4.歪んだ冠のアリス
私は人形なんかじゃない、と叫んだ彼女は―突然、海へと身を投げた。
「なっ…!?」
驚いたのもつかの間、バシャーン!という水音が聞こえてくる。
(う…そ、嘘嘘嘘!?本当に落ちるなんてっ…!!)
慌てて落ちた辺りを見るが、辺りには明かり一つない真っ黒な海に落ちた人物など、見えるはずもなかった。
「し…死んだ…?」
死んだ…いや、私がころし、た?
この、私が?
海になど身を投げられるはずがない。だからお前は人形なのだ、とあの大嫌いな主人公であるアリス・ヴェリアをただ嘲笑ってやろうとしただけなのに。
「…いや、でも、これはゲームの中なのよ…?死ぬわけ…」
そう、なぜかこの世界にやってきた私が前世の記憶を取り戻したのは、この断罪イベントの2つほど前のマリアナのイベントだった。
このゲームは、「歪んだ冠のアリス」という乙女ゲームだった。
表紙のイラストがとても印象的で、真っ白な髪にどこか虚ろな青い瞳をしたアリス・ヴェリアという主人公が王座の椅子に膝を抱えて座っており、椅子の後ろから延びている真っ白な手に歪んだ冠を載せられている、というものだった。
メイン攻略対象は4人。王子であるルーカス、第2王子のルーク。騎士であるテオと、王宮魔導師のシリル。
それぞれのキャラはメインである恋愛ルートをクリアしたが、まだまだ分からないことも多く、これからゆっくりとやりこんでいく予定だったのだ。
ただこのゲーム、歪み度の事で相当作り込みがあった為か、国などの他の設定が薄かった記憶がある。それを遥かに越えるぐらいに本編が面白かったので、そこまで気にしたこともなかったが。
どうやら隠しキャラもいるらしかったが、私はそこまで辿り着くことはできなかった。
このゲームには変わった仕様があり、【愛情度】の他に【歪み度】というものが存在する。
主人公が他のキャラに関わったり、選択肢によって攻略対象の歪み度が変わっていくのだ。
しかもやっかいなことに、現在攻略しているキャラではない、他3人のゲージも増減する仕組みになっている。
一定のターンが立ち、なおかつ他のキャラの歪み度が上がりすぎてしまうと、攻略していないキャラクターが暴走してしまい、アリスを幽閉してしまったり、殺してしまうエンドもかなり多い。
しかし、攻略対象にしているキャラも歪み度が上がっていくと、性格もそれに合わせて少しずつ変化していく仕組みになっていた。
歪み度を上げすぎると攻略対象にも殺されたり、幽閉されたりしてしまう。特にルーカスの歪み度を上げすぎた場合が1番酷かった記憶がある。
つまるところ、エンドが多過ぎる上にゲージの増減も考えなければいけない、というとても大変なゲームだった。
私が死ぬ直前に、【奪われた冠END】というものが存在すると公式から発表があったのを覚えている。そして、もう一つ。メインの攻略対象の4人ではない、どこからも確認することはできないが、『とあるキャラ』にも【歪み度】が存在するのだと。そのとあるキャラの歪み度を上げることにより、そのENDに行けるのだと―その情報を見ていた私は、突然突っ込んできたトラックによって命を落とした。
そして目を覚ました時、目の前にはあの女が―アリス・ヴェリアが立っていた。
『マリアナ!良かった…どこか、痛いところはない?』
―そう、鈴を転がすような美しい声で話しかけてきたのだ。
「……そうよ、死んだからといって…何かあるわけじゃない」
だって、初めてアリスの断罪イベントを見たのだ。彼女はあのイベントの間、『喋れなかった』と言っていたし、きっとこれは、私が見ていなかったENDの1つに過ぎないのだ、と。
誰かに殺されたりすることはあっても、彼女が自分から死ぬENDは1つも見た事がなかった。それに、これで目障りな主人公のアリスが消えて、私は推しであるルーカス殿下に愛されるのだ。
(そうよ、何も悲観することなんてないわ)
ニヤリ、と歪な笑みを浮かべる。
ルーカス殿下の愛情度を上げるのは簡単だった。1番好きなキャラだったから、大体の選択肢は覚えていたのである。
自分は主人公ではないため、選択肢通りの会話になるのか?イベントは起こるのか?と心配だったが、なぜかすんなりとイベントを起こすことができた。
しかも、かなり進んだ後半のイベント。初期のイベントが起こるのかと思いきや、場所は多少違うことはあっても、同じものが見られのだ。スチルでしか見られなかった美しい顔がそこにはあって、胸は高鳴った。
歪み度を上げすぎないようにしたかったが、そもそものゲージがどこまで上がっているのか分からない。本来ならインベントリで見ることができるが、そこまでの機能はついているわけもなく。
そこで少し、マリアナは迷った。基本的に愛情度が上がるものは歪み度が多く上がってしまうものも多かったからだ。
しかし、迷っている暇は無い。あと2つ、大きなストーリーイベントが起こってしまえば、END一直線だからだ。愛情度を上げなければ、きっとアリスがルーカスを攻略してしまう。
きっといきなり後半のイベントが起こったのは、その前半のイベントは私が知らないところでアリスが変わりにイベントを起こしていたからだろう。そう思った私は、歪み度のことは考えずにルーカス殿下の愛情度をとにかく上げた。自分に対してのゲージは、アリスとは別ゲージだろうと思っていたから。
それを考えながら行動したら、本来なら恋愛ENDを迎える筈のイベントであの『断罪イベント』が起きたのだ。
なんて、素敵なのだろうか。
恋愛ENDでは、どの攻略キャラでもアリスは必ず最後に「美しい冠」を被るのだ。
あのゲームの最後のENDの名前は、『 奪われた冠』。
私…マリアナは、アリスが被るはずだった冠を手に入れた。つまり、これはアリスから見れば、『奪われた冠』ENDなのだろう。
(さいっこうじゃない…あの主人公であるアリスが、私に…マリアナに冠を奪われたのよ?)
『アリス・ヴェリア嬢。今日をもって貴女との婚約を破棄する。』
彼の凛とした声を思いだし、恍惚とした表情を浮かべる。
「…あぁ、ルーカス様…」
冠を被れなかった主人公はもう、冷たい海の中。