40.歪みの足音
ふと目を開ける。美しい金のさらりとした髪と整った顔が目の前に広がり、どうやら抱きしめられていたようだと知った。
(ふふふ、早く起きすぎちゃったみたい。ルーカス様はこうして寝ていても本当に素敵ね。絵になるわ)
喉の乾きを感じ、そっとルーカスの側を離れて枕元の水差しから水を飲む。時計を見ると、起きるにはまだまだ早い時間だった。
(どうしよう。まだ早いけど目が覚めちゃったし···昨日の夜に書けなかった日記でも書こうかしら)
そっとベッドルームを抜け出し、机と日記が置いてある部屋へと移動する。
(昨日は楽しかったな。でも、何を食べてもテオの反応が良くないのが気になるけど)
もしかしたら、ゲームの中で知った好みとは違うものが好きなのだろうか?あれ以来、暇さえあればテオに相談という名目で軽いお茶会のようなものを繰り返し、思ったよりも順調に話ができてるのだがどうも好きなものだけは当たっていないような気がする。
(まぁ、少しくらい好みが違っててもおかしくないか。これはルーカス様のルートなんだし、テオルートとは少し違うテオの可能性もあるし。でもやっぱりファンディスクの話はいいわね。たぶん大まかなストーリーは全部見れた気がする。問題はこれがいつまで続くのか、っていうのもあるけど)
これが決められたストーリーである以上、いつか終わりがくるに違いない。ゲームをやっていない以上それがいつなのかは分からないのが問題だが、いつまでも幸せに暮らした、という文句で終わるパターンなら私の幸せは永続することが確定されているも同然だ。
私はいつも書いている日記を開きながら、ペンを手に取った。先に深い桃色のインクを付けて、今日あったことを書いていく。なんだか最近は、テオのことばかり書いている気がする。
「はぁ、羽ペンって見た目は綺麗だけどものすごく書きにくいのよね。ボールペンが恋しいわ」
マリアナから見たら昔から使っている物ではあるのだが、私の意識が移ってからは使い慣れない物である。マリアナの記憶はそのまま残っており、マナーや言葉遣いなどは特に困ることもないのだが、羽ペンだけはどうも未だにしっくりこない。最近の勉強についてもそうだ。
(なんでこんなに面倒くさいのかしら。ゲームの中なんだし、なんとなく覚えておけばいいんだろうけど)
まずはとにかく、歴史の量が多い。こんなに作り込まれていたのなら、ゲームにも登場させればよかったのでは無いか?と疑問に思うほどにとにかく歴史が多いのだ。マリアナ自身も令嬢ではあったため、元からそれなりの知識はあるものの、どうにもそれ以上を求められているらしい。歴史はもちろんだが、他の国の流行りや言葉、魔法の勉強まで。いくらなんでも幅広すぎやしないだろうか。
(本当にそんなものを覚える必要があるの?)
と不思議に思うことも教えられることが増えてきたのだ。家庭教師は怒ることもなく、頑張りましょう、この短期間でここまで覚えたマリアナ様なら必ずできますよと言ってにこにこと笑いながら教えてくれるが、なんだか最近はあきらかに勉強量が増えてきた気がする。
はぁ、と溜め息をついてふと前に言われた言葉を思い出す。もちろん思い出すのは、シリルのあの言葉だ。
「恐れながら、殿下。マリアナ様の知識は酷く不完全で、不十分です。このままでは確実に教育が間に合いません」
「お前がそんなことを言うとはな、シリル」
「···大変失礼ですが、マリアナ様に殿下の妃になれるほどの器は御座いません」
「···シリル。その発言は覚悟の上だろうな?」
「勿論です」
「そうか。お前には期待していたんだが、残念だ。···死ね」
そう言って、ルーカス様は剣でシリルのことを切り捨てようとした。モブならどうでも構わないが、攻略対象者に死なれるのはいくらなんでも目覚めが悪いーーーそう思って、必死に止めたのだ。
「シリルのことも、あんまり覚えてないのよねぇ」
私はパラパラとページを捲ると、ここに来たばかりの頃に書き溜めたそれぞれのキャラの好き嫌いを書いたページを開いた。好き嫌いは一応覚えているが、テオのようにズレている可能性もあるし、ここにきた当初よりは記憶が薄くなってしまっているところがある。それを見越して書いたのが、この攻略ページだ。ルーカス様のページを飛ばし、シリルのことを書いたページが出てきたところで手を止める。
『シリルのステータス:王宮魔導師。本名はシリル ・スチュアート。焦げ茶色の髪に緑の目をした青年。29歳。自分に自信が無い。好きなものは甘い飲み物とマシュマロ。嫌いなものは苦い飲み物。主にコーヒー』
「···本当に自分に自信がないの?あの人って」
自信がないのに、あんなことを堂々と言えるものなのだろうか。
(私が妃になれないなんて、ありえないのに)
彼との結婚式も、このゲームのラストにある戴冠式ももう決まっていることだ。そんなことを思いながら自分で書いたものを久しぶりに読んでいく。
『シリルのストーリー:ルーカスの誕生日パーティーにて花火の魔法を打ち上げた。その花火をとても気に入ったアリスが誉めてくれた事、その後に教師として魔法を教える立場になり彼女に恋をする。歪み度が上がってバッドエンドに辿り着くと、だんだんと恋だったものは執着へと変わっていく』
ーーーアリス、お願いだ。どこにも行かないで。ずっと私の側にいて?
『そう言ってアリスの足を切断して、作られた美しい部屋に一生死ぬまで監禁される』
「···あー、そうそう。この人穏やかな見た目にそぐわず結構過激なことするんだったわ」
しかもシリルは、痛みを与えたくないからと自分でアリスに麻酔をかけて意識を無くした状態で足を切断するのだ。魔法で処置をされた傷口はまるで人形のように滑らかで、痛み1つなかったらしい。しかも切断した足も、ホルマリン漬けにされてシリルの私室に置かれて宝物になっているのだと言うからなんとも気持ち悪い。気味の悪さを振り払おうと次のページを捲ると、次はテオの項目が出てきた。
『テオのステータス:騎士。赤い髪に金色の目をした青年。24歳。好きなものは甘酸っぱいお菓子。フルーツなら柑橘類など。苦手なものは特にない。アリスの護衛騎士になり、姿を見て一目惚れ。何としても自分が守らなくてはいけないという思いから、恋が発展していく。歪み度が上がってバッドエンドに辿り着くと、だんだんとそれだけでは物足りなくなっていき、何をするにも自分に頼ってほしいと願うようになる。最終的には彼女が一人で歩けなくなれば自分が必ず運ばなければいけなくなるのではないかと考えるようになるが、彼女に傷をつけたくないという思いからテオは悩んだ』
ーーーアリス様。俺の目の届かない場所へ、行かないで欲しいのです。でも、貴女はすぐどこかへ行ってしまうから···お叱りは受けます。どうか主を傷付けた俺をずっと、許さないで下さい。
『あの白く美しい足を切断するのは惜しい。ならばと足の健を切断され、アリスは二度と自らの足で地面に立つことなく生涯を過ごした』
このときのスチルも声も、壮絶なまでに美しかった。だがらこそ、酷く恐ろしかったのだが。
「テオはアリスが死ぬエンドもあったから印象深いのよねぇ。というか他の人もそうだけど、バッドエンドになると歩けなくさせたいやつ多すぎじゃない?自分に依存させるために不自由にしてるのかしら。あ、そういえば、今日は殿下の弟のルークに会いに行くんだっけ。顔見せと挨拶がてらって話だったけど···ルークに会うのは少し楽しみかも」
病弱という設定は本当のことで、なかなか体の調子が良い日がないらしく、遅くなってしまったとのことだった。これからも付き合いは続くのだとすると、次はルークの事を考えなければいけない。私は1度羽ペンを置き、次の項目のルークのページを開いた。
「さて、ルーク様はどんな人だったかな」
『ルークのステータス:金髪に赤い目をした少年。17歳。好きなものは花や歌劇、オペラなど。嫌いなものは脂っこい肉料理。胃もたれするから苦手らしい。小さな頃に歌っていたアリスの声が忘れられず、彼女に歌を歌ってもらうことを好む。最初は会話しているだけで幸せだったのに、歪み度があがってバッドエンドに辿り着いてしまうと、その声は他の人も聞いているのだと気が付き、好きという気持ちが大きくなるにつれて自分だけしか聞くことのできない声が聞きたくなる』
ーーー君の声はいつも美しいけれど、1番美しいのは悲鳴だね。
『そう言って砕かれたガラスの上に無理矢理立たせて悲鳴を上げさせるようになる』
その文字を読み、思わずゾワリと背筋が凍り付くような感覚に陥る。裸足のまま砕けたガラスに無理矢理押し付けられ、泣きながら悲鳴をあげるアリスを、美しいと言って嗤うルークのスチルはかなり恐ろしかった。
(アリスが嫌いだからいい気味だと思ってたけど、ルークは怖かった)
というかもうこの人の感性も分からなければ、意味はもっとわからない。この場合は感性というよりも性癖なんだろうか。
「はぁ、これだからヤンデレは···好きな人の悲鳴が好きってだいぶ頭がおかしい人よね」
というわけでルークはエンド回収は全てしたものの、一周しかしていない為、残念ながらあまり詳しい情報は覚えていなかった。まぁこのエンドは歪み度が上がり切って1番最悪のバッドエンドだから、ハッピーエンドだと全然違う方向に行くのだけれど。
(ハッピーエンドで唯一子供を授かって終わったのって、確かルークだけなのよね。つまるところハッピーエンドだと他の人が聞けない美しい声って言うのが悲鳴から喘ぎ声に変わった感じ?···うわぁ、嫌なことに気がついちゃったわ。他の人は2とかで子供できてたりしたのかな?)
そんな事を考えながら、大まかなストーリーはどんな感じだっけとそのまま私は日記を読み進める。
『ルークのストーリー:小さい頃から病弱だったこともあり、時折アリスがお見舞いにきていた。その時に歌ってもらった子守唄が忘れられず、いつか兄を失脚させ、彼女を奪ってやると考え始める』
「まぁ、もうアリスはいないからルークルートは関係ないか。ルーカス様のルートの時は、あんまりルークと関わらないのよね···」
ルーカス様とルークの仲は、良くもないが悪いという訳でもないらしい。アリスとの事も考えれば非常に微妙な事もあり、難しいところだ。そんな彼との初めての接触は、どんな態度で望むのが正しいのだろう。
(アリスの後釜でも狙ってみる?でもそれでルートに関わってきたら嫌よね。悲鳴が好きな声フェチとか普通に嫌だわ。でも私の趣味じゃないけど人気はあったのよね。皆ヤンデレ好きなのかしら···。でもルーカス様と結婚するに当たってずっと関わることになる人だから、少なくとも嫌な印象は抱かれたくないなぁ)
礼儀正しく、良き義理姉に見えるようにするのが1番だろうか。
そのままもう一枚ページを捲ると、死神と呼ばれる男の存在が書かれていた。
「この人は···まったく分からなかったやつね」
ゲーム内でも説明が数行しか出てこず、見た目すらもロクにわからない。右腕の人がいて、そっちもなんで恋愛ができないのかとゲーム会社に苦情が殺到したとかしてないとか。いかんせんルートに入れなかったので何のことかさっぱりわからないが。
(この会社、新作ゲームには配信規制かけてたからなぁ。特に隠しキャラに対してすごかったのよね。攻略はおろか、ヒントすら乗せるのをNGにしてたところがあるし。実際載せた人は訴訟を起こされてすぐさま消されてたから相当やばいって話になってたし。この会社はある意味すごかったからなぁ)
ゲームシステムが難しいのもあり、今回のゲームは困難を極めていた感じだった。なのに攻略は駄目!ヒントもなし!そのうち小出しに情報出すから分からない人は待っててね!というなんとも小賢しい···いや、とんでもない会社だった。それでも作品の内容がかなり面白かったからかなり売れてたんだけど。
「···ふぁ。なんか眠くなってきた」
早起きして色々と考えていたせいかなんだか眠たくなってきた。ルーカス様の温かさが恋しい。
私は欲望のままに日記を閉じて引き出しにしまうと、鍵をかける。扉を開けてベッドルームに戻ると、彼はまだ眠っていた。そのままベッドの中へと戻り、ルーカス様の熱を再び感じると幸せが込み上げてくる。
(好き、大好き。こんなに幸せで良いのかしら)
「···リ、ア、」
「!」
(起こしちゃったかしら)
ぼんやり、と彼のサファイアのような瞳がとろりと目を開ける。まだ夢うつつなのだろうか、ぼんやりと私の瞳を見つめたまま酷く幸せそうに微笑んだ。
「ルーカス様」
「···様、だなんて、寂しい呼び方をしないでくれ」
「えっ···」
それは、名前で呼んでほしいということだろうか。ドキドキとうるさい胸の高鳴りを抑えながら、私はそっとその名前を口にした。
「···ルーカス」
そう囁やくと、彼は今までに見たことがないような顔で微笑んだ。
私は今までにないほど興奮してーーー。
「やっと、僕の所に戻ってきてくれたんだね。どこに行っていたんだ。俺のことをずっと放置して。ずっとーーー寂しかったのに」
その胸の高鳴りは、一瞬で絶望へと変わった。
「······え?」
ドクドク、と胸の鼓動が酷くうるさい。
(何を、言ってるの)
「ルーカス···?」
ずっと放置していたとは、一体何の話なのか?
「君のその珊瑚のような瞳は、いつ見ても美しいな。やっぱりアリスではただ似ているだけで、全く君の代わりにならなかったよ。···髪を、黒く染めたのかい?君の白銀の髪が、好きだったのに」
珊瑚のような瞳に、白銀の髪をしてアリスによく似ている人?
「···は?」
(誰よ。そんなキャラクター、知らないわ)
考えられるとしたらアリスの姉妹か?いや、そんなキャラクターはゲームに存在しなかったはずだ。
(だって、出てきていたら覚えているはず)
なのに私が知らないということはーーーこの場所独自に起きた事だとでも言うのか?ドクリ、と心臓が大きな音を立てる。
とろりと溶けた青く美しいサファイアのような瞳は、私を見ているのに私自身を見てはいなかった。まるでどこか遠くを見つめているような、私を通してーーー別の人を重ねているような。
ーーー嫌だ。これ以上、彼の言葉を聞きたくない。
「やめて、」
心の何処かで、ミシミシと音がする。
何かが歪んでいくような、何か嫌なものが近づいてきているような足音にも似たそれは、一体何なのか。いや、本当は分かっていたんだ。この音を私は昔、どこかで聞いたことがある。
「どうしたの?何か嫌なことがあった?何でも話してくれって言っただろう?だって、君は僕の唯一の人なんだから」
止めて、と大声を出せばよかった。
だってそれ以上、聞きたくなかったのだから。
「愛してるよ、僕のアリシア」
知らない。私はそんな人、知らない。
「止めてぇーーーっっ!!!!」
「っ!!?」
「マリアナ様!?」
その声に、外に待機していたのか騎士の声が響く。
ルーカスの表情もいつも通りに戻り、酷く驚いた顔をしていた。
「どうしましたか!無事ですか!?」
「ま、マリアナ?どうしたんだ?何か嫌な夢でもーーー」
そう言って、慌てて声をかけてくるこの人が、私ではない誰かを見ているなんて。
(嫌よ、嘘、嘘嘘嘘!!)
彼が好きなのは私だけのはずだ。だから、アリシアなんて、存在しないのだ。涙が止まらず、胸が酷く苦しい。この人に自分ではない、別の好きな人がいるなんて。
「···マリアナ、」
「ルーカス、様···」
アリシアとは誰ですか。そう聞いてしまいたかった。
だが、きっと彼が答えることはないのだろう。
知らなくては。
そして、排除するんだ。
(どんな手を使っても、そのアリシアという女を消してやる)
白銀の髪に珊瑚色の瞳をして、アリスによく似ている。それだけ分かれば、難しいことではないはずだ。
(この世界で白銀の髪をしているのは、ヴェリア家だけだもの)
しかし、稀に平民に現れることもあるという。そのアリシアという女が消えたのだとしたら、平民である可能性も捨てきれない。だがきっと、あの家がーーーヴェリア家が、何かを隠しているに違いない。
ーーー私の物を奪うなんて、許さない。
溢れ出てくるドス黒い感情に、必ずその女を探し出してやると誓った。
そして、目の前でズタズタに引き裂いてやるのだ。二度ともう、彼の思い出にすら存在出来ないように。
「マリアナ?」
そっと伸びてきた彼の手に、今は、今だけは触れてほしくなくて思わず振り払ってしまった。
「触らないでっ···!」
この人が、この美しい人が、私だけの物ではないなんて。
「···気分が優れないので、失礼します」
そう言って驚いたままのルーカスの横を通り過ぎて扉を開けると、見張りの騎士が立っていた。
「ご無事ですか!?どこか、お怪我は···」
「うるさいな」
「ひっ···!も、申し訳ありません!」
「今、気分が良くないの。私に話しかけるんじゃないわよ」
怯える騎士をキツく睨み付けながら、私はルーカス様がいる部屋の扉を乱暴に閉じた。
「絶対に、許さない···」
ミシミシ。
ミシミシと音がする。
ーーー歪みの足音。
それは『このゲームのキャラクター』の歪み度が上がって、『狂ってしまった時』にのみに聞こえるーーー歪みの足音と言われる音だった。




