41.祈りとお墓
ぱらり、と書類を捲る音。時折何かを書き込む音や、判子を押す音を聞きながら私は黙々と要望書に目を通していた。
(デルフィランズ様は、どうやってこの量を一人で捌いていたのかしら。他の方に差し出せばそれですむもの、そんなに難しくないものもあると言っても、準備に実行までしていたらどれだけ時間が足りないと思うのだけれど···)
一言に要望書と言っても、実に様々な要望があった。
凍傷などの予防を教えてほしいというものや、設備不良や修繕の訴え。料理にこういったものが欲しい、という要望までかなり多岐にわたっていた。
この要望の数々は一旦デルフィランズ様の元に集められ、それぞれの専門職に割り振れるところはそれぞれに渡してなんとも言えないものはデルフィランズ様が対応していたのだという。だがしかし、このやり方では。
(···効率が良くないわ)
思わずそんなことを思ってしまった。それに、デルフィランズ様に対する負担が大きすぎる。
だったらそれぞれの部署に対応する箱を作り、投函者自身が箱に入れていく方が良いのではないだろうか。
たとえば食品関係ならキッチン関係者へ。予防や対処法、ポーション関係なら医療関係者へ。衣服関係なら職人さんへ。
もちろんわかりやすく例も書いた上で、どこに当てはまるのかを自分で見極めてもらったほうが良いのではないだろうか。
(でもたぶん、投函者も要望書の内容によってはいまいちどこの部署が対応するのかよくわからないこともあるはず。ならその他の箱も作ってそれだけここに持ってきたほうが良いかもしれない)
「あの、デルフィランズ様」
「ん?どうした」
「この要望書なのですが、なぜ全てここに集まっているのでしょうか?何か理由があるのですか?」
「理由か···ここに来た当時、隊が1枚岩ではないのはわかっていたから、少しでも内部での衝突や摩擦を減らすために意見箱を設置したんだ」
「それでここに···」
「あぁ。書く内容はどんな些細なことでも構わないと言ったせいか、最初は意見というより対処しようがない愚痴のようなものばかりだったが、そんな愚痴も聞いた上で対策をとったり声を聞いて、環境を変えていく努力をした。そしたら、自分達の意見が反映されるのだと分かった為か少しずつ書かれる内容も変わり始めたんだ」
自分達の意見が反映されると分かったから、書く内容が変わった。
デルフィランズ様はなんでもないことのように話しているが、それをその当時、何もかもが手探りだった頃にそこまで努力していたというのは、想像を絶するほどに困難な事だっただろう。
「気が付いたら形式的な要望書ができ、今はこうなっている。ここに集まるのは昔からそうだったからその名残で集まっている、としか言いようがないな」
「···そうでしたか。大変な苦労をされたのですね」
「そんなことはない。来た当時は、俺も分からないことばかりだったからな。むしろ意見をもらえるほうが助かってたところもあるくらいだ」
「それは、人はそれぞれ価値観や物の見方が違うからでしょうか?」
「あぁ。強い武器や防具を望むものもいれば、食が悪ければやる気も出ないと言う者もいる。病気の予防策や衛生面を心配する者もいた。寒さに凍え、温かさを優先する者も。気がつくことも、感じ方も千差万別だ」
デルフィランズ様のような柔軟な考えは、できない人もいる。きっと、その考え自体を理解できない人もいるだろう。
「譲れない願いも何もかもが違う者が集まって1つの集団を作っているのだから、当然お互いに譲り合わなければいけないところもあるだろう。だが、譲り合わなければいけないと言っても、何もかもが節制された場所では誰も生活などしたくないだろう?」
だが、この考え方をする人がいたからこそ。
(今この砦にいる隊員の方は、デルフィランズ様を慕っているのね)
「だから、何か1つでも自分が良しとすることがあれば協調性を守ろうとする意志が出てくると思ったんだ。あの頃の隊の存続には、皆の意見が必要だった。自分1人で考えていては、どうしても気がつくことに限界があるからな」
(デルフィランズ様は、『集団で生活をする』というものがどうすればうまくいくのかをよく分かっているのだわ。それの名残だから未だにここに要望書が集まるのね)
「デルフィランズ様は、そうやって今の隊の形を作られていったのですね」
「そうだな。ところで、その要望書がどうかしたか?」
「···いえ、要望書自体はとても素晴らしいものだと思います。ですが、全ての要望書をここに集めて、更に部署ごとに分けて分配して···というのは効率が良くないかと」
「効率が良くない?」
「はい。今までは分配されるのもデルフィランズ様が全てお一人でやられていたのてすよね?まさかとは思いますが、配達までしていたとかは···」
「いや、さすがに配達は事務方の職員がしていた。たまに手が空いたら俺もやっていたが」
「デルフィランズ様もされていたのですか!?」
「いやまぁ、いつもじゃない。たまにだ」
まさかとは思ったが、やはりやっていたこともあるようだ。分別した上に、それぞれの部署へとわざわざ足を運んでいただなんて。
(本当に、このままではデルフィランズ様の仕事量が多すぎて倒れてしまうわ)
それに、このままでは何のために事務の仕事をする方がいるのか分からなくなってしまう。
実際に話を聞いてみたところ、事務の仕事が無さすぎて事務の職員全員が他の仕事と掛け持ちをしているのだと靴擦れをしてあまり動くことができなかった時にフィンから聞いたのを思い出した。
「え、事務の仕事の内容?グレン隊長が帰ってこないと基本的に無いわよ」
「そ、そうなのですか?」
「そうなのよー。基本的に書類が隊長の部屋で止まってるからね」
「取りに行ってはいけないのですか?」
「···うん、さすがに今は取りに行けるわ。私は取りに行ってやれることはやってるし。あのね、1つ恥ずかしい話をしていい?今はアリシアちゃんが書類を整理してくれてるからそれができる環境になったけど。昔は、書類で埋もれてたのよ、あの部屋」
「え?」
「隊長が出ている間は書類がたまる一方じゃない?まぁ私は書類まみれの執務室と格闘して、自分が処理できる書類という名の戦利品を持ち帰って勝手に仕事していたわけだけど、書類の仕分けなんて面倒くさーい作業をやりたがる野郎はなかなかいないわけ」
「面倒くさい作業···」
書類の仕分けが面倒くさい、というのは考えたこともなかった。必要な作業だとしか考えたことがなかったため、思わずオウム返しになってしまう。
「1ヶ月も隊長がここを離れてみなさい、するとどうなるか。埋もれるのよ。比喩じゃなくて物理的に埋まるの。一時期扉が開かないぐらいの時もあったわ」
「···そ、そんなことが?」
「でもそれじゃあさすがに隊長が帰ってきてからもまともに仕事ができないでしょうって話がまとまって、事務方の皆で少しずつ片付けることにしたの。今はご覧の通り扉が開くようになったわ」
「そんなことが···あの、昔は片付けようというお話は無かったのでしょうか?」
「あー、それはね···さっき仕事が無さすぎてって話をしたじゃない?あれはね、数年前にポーションができたから『仕事が無くなった』のよ」
「ポーション···」
患部にかければ血が止まり、簡易的な処置ができるポーション。よほど酷い怪我でなければそのまま治ってしまうこともあるのだという。
それができる前の話と聞いて私の心音はドクン、と大きく跳ねた。
当然、ポーションが存在しなかった時代だってあったはすだ。それが無かった時代は、一体どんな事が起こっていたのだろうか。
「無かった時は、どんな風に過ごされていたのですか」
「···それまでは事務方は皆救護班に回ってて、負傷者の手当や処置で手一杯だった。あの頃は、魔物の襲来も激しくてね。ポーションもなくて常に負傷者まみれで。使える部屋もなくて、廊下に蹲るようにして寝ている負傷者も多かったの」
「っ···」
フィンの想像を絶するような話に、思わず息が止まる。
「砦の一部が壊されても、修繕できる人員すらいなくて、部屋が半壊していたから···だから怪我もそうだけど、寒さで凍え死んだ人も大勢いたわ。それでも、隊長も副隊長も、自身がどれだけ傷付いても戦うことを止めなかった。傷だらけで、血塗れになっても戦い続けたの」
「······そんな、ことが···」
「そ、そんな顔しないで?暗い話してごめんなさい。そんなときに、2人がある薬草を採ってきたの」
ポーションの元になるもので、ある薬草と聞いて思い当たるものは1つだけ。
「それが、サクリア草···」
「えぇ。怪我をした魔物を追っていった先に、あの薬草を口にしたら魔物の怪我が癒えていくのを見て、もしかしたら人間にも効くんじゃないかと思ったらしいわ。そこで、その薬草からメルがポーションを作ったの。それが出来たから、負傷者は一気に減ったのよ。戦況も一気に変わって、砦もなんとか持ち直した。今は寝込んでいる方が珍しいぐらい」
「······」
「まぁそういうわけで私達の時間もできるようになって、今はもう昔みたいな執務室の惨状は見られなくなったけどね。部屋を片付けた際にお礼を言われたんだけど、もっと早くに片付ければ良かったって後悔したわ。今更すぎるかもしれないけどグレン隊長も、もっと事務方を頼ってくれていいのにって思うのよね」
ーーー昔の事、ポーションができる前の話。
だが、数年前まで確かにここは負傷者で溢れていたのだ。砦は壊されたまま放置され、傷付いた体のまま寒さに凍えながらも再び戦闘に戻らざるを得なかった人が、一体どれだけいたのだろう。
(···どれだけ、恐ろしかっただろう)
昼も夜も関係なく続く敵襲。
傷つき、消耗する体。
寒さで朦朧とする意識。
死んでいく、共に戦った仲間達。
きっと私なら、すぐに心が折れてしまうだろう。
「···そんなことも知らずに、私は生きていたんですね」
何も知らず、魔物など程遠い世界で。
彼らの犠牲の元に成り立っていた生温い平和の中で、私は今まで平然と生きていたのだ。
「···フィン。その方達の、お墓はありますか?」
「あるわ。必ずしも体が眠っているとは限らないけれどね」
「···足が治ったら、連れて行ってください」
「分かったわ、約束する。あのね、貴女は知らなくて当然よ。でも今、アリシアちゃんはこうやって聞いてくれた。知ってくれた。···亡くなった人に対して、悲しんでくれた。それだけで報われる人もきっといるから。ありがとね」
私は涙を堪えながらただただフィンから語られる話を聞いていたのだった。
その後、お墓にいって彼らの冥福を祈った。どうか、安らかにと。雪に埋もれたそのお墓には、添えられたばかりの薬草や花があちこちに置かれていた。
「······」
「ヴェリア嬢?」
「···す、すみません。少し、違うことを考えていました。その、少し前にお墓参りに行った時のことを思い出して」
「···墓参りにいってくれたのか?」
わずかにアメジストの瞳に驚きが交じる。
「はい。···私は、彼等が必死に作ってくれた平和を何も知らずに生きていました。せめて、手を合わせたくて」
「···俺も時間を見つけて行かないとな。ヴェリア嬢、感謝する」
「感謝だなんて···私は、何も知らなかったんです。ここが少し前まで、どれだけ過酷な場所だったのかも」
「でも今、君は知っているのだろう。ここで何があったのか。···それで十分だよ」
パチリ、と暖炉の火が燃える音が響く。そういえば、フィンは、この部屋は扉が開かないくらい詰まっていた時期もあったと話していた。
(フィンがこれでもかなり改善したほうだって言ってたから、きっとそうなんだろうな)
「そういえば、さっきの話に戻るが。どうしたらいいか、何かヴェリア嬢の意見があれば教えてほしい」
「は、はい。要望書の中には明らかに医療関係の方へ当てたもの、キッチン関係者へと当てたものも見受けられます。なら、最初から投函する箱を分ければいいのです」
「箱を?」
「はい。その箱は各自の場所を担当している方が決められた日に持ち帰り、各部署で対応してもらうようにしてはいかがでしょうか?もちろん投函間違いもあるでしょうから、そこは別の箱に入れ直す、もしくはその他の箱に入れていただく手間は出てくるかもしれませんが···」
このデメリットはどうしようもない。だが、それ以上のメリットもあるはずだ。
「どこにも当てはまらず、どこに投函していいのか分からないものだけをここに集めたほうが効率が良いかと思います。分けずにこちらへ送って、ここで仕分けしてから再送するよりもそれぞれの各担当へ要望書が届くのが早くなりますし」
「なるほど」
「分かりやすく例なども書いておけば、投函する際の助けになるのではないでしょうか」
「そうだな。最初から分ける、か。まったく考えもしなかった」
「昔からの名残でそうなっていたんですものね」
「あぁ。それに皆、魔物の討伐でくたびれているだろう?裏方の仕事だって、楽なものばかりではない。他の隊員に負担をかけるのも申し訳なかったんだ」
デルフィランズ様の言いたいこともわかる。自分が処理できる範囲で処理してしまえば、当然他の人の負担は軽くなるだろう。
だが、そのしわ寄せは必ずどこかへ行くはずだ。
(···それなら、デルフィランズ様は一体いつ休むの?)
常に気を張り詰めて、敵が来れば討伐に出かける。帰ってくれば休む暇もなく書類仕事に追われ、まともに食事も摂らずに少しばかりの休息をとってまたここを去っていくのだ。
ーーーその生活は、どこか昔の自分に被って見えて。
(私は魔物と戦っていたわけではなかったけれど、それでも何度も倒れそうになった)
ただ、私が弱かっただけかもしれない。彼はそんな生活を20年以上続けているのだ。
彼のことを心配するルードルフ様だって側にいたのだから、今更私なんかが言わなくても分かっているに違いない。
でも、ここにきてデルフィランズ様がどれだけ隊の方から慕われているのか。そして、それと同じだけの心配をされているのかを聞いていれば、思わず言わずにはいられなかった。
「···デルフィランズ様はもっと、他の職員の方を頼っていいと思います。隊の皆さんはデルフィランズ様のことを尊敬していますが、同時に酷く心配もされていました」
「···俺のことを?」
意外なことを聞いた、とでも言いたげにアメジストのような紫苑の瞳が瞬く。
「はい。この量を全て一人でこなしていたら、いつか体を壊してしまいます。他の方に仕事を分配するのもお仕事の内ですよ」
「···」
「デルフィランズ様?」
「···ヴェリア嬢からそんなことを言われるとはな。分かった、俺じゃなくてもできる仕事は他の人に回そう。俺ももう年だしな、昔のようにはいかないか」
そう言ってデルフィランズ様が、普段はあまり崩さない表情を崩した。
それはどこか自嘲めいた笑みだったけれど、初めて彼が笑ってくれたことに対して思わずデルフィランズ様の顔を見つめてしまう。
「どうかしたか?」
「い、いえ。なんでもありません」
もう年だ、なんて言っていたけれどデルフィランズ様のとても整った顔立ちのせいか、見た目だけでは年齢が分かりにくい。
昔の出来事から逆算して考えれば、今は40歳になったくらいだろうか。
(そうよね、私とは20歳も違うのだから。婚約者どころか、娘のような年齢の私が差し出がましいことを···)
「···すみません。出過ぎたことを言ってしまい ました」
「出過ぎたことも何も、事実だろう?ヴェリア嬢は気にしすぎだ」
「そ、そうでしょうか」
「君は俺の婚約者だ。堂々としていればいい」
するりとなんの気負いもなく彼の口から出てきたその言葉に、思わず目を見張る。
「···っ、」
ーーーデルフィランズ様は私のことを、婚約者だと思ってくれていたの?
それはあくまでも肩書だけのものだと思っていたと言うのに、彼から実際に口にされると酷く心音が跳ねた。
「···はい」
『婚約者』なんて昔から何度も聞いてきたはずの言葉のはずが、なぜデルフィランズ様が言うだけでこんなに温かみを持って聞こえるのだろう。
そんなことを不思議に思いながら、私は再び書類へと目を戻したのだった。




