43.御守りの刺繍
ふいにさらり、と髪の毛が頬をくすぐった。その色は見慣れた銀色ではなく、濃い茶色のウェーブがゆるくかかったもの。
さらさらとしたそれは、私の本来の色である銀色の髪の変わりに揺れている。
まったくの別人のようなその髪をほんの少しだけつまんで手触りを確かめるが、どう見ても本物の髪の毛にしか見えなかった。ちなみに触り心地も本物によく似ている。
覗き込んだ鏡の中の自分は、濃茶のウェーブがかった髪をして、いつもの薄い青色の瞳をしていた。
「···やっぱり、見慣れないな」
パタパタと動かしていた手を止めると、鏡の中の自分も同じように動きを止める。
当たり前のことなのだが、やはり何度見ても不思議な感覚だ。
「これは魔物の毛で作られていると聞いたけど···本当に凄いわ。別人みたい」
化粧をする手を止め、ガラスの小瓶を手に取り目にさす。パチリ、と瞬きをして再び鏡を覗き込むと、瞳は薄いピンク色に染まっていた。
「···」
この色を見るとどうしてもマリアナの事を思い出してしまうが、なんとか頭から追い出して眼から溢れた目薬を拭う。
この数週間の間、仕事が始まったあたりからこのヴィックと呼ばれるものと目薬を使用して働いてほしいという要望があった為に、私はこんな風に変装をして働いていた。
魔物は、死んでしまうと消えてしまう。だからこそ、研究もできず生態系の調査も進まない。それなのになぜ、ウラムケープやウィッグは消えないのか。その理由は、生きている魔物から刈り取っているから。
魔物が生きている状態だと素材は消えず、一度加工してしまえば刈り取った先の魔物が死んでしまっても、ずっと残り続けるのだという。
ちなみに素材のまま置いておくと時折消えることもあるのだと、モリーさんやフィンから教えてもらった。
この素材になっている魔物は、シェラトンという名前なのだという。人間の髪のようなしなやかな毛を持っており、ぱっと見た感じ髪の毛の塊が動いているように見えるらしく、人によっては酷く恐怖感を覚えるらしい。
ただあまり攻撃性はなく、毛を刈ってあげると眼の前が見えることに感動を覚えるのかむしろ喜ぶとのことで、人間に友好的なのだそうだ。
1度だけ見せてもらったが、確かに毛刈り前は長い髪の毛の塊がもそもそと動いているようにしか見えず、これを暗がりで見たらさぞ驚くだろうと思ってしまった。
そして私がこんなふうに変装をしている理由は、1週間後にくる王家からの監視を欺く為だ。私の見た目が突然変われば皆が驚くだろうし、慣れるために少し早めに変装して見慣れてもらおうという事らしい。
会う人会う人に綺麗ですね!と褒められるため、どうやら全然似合っていないわけではないようだ。
そして変装をしている肝心の理由として、3年に1度、王家からの監視役が来るらしくそれが今年に当たっているのだという。
···正直、怖くないといえば嘘になってしまうだろう。
(もしも、見つかってしまったら?)
その話を聞いた時、本当は怖くてたまらなかった。王家からの監視だとすれば、見つかってしまったら私はきっと連れ戻され、今度こそ殺されてしまうのだろう。
ーーー死にたくない。せっかく、私を受け入れてくれる場所ができたのに。
この優しい場所を、奪われたくなかった。
そんな風に始めてできた欲というものに驚きながら、私は見つからないように変装すると決めた。今までに1度も断りを入れたことのない監視を断れば必ず疑われる事は分かっていたから。
(なら、私がバレないように振る舞えば良い)
極力部屋に籠もっているのはどうかとも言われたが、それでは余計な疑いを抱かせる可能性がある。
(···大丈夫よ。それよりも、まずは今日のお仕事に集中しなきゃ)
改めて鏡を見返し、自分の淡いピンク色に染まった瞳を見つめ返す。私は時間を確認して椅子から立ち上がると、部屋の扉を開けたのだった。
デルフィランズ様からお仕事をもらって以来、私はフィンの元で様々な仕事をさせてもらっていた。
事務方の仕事だったり、料理係だったり。裁縫のお仕事もしているらしく、日々転々と仕事を変えながら働く事、早数週間が経とうとしている。
(最初はできるか不安だったけど、出来てよかったわ)
様々な業務はどれもやりがいがあり、少しは力に慣れているのだという実感も湧いてきて。転々としているため覚えた頃には新しい仕事が来るのがなかなか大変だったが、今ではなんとかこなすことができていた。
そして現在、目の前には布や針、そして色とりどりの鮮やかな刺繍糸が並んでいる。私はその中から深い紫苑の刺繍糸を針に通し、黙々と刺繍を刺していた。
今刺しているのは、前にフィンに教えてもらったお守りの刺繍だ。本人に好みのものがあれば図案の原案になるイラストを持ってきてもらうこともあるという。
名前さえ入っていれば、装飾で本人を感じさせるものを縫う人もいるとの事だったので、デルフィランズ様の使用している剣をモデルにしたものを図案に起こしたものだ。
だが、本人がいない時は当然剣もない。
だからこれは彼が執務している時にお願いして、執務室に置かれた剣とにらめっこしながら図案を考えさせてもらったものだ。
床に座り込み、じっと立てかけられた剣を身ながらスケッチしている様子はなんともおかしな光景だっただろう。
装飾はほぼなく、とてもシンプルな作りのその剣は、刃こぼれ一つ無い。
今までの戦いの中でも何本も折れているらしく、これが何本目の剣なのかは覚えていないという。
デルフィランズ様は、この剣は魔物を斬っているからと私が触ることを躊躇していたけれど、どんな重さと覚悟を持って戦っているのかをほんの少しだけでも知りたくて。少しだけ触らせてもらったそれは、とても重たい剣だった。
(あんなに重たい物を振るっているだなんて。私には持つことさえ難しい物なのに)
ずっしりとした質量のある剣はとても長く、刃に触れれば皮膚など簡単に切れてしまいそうな物だった。
そんな事を思い返しながら最後の箇所を刺し終え、プツリと鋏で糸を切る。
「···できた」
「見せて見せて!わぁ、アリシアちゃんってば器用ね!上手にできてるわー!」
フィンはそう言ってぱっと明るい笑顔を見せてくれたが、自分が刺した刺繍は納得がいくものではなかった。
「久しぶりに刺繍をしたので、少し歪んでしまいました···」
手元にある刺繍を見ながら、少しばかり落ち込む。しばらく刺繍をしていなかったせいか、とても下手になっている気がする。
せっかくなのだからもっと綺麗に刺したかったと思いながら、その刺繍を終えた。
「え、そう?私には全然どこが歪んでいるのかわからないけれど···アリシアちゃんって意外と完璧主義なのかしら?」
「いえ、完璧主義というわけではないです。ただその···もっと丁寧にできたのではないかと」
「···それは、グレン隊長が着るから?」
「え?えぇ、そうです。あ、もちろん他の方でも丁寧にとは思うのですが」
「うんうん」
「···その···刺繍で喜んでもらえた事が無いので、余計に自信がなくて」
「え?喜んでもらえたことがないの?こんなに綺麗な刺繍なのに···?」
少し驚いたように、フィンのラズベリー色の瞳が見開かれる。
「こんなに上手なら、これだけでも食べていけそうだけど」
「そんなことありませんよ。昔作ったものは、こんなものを持つのは恥ずかしいと目の前で捨てられてしまって」
「はぁっ!?どういうことよそれ!?」
「私の刺繍が下手だったからだと思います。始めて刺したものでしたから、なんだかよくわからない模様になっていたのは確かでしたし···」
「だからといって人からもらったものを目の前で捨てるのなんて論外よ!アリシアちゃんが気持ちを込めて刺したものを···!」
気持ちを込めて刺したもの。
(そうよね、あの頃はきっと浮かれていたんだわ)
一目惚れした、僕のアリシア、などと呼ばれて。
嬉しくなって、何か殿下にプレゼントをと思い先生に教えてもらいながら必死に刺繍をした。
まだまだ下手で、指もボロボロになりながらさしたそれを渡したら、殿下は酷く驚いた顔をした。
そしてなぜか、酷く苛立った表情を見せて。
「···これは、なんだ?」
「刺繍、です。殿下のためにお作りしました」
喜んで貰えると思って、幼いなりに作ったそれは。目の前で、ゴミ箱へと投げ捨てられた。
「···え?」
「アリシアはもっと刺繍が上手いんだ」
「···殿、下?」
「なのになんだ、これは?君はこんな出来損ないのゴミを僕に渡すつもりだったのか?」
(ゴ、ミ?)
何日もかけて構図から考えたそれは、たしかに綺麗とは言い難いかもしれない。
でもそれは確かに、殿下に喜んでもらおうとした気持ちがたくさん詰まっていた。彼の笑顔が見たかっただけなのに。
ーーーなぜ私は、殿下を苛立たせてしまっているのだろう?
「もっと上手くなれ。アリシアはもっと刺繍が上手いはずだろう?」
「···」
「返事は?」
「···申し訳、ありません···」
「僕が満足するまで作り直せ。アリシアはもっと刺繍が上手くないといけないんだから」
「···分かりました」
(···どうして、彼はあんなに苛立っていたのだろう)
まるで、アリシアという名前の人が存在しているかのように。
「というか、誰なのよそのハンカチを捨てた野郎は!!」
「幼い頃の話ですので。それに、本当に上手ではなかったですから。···フィン。怒ってくれて、ありがとうございます」
「当たり前じゃないの!というかアリシアちゃんはもっと怒るべきよ!」
「そんなことも昔ありましたから。今回は着て貰えると分かっているのですから···綺麗な刺繍をしたいと思ったのです」
きっと誰だって適当なものよりも丁寧なものの方が良いに違いないけれど。それでも、もっと綺麗に、丁寧に刺繍をしたかった。
これが最前線で魔物と戦うデルフィランズ様のお守りになるのなら、なおさらもっと。
(···もっと?)
どうしてそう思うのか。
今まで、そんなことを思ったことはなかったというのに。
「···そっか。なるほどね?」
「え、何がなるほどなのですか?」
「いえいえ、なんでもないわ。ふふっ、大丈夫。自信を持って?羨ましいくらいに綺麗にできてるから!」
「フィン···ありがとうございます」
「次の刺繍が終わったらお昼ご飯に行きましょうか。二人でやると早くて助かるわ!」
「はい」
次はもっと、丁寧に縫おう。そんなことを思いながら私は、次の服に手を付けた。




