿下がお呼びです」
「え···?」
「ふふ、焼きもちやきだなぁ、ルーカス兄様は。早く行ってあげて?」
「え、えぇ。それではルーク様、失礼します」
伝言を伝えに来た侍女に連れられ、マリアナが早足で去っていく。それに習って部屋を出ていこうとしたとき、ルーク様から呼び止められた。
「ねぇ、ランカステル家の次男くん」
「···ルーク様。いつも思いますが、その独特の呼び方は止めていただけますか?」
「ふふ、ごめんごめん。なんだか呼びやすくて、この呼び方気に入ってるんだ。それより時間もないし、本題に入っていい?」
やはり、先程の侍女の話は嘘だったのか。なんとなくそんな気がしていたが、あの後どうするつもりなのだろう。この方のことだから、何かしら考えてはいるだろうが。
「君はアリス姉様を探しているのかな」
「···あの御方は亡くなりました」
「彼女は海に身を投げて死んだ。表向きはそうだろう。でも本当に、それだけの情報でアリス姉様が亡くなったと本気で思っているの?」
「···」
「あれと兄なんかに侮辱されたままでいいの?君はアリス姉様の護衛騎士だったのに、主の疑いを晴らさないつもり?」
「っ、そんな訳···!」
「そうだろう?最近はあの女が勉強すら放り投げて何かにご執着だと聞いたけど、それは兄が口走ったとかいう女の事なのかな?」
「耳がお早いことで」
「こんな体だけどね。僕のかわりの目と耳はどこにでもいるから。でも困ったことになぜか、その口走ったという名前が分からないんだよ。ランカステル家の次男君は知っている?」
「知りません」
「そっかぁ、君でも分からないのか···なんでもいいんだ、あの女についての情報が欲しいんだけど何か知らない?君しか知らない情報もあると思うんだけど」
「そうは言っても、ルーク様以上の情報など···」
そういいかけて、ふと先程のあの女の言葉を思い出した。
「···ハイシャドウ」
「うん?」
「その口走った女を探すために情報屋が知りたいと。ハイシャドウを使いたいとも言っていました」
「···へぇ?」
酷く面白そうに、ルーク様の表情がころりと変わる。
「そっか、あの女はハイシャドウを知ってるんだ?」
「···ルーク様?」
「よしわかった。僕もできる限り君に協力しよう。君はアリス姉様を探しているんだろう?どこに行ったのかは分からないけれど、色々と探らせてみれば何か出てくるはずだから、まずはあの女から丸め込もうか。ランカステル家の次男君も一緒に協力してくれると嬉しいな」
それは協力というより、もはや脅しだと思いつつ、味方ができたことに少しだけ安堵する。
(···この人だけは正直なところ、敵に回したくはなかったからな)
「分かりました」
「うん、いい返事だ。···ねぇ、ランカステル家の次男君。花言葉には詳しい?」
「いえ、残念ながら有名なものしか知らないですね」
「そっかぁ。花には必ず花言葉があるから、君も覚えておいたほうが良いよ。じゃないと相手に対する宣戦布告になってしまうこともあるから」
「···その送られた白い花ですか?」
「察しがいいね、正解だ」
手にした花束を眺めながら、ルーク様がそう呟く。
「あの女は赤もあったけど、白の方が僕に似合うと言ったね。アリス姉様は何色を持ってきてくれていたか覚えている?」
「···赤、だったような気がします」
「そう、正解。アリス姉様はいつも赤を持ってきてくれた。赤いクリームビチェノには、派手な外見には似合わず『あなたを気にかけています』『祈り』っていう、御見舞にはぴったりな花言葉があるから。でもね」
そのままゆるりと手を上げて白い薔薇によく似た花を1本だけ抜き出すと、彼は唐突にグシャリと花を握り潰した。病的なまでに白い彼の手には血管が浮き上がり、はらり、はらりと白い花弁が床に舞い落ちていく。
「白いクリームビチェノにはね、『愚か』『傲慢』なんて花言葉があるんだ。あははっ、アリス姉様に手を出した罪は重いよ?···傲慢で、愚かなのはどっちなのかあの女に思い知らせてやるよ」
心の奥底から出たような冷え切った声は、それだけで人を刺し殺してしまえそうな声色。先程まで作り物の酷く美しい笑みを浮かべていた瞳はいつの間にか色を変え、底しれない怒りを孕んだ緋色に変わっていた。




